■ エヲカク ■

2009年05月31日

走る線 <エヲカク(−1)>

 まだまっさらな紙を前にして、どこから線を引きはじめようかと考える一瞬、それは本当にほんの一瞬なのだが、大きな自由を感じることができる。
 次の瞬間に線が走りだすと、そこから先は既に描かれた線の生む引力にある程度の影響を受けながら、手を動かすことになる。
 少しずつ、小さな縛りが生じる。
 自由ではあるが制約が出てくる。
 その制約は、先へ流れれば流れるほど大きくなってゆく。
 増加する制約に対し、線を操るのは自分の直感、経験、技術だ。「知」とはこれらを要素として含むものなのだろうか。それとも「知」の結果としてこれらの要素が生まれるのか? このプロセスも、それを操作するのが自分自身であるという意味において自由だが、約束事を無視し崩しては進められない。
 そして、ある瞬間に、目の前の物(絵)が自分の手元を離れると、今度は自分自身がその絵から解放され、また自由になる。

 それがまっさらであれ、紙という平面に向き合った段階で、すでに制約が存在している。これは前提だ。言ってみれば僕が特定の人間のあいだに生まれた、日本に生まれた、もしくは人間として生まれたというような事実に対応している。
 布に描くこともあれば、壁に描くこともある。対象が平面ではなく立体であることもある。
 
 生まれる直前の自分は何を感じていたのか?
 存在していたのか、存在していなかったのか?
 今はプロセスの中にいる。このプロセスを誠実に進めた先にある消滅(死)は、果たして解放なのか?

 あまり単純化して考えてしまってはいけない。不確定な要素の介在は常だ。それらに対処する力を身につけることによって、人生の線が引かれてゆく。
 自分のこれまでの道程はどのようなものだったのだろうか?
 先にある領域を確かなものにするために、今なにをしているのか? もしくは確かな領域など存在しない。
 だから今できることを今やるのか。
 時々、自分がいったい何に挑んでいるのか判らなくなる。これもプロセス?
 
 今挑んでいるのは……時差ボケと偏頭痛。
 
 
 


posted by マリオ曼陀羅 at 06:29| Comment(2) | TrackBack(0) | ewokaku | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月23日

御対面でひとやすみ <エヲカク(−2)>

 絵を描いている時に、ひとつのモチーフだけをずっと追いかけていると、そのうちにフッとその像が手元から滑り落ちて逃げ出してしまい、そうするとしばらくの間は追っても追っても逃げられるばかりなのだが、それでもしつこくしつこく追いかけていると、ある拍子に、今度はフワッとその像がこっちの手元に飛び込んでくる。
 そうすると、その形がいったん腰を落ち着けてこちらを見ているような状態で時間が止まり、先ほどまでの、逃げた物を追い掛けていた時の、あの水面になかなか出られなかったような感覚が嘘のように、肺に空気がブワっと流れ込んで来て、まさに御対面という感じ。再会という感じ。
 ということで、コーヒー淹れて、一服入れて、ひと休み。
posted by マリオ曼陀羅 at 05:31| Comment(0) | TrackBack(0) | ewokaku | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする