■ エヲカク ■

2010年10月19日

エヲカク(19)


※ 現在のキッチン入口。

深夜のダイニングテーブル。それが僕の現場。
キッチンの流し台、このところそれが僕の酒場。

片手に仕事、片手に絵。頭のうえに子供たち。
ワントラックマインドに、このマルチプレクサ状態。
思えばいっつもなにかしら大詰め。
わずかな余暇のほとんどが酒だなあ……

用事でもなければ出掛けることもない、職場と自宅の往復の日々だけど、
頭のなかに遊び場はあるし、本を開けばどこかに行けるよ。
節約にもなって吉。


増殖してゆく


 
 
 


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2010年10月12日

エヲカク(18)



 眠るのと同じように、無駄な力を一切使わずに出来るのは、絵を描くこと。穴だらけになった精神をゆっくりと蘇生させてくれるのは、絵を描くこと。あれこもこれも忘れさせてくれるのは絵を描くこと。必要なことを思い出させてくれるのは絵を描くこと。夢想を促してくれるのは絵を描くこと。凸凹になった表面をもう一度均してくれるのは絵を描くこと。言語を用いずに言いたいことを言えるのが絵を描くこと。
 選択の余地のないそのことを通じてのみ照射が可能となるXがある。
 
 
 
 
 
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2010年09月22日

エヲカク(17)



 ぼくにとって絵を描くという行為には瞑想のような一面がある。曼陀羅阿頼耶識に写生に出掛けて、そこで目にする心象風景に没頭して一時間、一時間半、二時間……。その間はそのことだけしか考えていない。赴いた先で没頭するという二重のトリップがそこにある。

 瞑想とは善に対するインスタントで肉体的な取り組みのようで、そのことにより、ぼくの社会的行動が補助されている。
 惑わされないということでもある。惑えば線は引けない。惑えば咄嗟の行動はできない。その為のプラクティスのような一面があるということだと感じる。


 
 だとすれば、ぼくの絵は絵の為の絵ではなく、自分の行動規範を探り拡張し、そしてそれを維持するための手続きであるはずだ。この連続性のなかで過ごしてきた9年の時間をそのように説明すると、なんだか腑に落ちる。この場合の行動規範というのは、現状の先に広がる更なる自由にアプローチする為の切符のようなものだと思う。

 こう説明してみると、自分が美術の文脈とひとつ関係のないところで、絵を描くという行為を続けているのだと実感する。そこに美が伴うことがあるのだとすれば、それは瞑想というものがそのような視覚を伴うこともあるのだという事になるのか。
 美というものについては、圧倒的すぎて未だ理解が及ばないことでもある。ぼくは美を追求している訳ではなく、生を追究しているのだと感じる。
 
 未だ連続模様のなかに居り、それで社会を生きている。社会とは敵対する概念ではないよね。味方であればこそという枠組みだと思うな。
 静かに、でも確かに生きたいなぁ。不確かのなかを。





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2010年09月04日

エヲカク(16)



 徹夜明けのまま働いて次の夜中を過ぎてしまったけど、今夜はこれを仕上げる。それを楽しみに今日一日の仕事を果たした訳だから。

 仕上げるという段階の高揚感と、その後の開放感は麻薬だよな。料理酒でさえ美味しく飲める。いや、うちの料理酒はまあいつだって美味しいんだけれども。それでも、どうであっても至福の瞬間を味うことができる。

 その至福のひと時が過ぎ去った後になにが残るかと言うと、一枚の絵と、その絵から新たに課される反省と、それ故に次の一枚へと向かう意識だ。このループがある限り、なんだか幸せに生きてゆけそうな気すらする。そして実際に、絵を描きはじめてからの歳月というのはその通りの幸せな感覚に包まれている。
 やりたいことをやりたいようにやるというのは、まあシンプルなようでシンプルとばかりも言えない面も多々ありながら、それでも世界を感じられる貴重な機会を提供してくれる。要はそこで感じ得る世界というのがどのようなものかというのは、ひとつ重要な気がするけれども。
 
 イメージの齟齬は絵のなかには存在せず、ただその絵と世界の間には存在することがあって、それが問題に気付かせてくれるようなこともあるんだよね。気付くという感覚があるから幸せだとも言えるんだけど。いくら気付いても、気付き足りるというようなことってあるのかなぁ?
 自分のやっていることが動機となって、あれこれに対する興味が尽きないっていうのは、なんだかいいよね。地平が広がって見えるんだよな。その広がったかに思えた地平が、実は錯覚だったなんてこともあって、その愕然とするようなリアリティとの対峙も、それはそれでまた興味深いものがあったりするんだよね。で、実際のところそれが錯覚であろうがなかろうが、思いもよらないところに何かがポコッと芽生えていたりして。
 
 
 
 
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2010年09月02日

エヲカク(15)



絵を描きはじめてからのほぼ丸9年、それがもうある意味で実験の歳月だけど、ここにきてやっぱりもっと実験をしたくなって、それでしている。実験というか、結局やりたいと直感したことをそのまんまやってみるということだなと気付いたのが、この9年間に得た最大のことかもしれない。これは別に絵に限ったことではなくて、人生なんでも直感したことは試してみればいいんだろうね。

ということで、今はとにかくリラックスして開放的な絵を描きたい。

これまで徹底的にストイックで厳密な線にこだわってきたけど、なんだか今はもうちょっと大らかでのんびりした空間を絵で生んでみたい気分。


 
やりたいようにやったほうが物事はうまく運ぶ可能性が高い。やりたいようにやったほうがストレスというか負荷が少ないから推進力が生まれやすいということだと思う。ぼくの場合、絵を描くのはもっともストレスフリーな能動的行為で、だから日常や仕事で疲労した心身というか魂というかが、この行為によって中和されるような効果があるんだろうな。

それを習慣化するっていうのも、なんだかひとつ大事な要素のような気がしているけど、このことについてはまた考えてみよう。


  
 
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2010年07月31日

今年の夏休み

 ぼくはかれこれ9年間、同じモチーフで大小問わずディテールの細かな空間図を描いていますが、一枚も失敗したことが無いと気付いてしばらくしてから、いつ描いても間違わないのであれば、ライブで描いてもいいんだなと思うようになりました。
 だからと言って、これが成功というのもないのですが。

 2007年の4月に、ロンドンで機会をもらって、初めてライブ・ドローイングを試したところ、思った通り普通に描けたので、その後は国内外で回数を重ねることになりました。絵を描く作業というのは内向的な行為なのですが、その矢印を外側に向けたいと思っていたからです。

 なぜ、矢印を外側に向けたいと思っていたかというと、ぼくにとって、その絵を描くという行為は、ある啓示のようなものだったからです。

 大きな室内の空間の、壁一面、天井などにも、いつも一発勝負で描いており、6時間という現場をもらって、トイレにも立たずに10メートルほど描き続けてみたこともありますが、やっぱり大丈夫みたいでした。

 よく、「下書きしてるんですか?」とか「決めてから描くんですか?」とか訊かれますが、それは無理で、ぼくは知っているものをそのまま壁面に映しているだけ、云わばメディウムの状態になっているので、ただ手の動きたいように任せていれば、それで良いみたいです。

 公開ライブで絵を描くのは楽しいのですが、やり続けているうちに、公開じゃない状況で、独りでもっと淡々と黙々と打ち込むことにも、なんだか以前とは違った面白さというか、意味を見つけ出しました。サービスを考えなくて良いというのは、別に普段からサービスしないんですけど、やっぱり気楽で。

 でも絵のお陰で、国内外の知らない場所などに呼んでもらえるような事も出てきて、本当に絵を描いてみて良かったなと思ってます。今年の夏は、相模湖(藤野)の“ひかり祭り”と、群馬県の川場村というすごい自然のなかでのイベント(詳細まだ)で、絵を描かせてもらうことにしました。

 先ずは来週末の“ひかり祭り”、藤野の廃校になった小学校を利用してのパーティーです。ぼくは7日の夜、体育館のスペースで絵を描きます。良かったら、ぜひ来てください。出演者が豪華ですよ。
http://bit.ly/aSFdRu

 9月の11日、12日の土日は群馬県の山の中“AC/PC”というパーティー。もうすぐサイトが準備されるようなので、そうしたら予約開始だそうです。こちらもまたちょっと違った、しかしスゴそうな出演者多数。今のところ、情報はこちらから→ @ACPC_openair

 フロアはココ:


 内に向かう矢印と、外に向かう矢印と、リーチしてゆく距離はその絶対値なのだと思ってます。だから、どちらも大切。


 
 
 
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2010年07月07日

エヲカク(14)



 終わった……。そして神戸へ発送。この金土日のART OSAKA 2010にて実物が飾られる場所がちょっと変わった場所なので、これがどうなるのかが楽しみ。現場は大阪、堂島ホテル、1117号室。

 ある切欠を貰って、自分の創作について短く文書化した資料ができたのだが、文字というか言葉というか文章にして自分のしていることを客観視するというのは興味深い作業だった。
 絵というものについて、少なくともそれをただ観て感じるという本来の意図において、言葉は邪魔でしかないのだが、それでもその絵に言葉を与えることによって加わる絵そのものとはまたひとつ異なった断面が存在する。言葉とイメージの厳密さの違いを感じたが、それはそれで面白かった。ぼくが自ら扱いやすいのはイメージであり言葉ではないということも感じた。言葉というか文章を読んで愉しむ際の自分は、言葉を視覚化してから飲み込んでいるということを改めてはっきりと知ることができた。それが収穫なのかどうなのかは判らなかったけど、面白いと思えたことがなにか発展性の予感を孕んでいた。

 でも端的に、あらゆる種類の芸術においては麻薬的な作用こそが重要なんじゃないかなと、改めて意識した。頭痛薬とかじゃなく。正す治すではなく、壊すというか、翻す感じ。
 
 
 
 
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2010年07月04日

エヲカク(13)



 ギャラリーヤマキファインアート(神戸)の個展のリアクションとして、7月9日から11日まで催される ART OSAKA 2010 に出展依頼をもらう。

 縦4列、横6列の計24枚の依頼をもらって、先の個展で「マリオ曼陀羅/展開図」と題して発表した絵の発展形を描いている。南アフリカのワールドカップの白熱している試合を横目に。

 それにしても、24枚の依頼に対してギャラリーから送られてきた紙が、きっちり24枚。
「今まで一枚も失敗したことが無い」と言って僕の言葉を完全に信じてもらえたようでとても嬉しかった。



 描く線から絶対に目を離さなければ失敗はしない。ボールを蹴るサッカー選手もそんな感じなのかななどと思いながら。
 
 
 
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2010年05月01日

エヲカク(12)

 作業や仕事の溜まっているぼくを気遣い、妻子はゴールデンウィークを留守にしてくれた。貴重な時間。



 気付いたら6時間ほど描きっぱなしだった。気持ち良く集中して、むしろ疲れが取れてゆく爽快な感じ。描きはじめるまえに、ココだと思って一度昼寝をしたのが良かったなぁ。このところ疲れ過ぎていたから、昨夜は集中力が明らかに落ちていた。
 それにしても、絵を描いていると時間があっという間。

 僕自身、28の時に絵を描くようになってから、スタートが遅かったというのもあって、五年毎のプランというか目標というかイメージを割と明確に見立てて、それが叶わなかったら辞めようと思っていた。結果的には今で大凡9年ということで二度目の五年期の終わりの方だが、今やっていることが当時のイメージとほぼぴったりと重なっているので、このままさらに心置きなく続けてゆくことになりそうだ。

 この第2五年期は、アウトサイダーの自由な立場で主に国内の現代アートの領域を眺め、気付いたことが多々あった。アートと出版、種類は違えど“コンテンツ”を扱うそれぞれの世界の草鞋を履きつつ活動している立場で、ついアートの業界の構造的な部分にも目が行く。
 ぼくの絵のマネージメントをしてくれていた事務所に辞表を出した時、なにがぼくをそうさせたのかと言えば、ビジョンを共有しようと重ねた会話のなかで「アートの世界は特別なんです」ということを言われたことだ。機能不全に陥っているように、少なくとも当時のぼくにはそう映っていた業界の内側にいる人が、それを特異性として許容してしまっているように思えたことで、だったらやっぱり自分でやってみようと思った。自由こそが目的なのに不自由に至るのだとしたら、描けない。

 まあ実際にはなにも関係なくただ描きたいように好きに描いてゆくんだけど、描いたらやっぱり発表もしたい訳で、それをどうしようかなと思うと、あれこれ考えることもあるという話。

 2011年10月からが次の五年期。

 その前に、先ずは5月22日からの神戸の個展を良いものにして、機会をきちんと活かしたい。
 
 
 ※ 更にその前に5月5日のvoid+でのイベント! これはこの連休の大きな楽しみ。いったいどんな創造的なイメージとぶつかり合うことになるのか!?
・エリック・ティールマンス/アレクサンダー・バーン/高岡大祐/SARO/長谷良樹/田内万里夫 @void+
 
  
 
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エヲカク(11)



ひたすら作業してこの時間、午前4時。台所の流しの食器をきれいに洗い、それが良い気分転換。安上がりな性格……。

人の為とか、それが究極的には自分の為とか、そういう動機で動く方が心地良いに決まってる。金の為とかではなく、生きる為。それはつまりは自分を活かすことの為。その活かすことは個別の誰もが個別に持ってる。だから人の為、自分の為。生かさなきゃいけない子供たちもいることだし。

とにかく、だから遠くロンドンで娘のこの様子を読んだ時はなんだか誇らしかったな、少し。 http://bit.ly/9z0Tat

描いた絵が、人を気持ち良くさせたり、役に立ったりしたら嬉しいよなぁ。

誰か俺に無限の時間をくれ!!!
 
 
 
 
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2010年04月29日

エヲカク(10)



好きで描いてる。それだけ。ただただそれだけ。気付けば今も描いてた。

でも嗚呼そろそろ限界。帰国から5日過ぎ、頭が吹っ飛んでいきそうだ。集中力が落ちると当然のことながら作業の効率が落ちる。でも能天気な性格に救われてるっていうのが今は本当によく分かるなぁ。そうも言ってられないアレコレがあり、そうも言ってられないんだけど、でもそうも言ってられないことはそうそうないよね。
 
でもこういうギリギリ削ってる状態で、ほんとに時々自分でもあっと驚くようなことが生まれるんだよな。この手元から。不思議。
 
 
 
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2010年04月27日

エヲカク(9)



時差ボケの、寝たり覚めたりする頭で絵を描く。ひとつひとつ、一本々々、とにかく線を引いてゆけば形が、像が生まれてくるということを知っているので、どんな頭であってもとりあえず一本々々ひとつずつ線を引き描く。

生まれる像や形は、今は尽きることが無いということも知っているので、遠慮なくとにかく無心に線を描く。するとどうでしょう! いやー宇宙。
 
そのうち夜明け。

そういえばもう何年も前の、下北沢の明け方の飲み屋で、「毎日々々朝っぱらから歯を削らなきゃならない歯医者の気持ちが分かるか……」と吐き捨てるように、飲んだくれていた歯医者がいたけど。彼は歯医者は好きだけど削るのは嫌いで、削らずに治せるはずの歯を、院の方針で削らなければならない自分に大きなジレンマを抱えていた。やりたいようにできないのはつらいだろうな。
 
 
 
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2010年04月19日

エヲカク(8)



2010年4月19日。ロンドン時間、現在午前2時。
本当であれば今頃は成田空港から自宅へと向かっていたはず。
アイスランドの火山の噴火の影響で、ヨーロッパ各国の空港が軒並み閉鎖。
ロンドンにて足止め。帰国の目途は立たず。

仕事を終えた週末の昼下がり、Covent Garden の London Graphic Center という画材屋で紙を仕入れ、天気が良かったので滞在中のホテルの裏庭に道具を持ち出して、絵を描く。ビールが美味い。



いろいろとやってはいるが、絵を描くことが最も好きなので、どこにいても描いている。これがあると気持ちがとにかく落ち着く。
 
このような非日常のなかにあって、「やりたいことを、やりたいからやる」ということの、人生における重要性を強く感じる。
 
  
 
 
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2010年04月01日

エヲカク(7)



子供を見て、遅くまで仕事して、絵を描く。出歩く。
余りにも多くの人々と会う飲む食べる話す、尽きない。

俺はいったい何屋さんなんだろう…… って思うことあるけど、実はどーでもいいんだよね。個人の人生を、ただできる事とやりたい事をできるかぎりやって生きてるだけで、アイデンティティなんて必要ないんだと心底思っている。

特定構造の中で自ずと規定されてしまう限界の外に出ないと究極的に物を創るのは無理だと思う。ということで、美術のカルチャーのなかに身を置くと必然的に浴びるノイズは無駄だし無意味だというのもある。得られる物も勿論少なからずあるけど。それは時々紛れ込んで拾ってくれば良い。

 
 
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2010年03月31日

エヲカク(6)

20100329KuRuWaSaN.JPG

 3月28日の日曜の夜、急遽、チューバの高岡大祐さん主催のセッションにドローイングで参加することに。場所は南新宿?西新宿?住所は代々木の「はいから亭」というJazzの店。ドラマを感じたある顛末があって。

 ブリュッセルから来日中の KuRuWaSaN を軸に、本当に多様な音楽家たちが集まっていたけど、その中に「あれ?」と思ったらベーシストの佐藤研二さんの姿が。去年のcloudchair主催のこちらも大編成のセッションで共演というか末席にてご一緒させてもらってある種の衝撃を受けた人。周囲はあちらこちらからのミュージシャン達がガヤガヤと港の酒場のように集っていたので、ぼくはひっそり彷徨いこんだ異邦人の気分で場所の空気を楽しんでいた。彷徨いこむ自由。チューバ、ピアノ、ドラム、キーボード、トロンボーン、ギター、またちがったギター、サックス、トランペット、ベース、チェロ、声……

 セッションはどれも非常に面白く、興味深く、自由で魅力的で、その音を楽しみながら絵を描いて、催しが終わって、人々は楽器をそれぞれ片付けたり、酒と話に興じたりしているなか、その佐藤さんが「会ってすぐに気付かずにごめんね。でも絵を見たらすぐに誰だか分かったよ」と、すさまじく嬉しい事を言ってくれた。

 絵だけで個性を特定されるっていうのは、絵を描いている身として最高に幸せで嬉しいことだと感じて、お酒がますます進んだのでした。
 
 セッション前は個人的に知らない人達ばかりの酒場だったけど、一緒に空間を作って、そしたらまた新しい出会いや関係も生まれていた。良い夜だった。この夜は高岡大祐さんが導火線。彷徨いこんだ世界で絵をただ描くことで存在できるという自由。いや楽しいな。

 が、お店は残念ながら4月17日で閉めてしまうらしい…… この夜の絵は記念にと初老の店主に置いてきた。残念なことも世間にはあるよね。
 
 

 
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2010年03月23日

エヲカク(5)

 90cm x 180cm、一畳のサイズ、所謂三尺六尺のが四枚、これが昨年末からの成果。足りない場所に夜な夜な紙を部分的に広げて、描いた端から巻きながら広げながら。今はそういう環境でできる限りのことをやっていてこれだけ。足りているのか足りていないのかは知らない。
 

 
 大きな物の合間に、そろそろ比較すると小さなサイズの絵も描き進める。ライブで描く絵もいくつか。やってることは基本的に同じ。
 何の為にこれやってるのかって問われても困る。人生としか言いようがない。フルタイムかパートタイムかと問われても困る。人生である以上フルタイムだし、かと言って持ち得る全ての労働力をそこに注ぎ込めている訳でもなく、よって作業はパートタイムだし。いろいろ思うところはあるけど、うまく説明できるのかな。説明なんて意味無くて、迫力あるかどうかなんだけど。そこについてはまだまだ先のある世界。今やっていることがどうかと言えば、それはできるかぎりのことをやっているとしか言いようがない。
 
 右目のモノモライが治まったと思ったら今度は左目。目を酷使しているのはあるけど、あとは単純に疲労とストレスだろう。ストレスが増幅させているものは大きい。でも描いていることの喜びというか充実がそれ以上に大きい。
 絵に限らず、今は絵を描いて育児して生活するためにも、できると思えることは凡そなんでもやっている。そうやっていると、やりたくないことは極力やらなくなる。逆にやってみようと思えることは増える。

 時間と空間の制限は厳しい。
 
 次の転機はいつだ?
 
 
 
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2010年03月19日

エヲカク(4)

 絵を描きはじめたのは2001年10月。出張中のフランクフルトで。28才の時だったけど、それまで絵を本気で描いてはいけないのだと思い込んでいた節がある。生まれ育った環境にいたドリームキラーが超絶に強力で、それにやられてたんだと今になれば分かるけど。



 ということで美術教育なんかも、ふつうの授業程度でしか受けたことがない。最後はアメリカの大学にいた。そこで卒業前の一学期、興味本位で取った版画のクラスの先生が、「あなたはアート専攻にして学校に残って大学院に行きなさい」って言ってくれたんだけど、その時は「はっ? この人なに言ってんの?」って感じだった。
 別に「行っときゃ良かった」と思ってる訳じゃないけど。

 28才の時にある切欠があって、まあ描きはじめて、そしたらそこにグワーっと降りてきて来たのがこれだった。それからただただこんなのばかり描き続けて九年半。すべて一発勝負のフリーハンドだけど、これまで失敗したことが一度もない。

 この絵を見つけた時に、生まれて初めて自由になった気がする。あの時は嬉しかったなあ。やりたいことをただやれば良いんだと気付くのに28年。本当に自由なんだって気付くのに28年間もプロセスしたってこと。

 
 
 
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2010年03月07日

エヲカク(3)



 未明に一区切りついたかなと思った絵を、目覚めて見直す。サイズはデカいんだけど絵の世界がどこか小さい。苛立ちが自らの世界を萎縮させている。無理にテンションを上げてみても無意味。やっぱリラックスしたうえで高揚しなきゃ。

 こちらがドップリとその世界に入り込める音楽家の演奏とのライブセッションで絵を描くのが気持ち良いのは、このリラックスと高揚感と大きな関係ある。
 無思考状態だけど、思考停止状態ではない。描こうとしている世界がバーストする感覚。明らかに音楽の演奏の力を借りている。なにしろ真横で、もしくは背後で音楽が鳴り響いており、それが障壁無くそのまま伝わってくる。

 対して、自室にて独り描く。この孤独な作業に飛び込むために最適なマインドセットを、常態として維持するのにはどうしたらいいのかな。一筆二筆入れてしまうと大抵はそのままトランスしちゃうんだけど、ごく時々それが難しいと感じることもある。孤独な作業とは言えその快楽は計り知れないんだけどね。思考が快楽を拒絶しちゃうような感覚と言ったら良いのかな。

 描いた物を見直すと、そこには実に正直な結果が残されていて、やっぱりうかうかしてられないなと思う。
 
 
 
 
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2010年03月05日

エヲカク(2)

20100304.JPG

気になることが多すぎて、あまり調子が良くない。自宅兼アトリエ計画は頓挫。また妻と作業場や作業時間を譲り合いながら、条件の許す夜にだけ、絵を描くことになる。目に見える結果を出していないから、言いたいことが伝わらないのかもしれない。不徳の致すところ、だわな。使い方が違うような気もするけど。でもだったらやっぱり結果をもっと貪欲に追及してゆくしかないのかな。でも結果って何だろう。とにかく今は5月の神戸の個展だ。そこに気持を向けて、とにかく状況の許す限り描くしかない。

夕方、インド人作家のラディカ・ジャとコーヒー。この束の間に創造的なエネルギーに触れて、ちょっとだけ気分転換ができた。意識が落ちている感じだったので、階段を上った先のテーブルで。

ゴタゴタ続きだったけど今夜は10日振りくらいに絵を描くことができた。なにやってんだろうな。でもとにかく無心になれて、これがあるから心底ホッとできる。仕事だってガシガシしてるさ。
 
でもまあ逆境って、ひたすら絵を描くには悪くないみたい。
極度の集中力で、精神的な疲労は、明らかに解消される。
 
 
 
 
 
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2010年02月24日

エヲカク(1)

 いったん絵を描きはじめると、ものすごい勢いで集中してしまうので、さすがに疲れる。こうと決めてそれをとにかく丁寧にやるしか脳がない。でも、丁寧な作業をひたすら続けていると、丁寧に生きているような気持ちを確かに味わえる。丁寧に生きるというのがどういうことかというと、それは誤魔化しがないというのに似ている。

20100223.jpg

 とにかく描くしかないから描く。描きたいから描く。それだけの話。
 
 
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