ちょっと前に、それこそ名前も通っててメディアなんかでも名前を普通に見るような、表現に対する情熱も鍛錬も精度も志も高くて、所謂プロフェッショナルなパフォーマンスをプロとして行っている、ぼくの尊敬している大先輩のような芸術魂の人とお酒を飲みながら四方山話をしていたんだけど、その時その人が言ったことが、今頃になって響いてきたという話。
その人がその夜に言ったことって「俺達がこういうちょっと変わったパフォーマンスをしているって判るとさ、ここでやりませんか、とか、何かやってくれませんか、っていうような話を、まあよく貰うんだけど、多くの場合それって、ただ来てやってよっていう話なんだよね。俺達がこれで生活してる、人生を生きてるっていうことは、判ってもらえていないみたいなんだよね」っていう話。
実はこの9月に都内の、なんていうかファッショナブルで高級とされているエリアにあるモード系っぽい美容院で、マリオ曼陀羅を内装に展示するっていう話をもらっていたんだよね。というところからの顛末。ギャラリー機能を備えた美容室、っていう説明を受けて。
その話をもらったのはまだ年初。1月か2月か、もしかしたら3月頭? とにかく今年のまだ早いうちのこと。ちょうど赤坂のANAインターコンチネンタルホテルのロビーにぼくの作品6点ほど飾ってもらっていた時で、そこでその美容院の責任者と顔合わせをして、そういうオファーをもらった。それで、じゃあ9月にやりましょう、っていう話になっていた。で、そのお店の下見などもしていた。それで準備もしていた。まあ立地に違わず素敵なスペースでしたよ。
先日っていうか数週間前、そのお店での打ち合わせ。どうも話を聞くと、展示については全てアーティスト側の負担だし、DMを出すならそれもアーティストの負担。オープニングのパーティーをできればやってという話もあって(これは義務じゃないらしいけど)それも飲食物からゲストを呼ぶならそのギャラまで全てアーティストの負担。集客もアーティストの責任範疇で、っていう話だったんだよね。お店はホームページに情報を乗せるから、自身のサイトを持っているアーティストさんは、展示期間中は必ず相互リンクを貼ってくださいという説明。
細かなことを言えば、フレームされた作品を吊り下げるレールはお店に元々装備されているけど、そこから先のワイヤーなどの備品についてもアーティストが準備して、要は持ち出し。あらゆる経費はアーティスト負担。っていう話で、この場合のアーティストっていうのは、そう名乗ったことは無いけれどもとにかく僕のことで、つまり全部が全部、僕の持ち出しで負担っていう話だったんだよね。ちなみにぼくはこの場合には画家です。
お店はマンスリーでアートやイラストや写真の展示を入れ替えて、要はそれが顧客に対するサービスというか、そのお店の売りのひとつにもなっているような様子もないわけではないわけ。美容室ってお店って呼んじゃいけないのかな? まあいいや。
僕は年初にこのオファーを提案としてもらった時に、要はお店に対してコントリビュートする形でのアートのというか作品の提供を依頼されたと思い込んでいたわけだから、ミーティングの後で狐につままれたような気持になったんだけど、それは少なくとも僕からしたら当然のリアクションだと思うんだよね。作品というかお店のための装飾美術品だよね、この場合、ぼくが思ったのは。装飾美術はちなみに好きです。
ギャラリー機能を備えた美容室とはいえ、そこはあくまでも第一義として美容室だから、展示と言っても要はそのお店のお客さんの為の展示だよね。まあそれはそれで良い。知らない人の目に作品が触れることになるのは、それは良い。ただあくまでもそのお店に髪を切りに来たり、メイクをされにきたりする人の為の装飾美術という認識でいました。展示した作品には値段を付けても良くて、買いたいという人が現れたような時には、まあ販売が行われるということで、その手数料がお店20%、作者80%。これは別に悪い条件ではない。ただ、だからと言って作品を売るための営業努力をしてくれるのかと訊ねると、うちは美容室だからそういうギャラリー的な性格については特に……という返事。まあ売り絵と思って描いてるわけでもないし、生活については他で担保すべく日々仕事もしている訳で、というかそうしなきゃしょうがない訳で、っていうか大好きな本のことを仕事にしているので、これはこれで物凄く素晴らしい仕事なんだけど。
とにかく腑に落ちないままの気持ちを抱えて魂を込めた展示ができるのかって言ったらそんな筈もないので、そこの責任者に対して主にメールでこちらの気持ちを伝えたんだよね。作品は提供すると言ったけど、それ以外のことまでこちらの負担にされるとは露ほども思っていなかったということを。しかもDMから備品から何からというのは理解し難いと。ただフレームに収めた絵を飾るという所謂普通の形での展示プランを思い描いていたわけで、特に展示に手間や余分な工事や材料が必要なプランなんてまるでないのに、その普通に絵をぶら下げる為の道具まで全てアーティスト持ちというのは、どうにかならないものか? ということをメールで書いて伝えたわけ。アーティストの利よりお店の利の話だよね、ということを確認させてもらいたくて。
これは別にぼくの状況が窮しているからという訳ではないですよ。ただ余裕もそんなにないけどさ、子供二人と独立したての妻がいるしね。
ただ「
マリオさんにお金とか労力に負担があるようであればキャンセルしますが、いかがいたしますか?」っていう言葉が返されてきた時は相当に残念な気持ちになったというのは、これは正直なところ。そういう話じゃないでしょう!
まあいいや、いやよくないけど。
とにかくお店から渡された仕様書みたいなのに、そういう条件的なことって、作品のサイズとか、あとは要は売れたら20%いただきます、っていうことくらいしか書いてなかったから、展示その他について発生する経費はどうなるんでしょうか、っていう相談のメッセージを送ったのが、この話の切欠になったんだけどね。条件々々言いたくないし言うつもりもないけど、でもどうするの?って思うでしょ?
そしたら、まあなんとなくそんなかなと思ってはいたけど、通常は貸画廊などのスペースを利用すると作品を展示する側には物凄い出費になるんだけど、要はその分の出費が無いんだから、それでアーティストにはじゅうぶんな利になっているだろう、というような返事が返されてきたんだよね。2月だか3月だかの当初から、お店が提供するのは環境だけみたいな説明をしてたっていうんだけど、そこについては僕がその時に確認しなかったのが悪いのかもしれないけど、展示に必要な備品からなにから全てアーティスト負担だとは、これっぽっちも想像が及んでなかったんだよね。そんな話を聞いたこともなかったし。いや、聞いたことくらいはあったのかな、覚えてないだけで。よくある話と言われればそんな気もするけど、それはまあ今になって思えばってことでしかないよね。っていうか聞いたことないな、やっぱり。貸画廊的なビジネススキームじゃないわけだし、この場合。
でも、百歩譲ってこれはあり得る話かもしれない、ここにはアーティストと依頼主との円満な共存関係が成立しているんだ、と言えないこともないのかもしれないけど、やっぱり腑に落ちないので、作品を貸し出すだけでは足りないのであれば、展示については白紙に戻させてくださいって最後にメールすることになったんだけど、まあそれに対する返事はまだ頂けておらず、ってことで、まあ9月のそこでの展示は無いってことでいいのかなっていうことですね。ってことで、今は気持ちが逆にというか割とスッキリしちゃったんだけど、やっぱりいろいろ考えると、これって正直どうなのかなぁと思ってしまうんだよね。
特に美術の世界っていうか、他の世界って言ったら仕事で関わっている出版の世界くらいしか良く知らないけれども、そこで実際に物を作っている人達に対する配慮って無いのかなということを、こういう機会に感じさせられる。
出版の世界は、まあ仕事の依頼があって、そこに対しての労働があって、そこでなにかがギャランティーされる、労働が労働として認められる、という仕組みが仕組みとしてある程度は前提条件のような形で成り立っていると思うけれども、比べて美術の世界って、そういう仕組みが本当に乏しいというか、むしろ蔑にされているような気さえする。卵が先か鶏が先かという話じゃないけど、そういう仕組みというか認識があるかないかというのは、そこにどのような才能が集まるかっていうことと、大きな関係があると思う。
先のギャラリー美容院の責任者が、恐らくまったく悪意なくそう言ったとおり、何かを作っているんだったらそれをタダで人に見てもらえるだけで作り手にはじゅうぶんでしょ、というような雰囲気って美術の世界にものすごく蔓延しているような気がする。だから貸画廊のような、僕から見ればまったくフェアなビジネスとは言い難いようなビジネスもスキームとして平然と成立してしまう。そういうのが全て悪いとは言わないけれども、そういうのがあたかも当然でしょというような感じには、なんかもうどうしょもなくゲンナリさせられる。悪意もないかもしれないけど配慮もまったくないよねということ。
そういう状況のなかで物を作るのが当然と思いこんでしまっている作り手の側も作り手の側で多いっていうのも問題だよね。勿論好きで好きで大好きで作っているんだろうけど、どうやってそれを続けてゆくつもりなのって、余計なお世話かもしれないけど思うから。情熱のある人達がどんどんドロップアウトしてゆくような世界じゃどーしょもないだろと思うから。
要は双方向的なコントリビューションっていう概念がまったく欠落してしまっている世界なんだと、改めて思った訳です。
僕はまあ仕事をし始めてから、割と遅くなって、まあ30近くなってから絵を描きはじめて、そうこうしているうちに人に作品を面白がってもらえるようになったんだけど、じゃあどこかで発表しようかっていう話がちらほら出始めた時から、そういう非合理的で足元だけを見るようなシステムには絶対に賛成しないし乗っからないで、そのうえで出来ることを探してやっていこうと決めていたから、作品をタダで見てもらえるんだからその機会のためには何から何まで自分の負担でやれよっていう話には、当然のこととして共鳴も共感もできない。
とはいえ、予め成立している信頼関係みたいなものがあるような場合には、じゃあ気に入ってもらえているなら無条件で絵を描きますよ、むしろ描かせてよっていうことも勿論ある。だけどそれとこれとは全く意味の異なった話だと思う。こちらのケースだと、一緒にやろうぜってことだけど、上記のケースだと必ずしもそういう訳じゃないからね。それで、あなたの夢というか活動というか、そういうものをサポートしてますって言われてもね……。別に夢でもなんでもなくって、実際に描いて作っているわけでさ、作品を。それを飾りたいって言われたら、こんな話だとは思わないでしょ普通。おかしいかな。
まあ要は、そんなことばっかり言われていたら身が持たないっていう話ですよ。勿論好きで描いている訳だけど、だからこそっていうのもあるんだけど、果たしてこの気持ちを判ってくれる人はいるのでしょうか。
ってことで、結論としては、やっぱり信じるように自分のペースと遣り方でやらせていただきますよって事に尽きるんだけど。まあ今回の話はちょっとびっくりしたということで、書いてみました。
別に偉そうなことを言っているつもりもないし、そういう訳でもないと思うけど、一体全体どうなんでしょうね。
まあ裏を返せば、自分がまだまだそれくらいの人間だってことでもあって、それを承知で恥を晒してみましたよ。
でもやっぱりちょっと偉そうなことかもしれないことを言わせてもらうと、企画者サイドにパッションを持って作品を扱ってもらえないような場合には、相手がだれであろうと画家として関わる理由が生まれません。僕の絵は幸いなことに、とても有り難いことに、いくつかのギャラリーや代理人を通じての取り扱いもしてもらっていますが、彼等が作品および展示(勿論ぼくのという訳ではなく一般的に)に対して払っているリスペクトを考えると、それを裏切る行為は慎むべきだと考えるわけです。