■ エヲカク ■

2012年01月19日

壁画プロジェクト「キースが願った“平和”の実現を願って」@キース・ヘリング展『LOVE POP!』

今週末、来週末、伊丹市立美術館で催されているキース・ヘリング展『LOVE POP!』で、壁画プロジェクトをやります。



壁画プロジェクト「キースが願った“平和”の実現を願って」
1月21日(土)・22日(日)・28日(土)・29日(日)
21日:13:00-16:00、
他日:11:00-12:00、13:00-16:00
出演:田内万里夫
場所:美術館外周

※ 一般参加者に、マリオ曼陀羅の壁画を手伝ってもらいますよ。
※ ぜひ、ご参加ください!

http://artmuseum-itami.jp/keith/

キース・ヘリングの絵を知ったのは、多分まだ中学生の頃。
80年代の後半のことだったと思う。

あの当時キース・ヘリングの絵を見たことがないという日本人は、おそらくほとんどいなかったのではないだろうか。

ぼくはその後、高校生になってストリートアートに心惹かれてゆくのだが、キース・ヘリングからの影響もあったのだと思う。
エイズ/HIVという病気を知ったのもその頃。

今回のプロジェクトは、キース・ヘリングが1987年に東京、多摩市のパルテノン多摩で約500人の子供たちと絵を描いた、そのスタイルを踏襲して行います。

ワークショップや壁画を数多くやったアーティストで、子供達のためのプロジェクトも多い。

「キースが願った“平和”の実現を願って」という副題の付けられた今回の壁画プロジェクトだが、キース・ヘリングが願った平和が果たしてどのようなものであったのか、それは美術館内に集められ展示されているキース・ヘリングの作品を見て、改めて感じてみたい。

こじつけと言われるかも知れないが、多くの日本人にとって過酷な一年となった2011年がそのまま続いている今年、僕はまだパンパンの頭のなかを持て余したまま、願っている。

なにを? 

あの日を境に、僕の願いは明確であるようでいて、実はものすごく漠然としてしまった。
目の前に突如現れた巨大な球に、うまくフォーカスできないでいるような状態だ。

それはシンプルな願いなのだ。
しかしそのシンプルさ故に、
そのディテールの無さに、
そのあまりにつるんとした表面に、
そしてその大きさ故に、
フォーカスを合わせることが却って難しく、
漠然となってしまった。

「キースの願った“平和”」が、まだうまく像を結ばない僕の願いの輪郭を浮き上がらせてくれるかもしれない。
そんな期待もすこしばかりありながら、僕は輪郭だけを、美術館の外壁に描きます。

輪郭のなかを埋めてくれるのは、真冬の寒いなか参加してくれる人々の筆だ。
(“雨天決行”って本気かよ?)

なにができあがるのか、なるべく具体的なプランを立てずにやろうと考えています。

学芸員の岡本梓さんと相談して、色だけは決めてある。
じゃないと絵の具の用意ができないからね。


「アンディ・マウス」(1986年)
中村キース・ヘリング美術館蔵(c)keith Haring Foundation


噂に聞く“六甲颪(おろし)”の冷たい風を初めて浴びながら、願って願って願って願って、願って来ようと思います。
 
 
 
 
 
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2011年09月14日

【Gensler / WA "和"】出展しますよ

gensler_wa.jpg※ クリックで拡大

Gensler Art Show
2 Harrison Street Suite 400
San Francisco, CA 94105
September 29th to December 2nd, 2011
www.gensler.com/
info: +1.415.433.3700

 まだ地震の前。原発の爆発する前。たしか2月だったと思う。

 サンフランシスコの Gensler という会社から「日本にちなんだ美術展をするので参加を…」という打診がきた。
 知名度もキャリアも乏しいうえに、いわゆるアートの文脈で言うとまあアウトサイダーと言っていいような僕のところに来るような話は、そもそも多くないうえに、詳細を探ってゆくと怪しいというか、営利目的の営業活動であるようなことも多いのが実情。もしくはきちんとしたギャラリーなどからの提案であっても、こちらには負担ばかりの話ということもある。
 なので「またか」と思ったけど、一応 Gensler なるものを調べてみたところ、どうやら大型店舗や公共の建造物などを主に手掛ける、大手の建築デザインの会社であることが分かった。各国に事務所を構えているようで、上海のユニクロとかも手掛けたりしているらしい。日本にも青山に事務所があった。
 青山の事務所に電話してみると「そういうのは本国の企画/仕切りなので、日本では把握しておらず、対応できません」とのこと。
 問い合わせしてきたさんフランシスコの担当者に詳細を訊ねたところ「正式にいろいろ決まるのは8月に入ってからで……」という返事。

 そこで地震、津波、原発。

 仕事だ子供達だ放射能だと、特に慌ただしかった三月以降、うっかりこの誘いについても忘れかけていたけど、七月、そろそろもう八月かぁというときに、はたと思い出し、担当者に「あの件どうなった?」とメール。

 そんなこんなで、マリオ曼陀羅(3作品x5点)とりあえず海を渡って、そろそろサンフランシスコに着くころ。
 サンフランシスコへは、もう14年も前に、当地に留学していた友人を頼って出掛けて一週間ほど滞在したことがあるだけだが、気持のよい町だったなあ。古くてボロいカルマンギアがまだそこらじゅうに走っていて、街の空気と溶け合っていた。
 
 原発のことなどもあって、国外に出るのも悪くないな、またサンフランシスコへ行きたいな、などと思っていた時にこんな話になったので、「引き寄せの法則か?」と思ったものの、どうやら29日のオープニング・パーティーについては、「ぜひ参加していただきたいです! でも旅費は出ません!」ということだったので断念。

 まあいいや。

 この5月にハワイ島の人が僕の絵を買ってくれそうになった時には、オッケー! ハワイにこの絵があったら嬉しい! とわくわくしたものだが、今度はサンフランシスコに、絵が実際に行くということで、オッケー。

 ぼくの代わりに良い空気を吸ってきてください。
 
"WA | an exhibition of the Japanese Art of Harmony"

"The manner in which a variety of art comes together to expess the beauty of Japan.
WA is the literary element of universal peace | the circle is infinity, harmony,universe."

 って、これそのまんま僕のステイトメントと親和性ばっちりのコピーがあって驚く。

 ポスターや企画のイメージは、ものすごく欧米的な視点でとらえた、典型的でベタな「和」なのだが、こういう「和」というのが、やっぱり「日本」の記号的イメージのひとつとして根強いんだよね。ポップ・イズ・クールなジャパンNIPPONもあるんだけど、ブシドー、ゼン、JAPANみたいな。OTAKU文化というか、クール・ジャパン的なものが、なんか先行しすぎている感じがするんだよね。それらを過度に先行させたがっているというか。
 そんな日本の今のドメスティックな嗜好性や文化も、まあ好きと言えば好きな部分もあるんだけど、やっぱりそんな日本のセルフイメージと、外から見た日本のイメージとの乖離というのが今もって小さくない思うし、それについては勿体無いなと感じることも多いので、このデザインでこの企画趣旨が送られて来た時には、なんだかちょっと嬉しかった。

「そうそう、日本ってある意味ずっとこんなところあるよ!」
 
 ということで、サンフランシスコへは、またいつの日か。
 運が良ければ、今回飛ばした絵が、あちらで誰かを捕まえてくれたりすることもあるでしょう。
 それに期待!!
 
 
 
 
 


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2011年08月11日

蒸し風呂のなかでフラッシュバック

 日中のオフィスが暑い。外も暑い。そして湿度が高い。集中しきるのがなかなか難しい状況で仕事をひとつずつやっつけていた時、ある展覧会の案内のメールが、ぼくが珍しく敬愛する芸術家の人から届いた。

 朦朧とした頭でその展覧会の能書き、ステートメント/"Parallax"と題された長くない文章を気休めに読みはじめ、思い掛けずその芸術家の原初体験を共感させてもらったのは、蒸し風呂のようなオフィスで体験した奇妙なトリップであり、フラッシュバックだった。

 時代は変わると言うが、高度経済成長期の結果のもっとも華々しい時期を僕たちは実は経験してきた世代だ。そのことを最近よく思う。社会経済の低迷(個人経済も同じく)や原発事故、表層化する矛盾やフラストレーションを、身の回りやニュースから感じ、より強くそう思う。
 その時代のわずかちょっと前には、戦後のどん底からバブルのピークへと日本をぐいぐい突き動かした、最も変化の激しい時期があった筈だ。
 親から子への、そのわずか一代二代の短い時間においてさえ、世界がまったくと言ってよいほど様変わりしていったのではなかったかと、自分が子供を持ち育てつつ、初めてそのような感覚が具体性を帯びている。

 貴重なテキストだった。

 僕自身の絵の原初体験もまた、幼児期、家庭、親というファクターのなかにある。僕の場合は、そこで掛けられた呪いを解くことができたのは30歳も近くなってからのことだった。
 なんだかそんなことを思い出しながら、その人のテキストを読むなかに、そこに描かれる彼の父親の経営していた写真館、そして“写場”と呼ばれた特別な部屋の風景、そのなかで過ごす少年の姿が、懐かしいような情景としてありありと再現され、今僕の頭に不思議なリフレッシュの感覚を及ぼしている。

 なるほど、今その人が注力しているのは視覚的な作品かもしれないが、その背景には、このようなことを言語化という手段をもってさえ伝え得る能力/感覚というのが在るのだなと感動を覚えた。

 思い掛けず清涼感を覚えたそのテキストを、勝手に引用させてもらう。

■ 桑島秀樹展「Parallax -内在する視差-」/Hideki Kuwajima "Parallax"
2011/9/2(Fri)ー9/24(Sat)

アーティストステートメント
"Parallax"

作品のベースとなる肖像写真は1950年代より60年代にかけて写真家である父により撮影されたものである。
当時は営業、広告写真及び写真作家は写真士(師)または写真家と一般的に認識される度合いが
現在よりも強く、特別な撮影技術を要した職人として業界隆盛の一端を担う存在であった。
また肖像写真家としての確立を更に目指すべく作品制作は父にとって絶対的なものであったと思われ
盛んにプロ、アマ問わず彼の審美眼に叶ったモデルがスタジオ、ロケ等で幾度もカメラに収められていた。
それら人像の殆どは営業写真のそれとは相反するように笑顔が無く且つ穏やかさが排除されており
僅かな点数に見られるその微笑みも重厚さを伴った独特な重苦しさで表現されていた。

自宅兼スタジオであった我が家にはそんな父の作品や仕事としての写真が溢れており
その家中において物心ついた私にとっての唯一の鬼門の場は"写場"(しゃじょう)と言われる2階のスタジオであった。
来客時以外は僅かな明かりが灯るだけのその場所には成人式や七五三等の商品としての写真を
凌駕する程の前述の作品が数多く並べられそれはある種営業を度外視した程に思える展示のさまで
幼い私はその場でそれら作品と対峙する事に奇妙な恐怖心を抱き続けていた。
現在ではそれゆえの「力強さ」と解釈できようものだが子供心にはそのような
理解力など持ち合わせようもなく、恐い割にはその理由を探そうとしたのか日中に限りそれらを離れたり寄ったりして
眺めたものである。
しかしその不思議な底気味悪さに変わりは無く整然と配置された作品群を前にすると
何者かに取り囲まれたかのごとく暗く重い空間に身を落とし込まれるような気持であった。

午後7時過ぎ写真館営業終了時、父の命により写場の照明を消しに行く役目は常に私であり
元来封建的な家風故その理由を聞く事すら出来ず暫くは必要以上の勢いで階段を駆け上がり
慌てて全てのスイッチを切り、そして階段を転げおりるという有り様であった。
あまりのけたたましさに程なく叱りを受けその後私は安全確実にその仕事をすべく
薄目をしたまま全てをこなす毎日となる、目をつむりたかったがさすがに手探りでは要領を得ない為、
眼前に広がるぼんやりした映像を頼りに明かりを消す事で仕事は手際よくこなせるようになった。
薄目で見たスタジオの風景に溶ける作品群は人像としては認識できるものの
手法を変えた事でその捉え方にも変化が生じある種ぼんやりした物体の一つ
として確認出来るようになり以前のそれとは違った印象で受け止められたのである。

その一連の作品との出逢いは結果私が作家として歩む上での重要な事柄となり畏敬の念を抱きつつ
今作ではそれら作品、父また写真を用いた表現者としての自らと如何に向き合うかを一つの課題とし
実験さながらの所作においてこの制作に至った。
前述のはっきりとした記憶を頼りにカメラを肖像作品に向けそして私(レンズ)が写り込んだ画像に
焦点を合わすとそれは丁度薄目をあけて見ていたあの頃のぼんやりした作品がファインダーに
表れた、そしてまた作品に焦点を合わせまた自分に焦点を合わせ直してみる、
繰り返していく程その動作は見えない距離を測る行為にも思え、カメラの小さな目盛りでは
測り得ない近くて遠い記憶との距離を感じたのである。
そしてその始終を多重露光を用いて一枚の写真に仕上げた時その鑑賞距離の変化によって僅かに
変貌する二重潜像の内在する視差からは前述の父との関係性と併せ自らの生業の趨向をもぼんやりと確認する結果となった。


 展覧会は彼の地元、大阪でのものだそうで、残念ながら今回は足を運ぶことができないと思うが、幅のある人物の生むストイックな表現の世界がそこにあることが判っているので、関西方面の人は是非足を運んでみてください。

●The Third Gallery Aya●
ギャラリースケジュール
大阪市西区江戸堀1-8-24若狭ビル2F
TEL/FAX:06-6445-3557
休廊日:日曜・月曜
開廊時間:火〜金/12:00〜19:00 土/12:00〜17:00
http://www.thethirdgalleryaya.com/
 
 
 
 
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2011年05月05日

【田内万里夫展@Gallery Bar Kajima】5月9日〜

 連休明けの5月9日(月)より『田内万里夫展』が銀座7丁目のGallery Bar Kajimaにてスタートします(5月28日まで)。



 最寄駅は有楽町か新橋。
 飲食店の集まるコリドー街の一角にある、癖というか味のあるギャラリーバーです。

 ここ数カ月のあいだ描き溜めてきた、というほどの点数でもありませんが、20点にちょっと足りないくらい、お見せできればいいなと思ってます。

 ぜひ、お立ち寄りください。

田内万里夫展
2011.5.9 (mon.) - 28 (sat.)
Gallery Bar Kajima/ギャラリーバーカジマ
http://kajima.socoda.net/
東京都中央区銀座7-2-20
山城ビル2階
03-3574-8720


 少なくとも初日(5月9日)は、カウンターかソファでのんびり飲んでます。会期中の他の夜は、予定と気分が噛み合えば、なるべく現場で飲んでます。自分の絵に囲まれながら呑むのは、割と好きです。よろしければ一緒に呑みましょう。

 2007年に、生まれて初めて展覧会をさせてもらったところでもあり、また、店主の加島牧史さんとは奇妙な縁がいくつか重なってもおり、また、いわゆる現代美術とかそういうものとはなんというか無関係な空間でもあり、酒と料理と話の味わい深いカジュアルな店でもあり、なんというか、リラックスした空間を作ることができればいいなと思って、今、ちょっとだけ、最後の追い込みという感じのゴールデンウィーク。
 
 Gallery Bar Kajima での展覧会は3度目ですが、その都度、案内状には店主の加島さんの言葉が添えられています。今回は:

去年から続いていたあたふたがある時腹からふっと消えた。すっと力が抜けたのだ。震災とこのあたふたとずっと繋がっていた。腹と地面がどこかつながっている。マリオのマンダラは腹で分かる感覚があるのだろう。なにかを知る時自分の中に聞くことしかない。自分の中の他に耳をかたむけると、マリオマンダラの世界はこのように答えてくるのだろう。 
加島牧史


 ではでは、お待ち申し上げております。

※ 案内状の表の「2011.5.6(Fri.) - 28(Sat.)」という表記は、
  たぶん何かの間違いだと思います。
  そんな感じの緩さのある、気持ち良いお店です。

 
 
 
 
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2011年04月28日

南国ソフト+マリオ曼陀羅 Tシャツ 2011 version!

今日で震災から49日。巷は四十九日。ダライ・ラマ14世が護国寺で特別慰霊法要を執り行うようだ。


(株)南国ソフトさんが会社のノベルティ用に、マリオ曼陀羅デザインでTシャツを作ってくれました!

株式会社南国ソフト
http://7659sw.com/

南国ソフト+マリオ曼陀羅 Tシャツ 2011 version、チャリティにすべく限定的に販売許可をもらっています。なので、下記の場所に置かせてもらおうと考えています。

● Gallery Bar Kajima(銀座7丁目)
5月9日(月)から「田内万里夫展」を開催します。
http://www.hotpepper.jp/strJ000788885/
展覧会の詳細情報は、また後ほど。

シャルトリューズ・カフェ(世田谷区・祖師ヶ谷大蔵)
5月29日に予定されている、ドリアン助川(明川哲也)さん主催のチャリティ朗読イベントにて、朗読後の歓談タイムにまたライブ・ドローイングすると思います。
前回4月24日(日)のイベントでは、岩手県から宮沢賢治を取り上げて、その人生と詩が朗読されました。
次回5月29日(日)は福島の詩人、更に6月の次々回は宮城の詩人が取り上げられるようです。
・明川さんのサイトhttp://www.tetsuya-akikawa.com/
・カフェのサイトhttp://chartreusecafe.com/

Tobin Ohashi Gallery(日本橋・馬喰町/横山町)
http://www.tobinohashi.com/

上記各所にて、限定的に販売しようと思います(準備中)。
カフェの販売は5月29日のイベントで。
売上の利益は、ドリアン助川さんのチャリティイベントを通じて赤十字経由で、被災地にあてる義援金として寄付させていただきたいと思います。提案しようそうしよう。

3月11日、あの震災の誕生日以降、世界が大きく変わってしまった。
少なくとも、幼子を育てている身にとってはそうだ。
福島第一原発の事故…… 放射性物質による汚染……
聞こえてくるニュースは概ねヒドイ。
 
 
 
 
 
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2011年03月03日

描くと広がるというのは自然でいいね

 良くできた趣味!なのかな。必然性があるのかなとも思う。人生に趣というものがあるならこれは趣味。絵はとても個人的な行為であるが故に、法則性もなにも判らず、リアルな実地のみがそのくねくねとした軌跡。
 ただ描いているものが手元を離れて一人歩きしてゆくのは良い感じ。すごく自然なことのようにも感じられる。流れに沿って、害がないというのは良いことだ、生きているうえで。
 

商店建築(2011年3月号)


 昨年、お店のオープンに当たって描かせてもらった新橋のバー“anis”のカウンターバックの壁画が、素敵な写真で掲載された。『商店建築』誌は、店舗デザインを主に取り扱う建築関係の専門誌。オーナーの山内さんとAzone+Associates Inc.のディレクションでお店のコンセプトが作られ、それを具現化したのが大塚 ノリユキ・デザイン事務所の大塚さん。その仕事として掲載されたもの。ぼくの絵はオマケ。



anis
住所: 東京都港区新橋3-2-10 Ono bldg, 2F
電話: 03-6268-8969
地図: http://bit.ly/f5TKGr



 それから
『アートコレクター』誌
(4月号
)。どういう訳だか「画廊/編集部が選ぶ2011年の新人アーティスト」という企画に紛れて小さく掲載。ちょっと変な感じ。美術という脈をほとんど意識せずにただ絵を描いている身としては、こうして共感してくれる人があるということには有り難い感じ。新人アーティストって良く判らないけど、ベテランになったら何か変わるの?

 絵を描きながら思うことはただ解放ということ。解放というのは、ぼくの考えだと均衡があって初めて成り立つもの。均衡が元にあるのか先にあるのかは、それぞれ。バランスに意識が向いてしまうと、もう解放は為されない。均衡を意識しなくても良いほどの集中もしくは放棄もしくは安定がその表現のなかにあったり動機になっていたりして、はじめて成り立つ解放。当初動機になっていたのは、放棄を覚悟しつつも求める平衡の、餓えに近い集中だったような気がする。それがたまたま先ずは自分にとって、やってみたら思い掛けず気持ち良い発露だったという話。
 そこに共感があって、なんとなくなんとなく、今に至って、この先もきっとなんとなくが続く。
 源から離れなければその流れは続く。源から離れたら涸れるかもしれないな。そう思うと、源を意識した生き方になる。源を意識すると、結局重要なのは自分ではなく源。その意味を説明するには、やっぱり絵なんだけど、この場合。

 anis の紹介記事ということで、一昨日発売の雑誌『PEN』。
 それから『クレア』だか『FRAU』の女性誌、こちらは天井に絵を残してもらっているギャラリー、Radium von Roentgenwerke(レントゲンヴェルケ)の紹介記事に写真として絵が出ているらしい。どちらも棚ボタ的な露出。確認していないけど、ルーペでも無いと絵柄は見えないかも。
 でも、人目につく場所に絵が張り付いているというのは、何を思って描いているのかということから言って、ほんとに有り難いことだなと思う。何を思って描いているのかと言えば、それは先ずは森羅万象に対する肯定で、肯定する世界の広がりというのは、翻ってぼく自身の足場の広がり。だから肯定すべきものをすべて肯定して、この絵はどこにでもあればいいのだと思う。どこでそれを拾ってきているのかは、またややこしい話。あっちとこっちが自然に溶けて混ざる感じ。
 価値ではない。価値はおそらくほとんど無い。あるとすれば無価値。
 ただ行為があるだけ。明らかに過ちとなる行為がなければ、あとは現象を先取りして受け入れてゆけば良いんじゃないかなと思う。
 意味が判りにくいとは思うけれども、先にあることを受容してゆくということは、元にあったことも受容してゆくということで、その工程として、ぼくの場合はエヲカクという行為がたまたま転がってきただけ。
 だから絵は最重要事項になり得ず、ただ、無くてはならないものではある。あって良かったというものであり、それがあるべきもの、というか、あるもの、になってゆく。あるものになってしまえば、それはもうあるわけなので、後はなにを気にする必要もない。元より多分ぼくは何も気にしていないんだけど。

 とにかく、そこになにかが存在していると感じてもらえるということは、とても有り難いことです。
  


上記 anis の壁画。題して『anisの壁』 ……そのまんま。

 
 
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2011年01月10日

展覧会の初日、気持ちの良いパーティーでした。御来場の皆様ありがとうございます!



 2011年の幕開けは、1月8日、日本橋、馬喰町、Tobin Ohashi Gallery での展覧会のオープニング。大勢のお客さんに御来場いただき、賑やかなレセプション・パーティーとなりました。ありがとうございます。





 ストリート/アンダーグラウンドの視点から、ファッション/カルチャー関係の様々なメディアで活躍をしている joji photo こと写真家の嶋本丈士さんとのコラボ。まさに今としか言い様のないシーンが白黒映画の良い時代のなかで再現されてゆくような写真群。ソリッドでクール。



 今回ぼくが出展している絵は、去年の神戸 Gallery Yamaki Fine Art で発表した大型の『想像図』のシリーズより「1」と「2」。それから、去年から取り組んでいる『トリコロール』のシリーズ。



 これまではモノクロでの「マリオ曼陀羅」シリーズをとにかく描き続けてきたのですが、『トリコロール』のシリーズはその名のとおり「色」に意識を向けた絵。3色で構成しているので、そのまんまのトリコロール。世相に殺伐とした閉塞感を感じるので、敢えてライトでポップな色で構成し、少しでも楽で軽い作品にしたかった。

 パーティーは大盛況で、思い掛けない人々にも多数足を運んでもらい、会場は大きなリビングルームを使ったパーティーのような雰囲気。飛び交い耳に届く人々の言葉も日本語、英語、ナントカ語。Tobin Ohashi Gallery 的で、お陰様でとても気持ち良い一夜となりました。大橋さんボブさんに大感謝。お世話になるだけではなく、こちらからももっと貢献してゆきたい。

 展覧会は、2月10日まで。
 会期中に、嶋本丈士さん、それからぼく、それぞれのトークイベントもあります。
 ぜひ、ギャラリーに足を運んで、作品を楽しんで頂けたら幸甚です。
 ※ 月/火は基本的にお休みみたいです! 要注意!
 Info: http://bit.ly/dMs4wV


 で、打ち上げ。
 ギャラリーより程近い、ギャラリスト御用達の鳥番長にて。
 いやー、すごかった。ぼくは殆どなにも口に運べず。でもお腹いっぱい。いい夜だったということですね。酔いつぶれもせず。ほんとにほんとにありがとうございました。

 解散後、帰宅の電車を逃したり近所だったりする画家、写真家、それとぼく、三人で、やっとやっと少しリラックスして呑み直し。夜の深みを経て、また朝。


 “自分のためにやること”は年明け早々やって手離れした。ここからはまた“人の役に立つこと”を考えて集中してゆく時間。どちらも自分の為であり、運が良ければ人の役にも立つかもしれない。役立った時にこそ得るものも共有できるものも大きいというのを体験的に知ることができたのは人生の現時点での幸い。
 なにかを殊更に“得たい”という訳ではないけど、続けてゆくためには得なければままならないことも多いから。
 



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2011年01月06日

Mario Tauchi Exhibition 田内万里夫展+嶋本丈士展 at Tobin Ohashi Gallery

 ということでこの土曜日、1月8日より、東京中央区馬喰町の Tobin Ohashi Gallery での展覧会がはじまりますよ。正月休み最後の4日、飾り付けも完了。



 マリオ曼陀羅/mario mandala 新作、最近取り組んでいるトリコロールのパノラマ・シリーズをメインに、和紙に黒インクの細密なものを展示。とにかく描く作業が楽しい作品群で、優しく楽しく気持ち良い浮遊感のある世界を追究。なにかとしんどそうな世相と、苦手な寒い季節の逆を行きたかった。
 相方は、写真家のJOJI SHIMAMOTO/嶋本丈士さん。ストリートや夜の人達と風景を、ここまでクールに写し取れるのかと驚く作品群。

 ソフトとソリッド、良いコントラストなのではないかと思います。

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http://www.tobinohashi.com/
営業日/時間: 水〜日/13:00〜19:00(※月/火は休廊)

-- オープニング・パーティー --
1月8日()/ 18:00~21:00

-- ART TALK/トークイベント --
● 嶋本丈士/JOJI SHIMAMOTO: 1月22日()17:00~18:00
● 田内万里夫/Mario Tauchi: 1月29日()17:00~18:00
 

 
住所: 東京都中央区日本橋横山町1-4
電話: 03-5695-6600 / 080-3252-7782
※ 馬喰横山(都営新宿線)/馬喰町(JR)/東日本橋(都営浅草線)/小伝馬町(日比谷線)

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 ギャラリーのサイトからもいくつか写真で見られるようなのですが、やっぱりそれよりも実物を見て気持ち良くなっていただきたければ幸甚。
 自分にものに限らずですが、ヴァーチャルとリアル、受ける波動も衝撃もまったく違うよね。音楽なんかもそうだよね。
 
 ぜひ、時間を見つけてお立ち寄りください。
 
 
追伸: 
オープニング・パーティーで、ぜひぜひ一緒に呑みましょうっ!
ひとりでも多くの御来訪者、お待ちしています!
 
 
 
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2010年12月19日

題して『anisの壁』という内装壁画を描きました。新橋にオープンしたanisというバー

 まだ先月だったか、旧友でもある void+ のじゅんちゃんから連絡あり、void+ がプロデュースに関わっているバーが新橋にオープンするのだが、内装の壁画の画家を探しているのでどうかと言う打診。年内に、という話だったので少し考えるべきかとも思ったが、同時に、考えるまでもないことで即答で承諾。12月に入り12日と19日の日曜日の休業日、それぞれ午後一杯を費やして絵を描いた。



 オーナーのバーテンダーの山内聡さんに普段のお店の雰囲気で音楽だけ流しておいて欲しいとお願いし、Jack Johnson のリラックスした歌声をバックに。



 元々クリスタルグラスのバカラ(Baccarat)直営のバー、B Bar(六本木、丸の内、梅田)の立ち上げからマネージャーとして関わっていたというバーテンダーの山内聡さんが独立して出したお店。

 オーソドックスなバーの印象から外れた不思議な空気感のお店をという考えで内装デザインは、店舗デザインなどで受賞多数:

● Noriyuki Otsuka Design Office代表の大塚則幸さん。
  http://www.nodo.jp/index.html


 全体的なディレクションをバカラやN響などをクライアントに持ち、デザイン、イメージ制作など手掛けている Azone+Associates Inc. とMori Design Inc.の協同で… ってまあ上記大塚さんを含めこの三者はもう長い仲間の関係らしく、仲間が集って楽しく仕上げたカジュアルですっきりとした心地良い空間。良い壁。

● Azone+Associates Inc.
  http://www.azone.co.jp/

● Mori Design Inc.
  http://www.moridesign.co.jp/

 小さな隠れ家的なお店はとても良い雰囲気で一発で気に入った。勿論バーテンダーの山内さんの人柄も含め。

anis
住所: 東京都港区新橋3-2-10 Ono bldg, 2F
電話: 03-6268-8969
地図: http://bit.ly/f5TKGr

 
 自分自身がお酒のお店を大好きだということも含め、いろいろと面白い現場で、絵を描きながら思うこと考えることも多かったので、年末のこの忙殺が終わったら、お酒と絵とお店と音楽と人などについて、ペンを走らせながら頭に浮かんでいたことなど記せたら良いなと思う。
 
 とにかく息もつけないようなこの年末のあれこれを乗り切ってから。
 でもそういう時期に、割とゆったりとした気分で、その場にステイする絵を描かせてもらえたというのは、とても良かったなと思う。

 現場に絵を描く為に赴く直前の馴れない街の通り道で、なんとなくソワソワとした背徳感にも似た感じというのは一体何だったんだろう、ということについて、これは創作に密接に関わることだと思ったので、これについては自分自身でその意味を飲み込むためにも、きちんと言葉で整理しておきたいなと思った。

 『商店建築』という建築系の業界紙に、もしかしたら掲載されることになるかもしれず、まだ描き掛けの段階の絵も紹介された同誌のサイト: http://bit.ly/eJWSrl
 
 
 仕事、絵、育児、仕事、絵、育児、仕事、絵、育児、酒、酒……
 

 今日は子供たちを連れて近所の大きな公園へ。
 鉄棒でくるくる回る娘(7)を眺め、その小さな同級生たちの遊び相手をしながら、束の間、冬晴れ、気持ちの良い空。


 夜中まで仕事を捌いて、それからまた絵。
 絵だけは一切ストレスを感じることがない。
 幸せな生き物だと思う。
 
 
 

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2010年09月21日

Tobin Ohashi Gallery オープンします【中央区日本橋(馬喰横山)】

 作品を取り扱ってくれているギャラリー“Tobin Ohashi Gallery”が、中央区日本橋(馬喰横山)に場所を移し、それに伴ってグランドオープニグの展示/パーティー(9月29日/30日)を催します。

【PREMIER SELECTION SHOW】とのことですが、ぼくの作品もいくつか展示されます。

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Tobin Ohashi Gallery
ギャラリーオープン記念
PREMIER SELECTION SHOW

http://www.tobinohashi.com/

■ 2010年9月29日〜10月30日(休廊:日・月)
■ 13:00〜21:00
■(9/29・30のオープニングレセプションは、18:00〜21:00)

場所: 東京都中央区日本橋横山町1−4
※ MAP:  http://www.tobinohashi.com/wp/ja/location/

お問い合せ: 03-5695-6600 or 080-3252-7782
hhh@gol.com
大橋人士/Hitoshi Ohashi
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 宜しければお誘い合わせのうえご参加ください。お待ちしております。

* * *


 このギャラリーは、大橋さんとボブさんという気持ちの良いお二人が運営しているギャラリーで、元々は Asian Collection Comtemporary Art Gallery という名前で麻布十番にあった。2007年に僕の作品を買ってもらったのが切欠で、その後縁が続いている。
 この年初から6月末まで、赤坂のANAインターコンチネンタルホテル東京のロビーにて、僕の作品が展示されてたが、そのアレンジをしてくれたのがこのギャラリーだ。
 これまではかなりカジュアルな趣のスペースにて、グループ展や企画展を中心に展示をおこなってきたギャラリーだった。今度はここ最近わらわらと現代美術ギャラリーが移転し、新たなランドスケープを形成しつつあるエリア(浅草橋、東神田、岩本町、馬喰町界隈)に場所を移して、所謂ホワイトキューブの形のギャラリーとなるようで、どう発展してゆくのかがとても楽しみ。オーナーの人柄というのは、なによりギャラリーの雰囲気に影響するものなので、新しいこのスペースも、かなりカジュアルな空気が流れるのではないかと期待しているが、移転の準備に取り組んでいる大橋さんから、なんとなく「満を持して」という気配が漂ってきており、それがまた興味深い。
 なんで興味深いかと言えば、元を正せばこのボブさん大橋さんの二人組は、たぶん純粋なアート愛好家だったということがあり、業界やアカデミズムとしてのアートとはまたちょっと異なった純粋な嗜好性にドライブされているのではないかと感じるというのがひとつと、それからオーナーの一人であるボブさんというのが某大学のビジネススクールで教鞭をとる教授だということがあって、これも所謂アートの文脈の外にもひとつ大きな視座を持っているというのがもうひとつ。視座も然りだけど、持っているチャンネルもまた、アートの主流とは若干異なるということがある。そのチャンネルについては例のリーマンショック以前以降で、主に外資金融関係の筋での非常に判り易い変化があったようで、それを間接的に体験できたのは面白かった。要は彼等はそもそも成り行き的に、主に外資の投資銀行家筋を相手にアートコンサルをしていきた人達じゃないかと、話を聞いてきた限りでは思うけどもしかしたら勘違いかも。とにかく元を正せば異業種に身を置く個別のアート愛好家だったのが、紆余曲折あって好きなアートを仕事にしてしまいました、というような流れはとても良いと思う。
 彼等との関わりのなかで、世間/社会と美術というテーマをまたいだ話をする機会がたまにあるけど、それが面白いんだよね。ボブさんに学者の視点があるっていうのも面白いな。ぼく自身が海外と国内を繋ぐ立ち位置での出版の仕事に従事していることから、例えば“Japan Passing”という言葉がリアリティを持って感じられる状況を肌で体験しているなかで、その言語の意味するところの本質性とその現象との狭間で体感している、体験を伴わないと感じることのできないリアリティを、ビジネスのフィールドだけではなく、美術の創作活動の一側面からもその現象を体験できたことは興味深かった。ところでそれはそれとしてジャパニーズポップアートって、それはそれで根付いた何かになってるみたいだけど、外国でも。日本人てなんというかポップなセンスが良いんだろうな。
 さておき、ボブさん大橋さんとの話になると、例えばそんな経済と文化などが関係しあって現状があんなやこんなになっているのか、という問い掛けに対する解というか意見にダイバーシティがあって、議論として刺激的。
「蛇の道は蛇」や「餅は餅屋」の慣用句もあるので、アートのある種クローズドな世界で、このギャラリーの異端としての立場がどのように物事の構築に響いてゆくのかということに興味がある。現場を仕切っている大橋さんは、本気でアートを生業としてしまった、元メイクアップ・アーティスト。

 ぼく自身が言ってみれば日本のアートの文脈では、というかまあその定義そのままにアウトサイダーアート(とかアール・ブリュット)と規定されるような立場から自生的表現を続けてきたということもあって、数年前から所謂アートの業界的文脈に触れる機会を得てきたなかで、その業界の特有の性質に対して違和感というものも感じたし、その業界が存在することによってしか成立しない素晴らしいあれこれも垣間見てきたと思う。そんななかでひとつ衝撃的だったのは、当初マネージメントを預けていたアートの事務所の代表から、アートの話になると「アートの世界は特別なんです」と繰り返し何度も言われたこと。そうかもしれない、という思いと、いやいや、家電の世界もアパレルの世界もコンテンツの世界も共通するあれこれがあるでしょう? という思いがその都度交錯した。共通する前提を踏まえたその上で、アートの世界の特異性を語っているのか、もしくはアートの世界の特異性だけを基準として世の中を見ることを無意識的におこなっているのか、そこの判断ができなかった。というか、打ち合わせや、もっとカジュアルな会話を通じては、むしろ後者なのではないかと感じたことも少なくなかった。それぞれの業界や世界が固有の文脈やら性質やらを持っていると言うのは承知したうえで、アートに関わったからこそアートの幻滅させられそうになった出来事だった。
 その人の言う通り、もしアートの世界が特別なのであれば、その特異性を見る為には内部にも首を突っ込まないことには発見を得られないわけで、それを試みたのは楽しい経験だったし、まあ今もその試みは進行中かもしれない。
 潜入調査としては不十分な踏み込みしかできていないのは承知のうえで、今までの経験からはアート世界の固有性/特別性をさして強く感じていない。もしかしたら、日本におけるアートマーケットの狭さが、それ故の相対的な帰結として発信者および受信者の個性を際立たせて、というか目立たせているというのはあるかもしれない。そして個性が際立たなければいけない世界というのは、不便かもしれないが決して悪いものではない。その不便さゆえにネゴシエーターとしての仲介者の持っている立場と力量がはっきりと出てしまうというのはあるかもしれない。それを指してその人が「アートは特別な世界だ」と言っていたのであるとすれば、まあそうかもしれない。

 で、今回の Tobin Ohashi Gallery に何を期待しているのかと言えば、そのアウトサイダー/インディーズの立場を持ってメインストリームに打って出ると言うハプニング的な面白さであり、その面白さゆえにアート本来の自由が担保されるのではないかということだと思う。

 まああらゆるギャラリーがインディーズであるのは間違いないんだけど、例えば僕が感じたのは“正規の”美術の文脈というかステップを踏んだうえで成立する物事により重要な価値を見いだしている業界内の人々から醸し出される、その限定的な雰囲気というのがあって、それはそれでリスペクトすべきものなんだけど、まあそれだけだと面白くもないし一般化もしにくいよな〜ということだったと思う。一般化しにくいから、クローズドな世界になっちゃっているというのもあると思う。
 好きな言葉ではないけれども、ハイアートとローアートのようなものが仮にあるのだとしたら、ミドルアートというものを探って、そこに居心地が良くってレンジの広い世界を作ってみたいなぁ。ファインアートというのは判るけど、ハイアートというのは感情的にちょっと……なんだよな〜。その対比としてのローも勿論……で。

 生産と、流通/消費の狭間にあってその中間的役割を果たせるということはどういうことなのか、ぼくは人々が文字にして紡ぐ出版コンテンツを仲介させてもらうという立場にあって、常に頭から離れることのないテーマでもある。プライマリーなギャラリーと言うのは、視覚的美術の文脈のなかにあって無くてはならない中間的存在であり、同時にギャラリーがその存在感を持つためには独自性が要求される。その独自性というのは何に保障されるのかと言えば、そこを商う人そのものであると思うし、そこに割くことのできる労働の総量ではないかと思う。
 ぼくは今回、新装の形でオープンする Tobin Ohashi Gallery については、この人達がまた本気でなにかを試そうとしているのではないかと感じているので、その出発点が“アウトサイド”の自由度の高さがあるからこそ起きるかもしれない地殻変動に興味と期待を持っている。

「ほーほーホタル来い」の歌ではないけど、「こっちの水は甘いぞ」と言える人達のところに、ホタルは集まるものだと思うので、業界の性質や固着性に囚われずに、甘く面白い空気を醸して行って欲しいなぁという期待があるし、またそういうカウンターを当てることによって、封建的な価値基準に物を当てていって欲しいなあという思いもある。この人達にはそれができるのではないかな〜と感じており、ぼくも一枚噛ませてもらっている次第。それが自分の性質とも状態とも合致する。

 ということで、そのオープニングの二夜については楽しみにしています。
 良かったら様子を見にきてくださいね。
 
 
 
 
 
 
 
posted by マリオ曼陀羅 at 02:26| Comment(0) | TrackBack(0) | art | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月19日

それじゃ身が持ちませんよっていう話

 ちょっと前に、それこそ名前も通っててメディアなんかでも名前を普通に見るような、表現に対する情熱も鍛錬も精度も志も高くて、所謂プロフェッショナルなパフォーマンスをプロとして行っている、ぼくの尊敬している大先輩のような芸術魂の人とお酒を飲みながら四方山話をしていたんだけど、その時その人が言ったことが、今頃になって響いてきたという話。
 その人がその夜に言ったことって「俺達がこういうちょっと変わったパフォーマンスをしているって判るとさ、ここでやりませんか、とか、何かやってくれませんか、っていうような話を、まあよく貰うんだけど、多くの場合それって、ただ来てやってよっていう話なんだよね。俺達がこれで生活してる、人生を生きてるっていうことは、判ってもらえていないみたいなんだよね」っていう話。

 実はこの9月に都内の、なんていうかファッショナブルで高級とされているエリアにあるモード系っぽい美容院で、マリオ曼陀羅を内装に展示するっていう話をもらっていたんだよね。というところからの顛末。ギャラリー機能を備えた美容室、っていう説明を受けて。

 その話をもらったのはまだ年初。1月か2月か、もしかしたら3月頭? とにかく今年のまだ早いうちのこと。ちょうど赤坂のANAインターコンチネンタルホテルのロビーにぼくの作品6点ほど飾ってもらっていた時で、そこでその美容院の責任者と顔合わせをして、そういうオファーをもらった。それで、じゃあ9月にやりましょう、っていう話になっていた。で、そのお店の下見などもしていた。それで準備もしていた。まあ立地に違わず素敵なスペースでしたよ。

 先日っていうか数週間前、そのお店での打ち合わせ。どうも話を聞くと、展示については全てアーティスト側の負担だし、DMを出すならそれもアーティストの負担。オープニングのパーティーをできればやってという話もあって(これは義務じゃないらしいけど)それも飲食物からゲストを呼ぶならそのギャラまで全てアーティストの負担。集客もアーティストの責任範疇で、っていう話だったんだよね。お店はホームページに情報を乗せるから、自身のサイトを持っているアーティストさんは、展示期間中は必ず相互リンクを貼ってくださいという説明。
 細かなことを言えば、フレームされた作品を吊り下げるレールはお店に元々装備されているけど、そこから先のワイヤーなどの備品についてもアーティストが準備して、要は持ち出し。あらゆる経費はアーティスト負担。っていう話で、この場合のアーティストっていうのは、そう名乗ったことは無いけれどもとにかく僕のことで、つまり全部が全部、僕の持ち出しで負担っていう話だったんだよね。ちなみにぼくはこの場合には画家です。
 お店はマンスリーでアートやイラストや写真の展示を入れ替えて、要はそれが顧客に対するサービスというか、そのお店の売りのひとつにもなっているような様子もないわけではないわけ。美容室ってお店って呼んじゃいけないのかな? まあいいや。

 僕は年初にこのオファーを提案としてもらった時に、要はお店に対してコントリビュートする形でのアートのというか作品の提供を依頼されたと思い込んでいたわけだから、ミーティングの後で狐につままれたような気持になったんだけど、それは少なくとも僕からしたら当然のリアクションだと思うんだよね。作品というかお店のための装飾美術品だよね、この場合、ぼくが思ったのは。装飾美術はちなみに好きです。

 ギャラリー機能を備えた美容室とはいえ、そこはあくまでも第一義として美容室だから、展示と言っても要はそのお店のお客さんの為の展示だよね。まあそれはそれで良い。知らない人の目に作品が触れることになるのは、それは良い。ただあくまでもそのお店に髪を切りに来たり、メイクをされにきたりする人の為の装飾美術という認識でいました。展示した作品には値段を付けても良くて、買いたいという人が現れたような時には、まあ販売が行われるということで、その手数料がお店20%、作者80%。これは別に悪い条件ではない。ただ、だからと言って作品を売るための営業努力をしてくれるのかと訊ねると、うちは美容室だからそういうギャラリー的な性格については特に……という返事。まあ売り絵と思って描いてるわけでもないし、生活については他で担保すべく日々仕事もしている訳で、というかそうしなきゃしょうがない訳で、っていうか大好きな本のことを仕事にしているので、これはこれで物凄く素晴らしい仕事なんだけど。

 とにかく腑に落ちないままの気持ちを抱えて魂を込めた展示ができるのかって言ったらそんな筈もないので、そこの責任者に対して主にメールでこちらの気持ちを伝えたんだよね。作品は提供すると言ったけど、それ以外のことまでこちらの負担にされるとは露ほども思っていなかったということを。しかもDMから備品から何からというのは理解し難いと。ただフレームに収めた絵を飾るという所謂普通の形での展示プランを思い描いていたわけで、特に展示に手間や余分な工事や材料が必要なプランなんてまるでないのに、その普通に絵をぶら下げる為の道具まで全てアーティスト持ちというのは、どうにかならないものか? ということをメールで書いて伝えたわけ。アーティストの利よりお店の利の話だよね、ということを確認させてもらいたくて。

 これは別にぼくの状況が窮しているからという訳ではないですよ。ただ余裕もそんなにないけどさ、子供二人と独立したての妻がいるしね。

 ただ「マリオさんにお金とか労力に負担があるようであればキャンセルしますが、いかがいたしますか?」っていう言葉が返されてきた時は相当に残念な気持ちになったというのは、これは正直なところ。そういう話じゃないでしょう!

 まあいいや、いやよくないけど。
 とにかくお店から渡された仕様書みたいなのに、そういう条件的なことって、作品のサイズとか、あとは要は売れたら20%いただきます、っていうことくらいしか書いてなかったから、展示その他について発生する経費はどうなるんでしょうか、っていう相談のメッセージを送ったのが、この話の切欠になったんだけどね。条件々々言いたくないし言うつもりもないけど、でもどうするの?って思うでしょ?

 そしたら、まあなんとなくそんなかなと思ってはいたけど、通常は貸画廊などのスペースを利用すると作品を展示する側には物凄い出費になるんだけど、要はその分の出費が無いんだから、それでアーティストにはじゅうぶんな利になっているだろう、というような返事が返されてきたんだよね。2月だか3月だかの当初から、お店が提供するのは環境だけみたいな説明をしてたっていうんだけど、そこについては僕がその時に確認しなかったのが悪いのかもしれないけど、展示に必要な備品からなにから全てアーティスト負担だとは、これっぽっちも想像が及んでなかったんだよね。そんな話を聞いたこともなかったし。いや、聞いたことくらいはあったのかな、覚えてないだけで。よくある話と言われればそんな気もするけど、それはまあ今になって思えばってことでしかないよね。っていうか聞いたことないな、やっぱり。貸画廊的なビジネススキームじゃないわけだし、この場合。

 でも、百歩譲ってこれはあり得る話かもしれない、ここにはアーティストと依頼主との円満な共存関係が成立しているんだ、と言えないこともないのかもしれないけど、やっぱり腑に落ちないので、作品を貸し出すだけでは足りないのであれば、展示については白紙に戻させてくださいって最後にメールすることになったんだけど、まあそれに対する返事はまだ頂けておらず、ってことで、まあ9月のそこでの展示は無いってことでいいのかなっていうことですね。ってことで、今は気持ちが逆にというか割とスッキリしちゃったんだけど、やっぱりいろいろ考えると、これって正直どうなのかなぁと思ってしまうんだよね。

 特に美術の世界っていうか、他の世界って言ったら仕事で関わっている出版の世界くらいしか良く知らないけれども、そこで実際に物を作っている人達に対する配慮って無いのかなということを、こういう機会に感じさせられる。
 出版の世界は、まあ仕事の依頼があって、そこに対しての労働があって、そこでなにかがギャランティーされる、労働が労働として認められる、という仕組みが仕組みとしてある程度は前提条件のような形で成り立っていると思うけれども、比べて美術の世界って、そういう仕組みが本当に乏しいというか、むしろ蔑にされているような気さえする。卵が先か鶏が先かという話じゃないけど、そういう仕組みというか認識があるかないかというのは、そこにどのような才能が集まるかっていうことと、大きな関係があると思う。
 先のギャラリー美容院の責任者が、恐らくまったく悪意なくそう言ったとおり、何かを作っているんだったらそれをタダで人に見てもらえるだけで作り手にはじゅうぶんでしょ、というような雰囲気って美術の世界にものすごく蔓延しているような気がする。だから貸画廊のような、僕から見ればまったくフェアなビジネスとは言い難いようなビジネスもスキームとして平然と成立してしまう。そういうのが全て悪いとは言わないけれども、そういうのがあたかも当然でしょというような感じには、なんかもうどうしょもなくゲンナリさせられる。悪意もないかもしれないけど配慮もまったくないよねということ。

 そういう状況のなかで物を作るのが当然と思いこんでしまっている作り手の側も作り手の側で多いっていうのも問題だよね。勿論好きで好きで大好きで作っているんだろうけど、どうやってそれを続けてゆくつもりなのって、余計なお世話かもしれないけど思うから。情熱のある人達がどんどんドロップアウトしてゆくような世界じゃどーしょもないだろと思うから。

 要は双方向的なコントリビューションっていう概念がまったく欠落してしまっている世界なんだと、改めて思った訳です。

 僕はまあ仕事をし始めてから、割と遅くなって、まあ30近くなってから絵を描きはじめて、そうこうしているうちに人に作品を面白がってもらえるようになったんだけど、じゃあどこかで発表しようかっていう話がちらほら出始めた時から、そういう非合理的で足元だけを見るようなシステムには絶対に賛成しないし乗っからないで、そのうえで出来ることを探してやっていこうと決めていたから、作品をタダで見てもらえるんだからその機会のためには何から何まで自分の負担でやれよっていう話には、当然のこととして共鳴も共感もできない。
 とはいえ、予め成立している信頼関係みたいなものがあるような場合には、じゃあ気に入ってもらえているなら無条件で絵を描きますよ、むしろ描かせてよっていうことも勿論ある。だけどそれとこれとは全く意味の異なった話だと思う。こちらのケースだと、一緒にやろうぜってことだけど、上記のケースだと必ずしもそういう訳じゃないからね。それで、あなたの夢というか活動というか、そういうものをサポートしてますって言われてもね……。別に夢でもなんでもなくって、実際に描いて作っているわけでさ、作品を。それを飾りたいって言われたら、こんな話だとは思わないでしょ普通。おかしいかな。

 まあ要は、そんなことばっかり言われていたら身が持たないっていう話ですよ。勿論好きで描いている訳だけど、だからこそっていうのもあるんだけど、果たしてこの気持ちを判ってくれる人はいるのでしょうか。

 ってことで、結論としては、やっぱり信じるように自分のペースと遣り方でやらせていただきますよって事に尽きるんだけど。まあ今回の話はちょっとびっくりしたということで、書いてみました。
 
 別に偉そうなことを言っているつもりもないし、そういう訳でもないと思うけど、一体全体どうなんでしょうね。
 まあ裏を返せば、自分がまだまだそれくらいの人間だってことでもあって、それを承知で恥を晒してみましたよ。
 
 でもやっぱりちょっと偉そうなことかもしれないことを言わせてもらうと、企画者サイドにパッションを持って作品を扱ってもらえないような場合には、相手がだれであろうと画家として関わる理由が生まれません。僕の絵は幸いなことに、とても有り難いことに、いくつかのギャラリーや代理人を通じての取り扱いもしてもらっていますが、彼等が作品および展示(勿論ぼくのという訳ではなく一般的に)に対して払っているリスペクトを考えると、それを裏切る行為は慎むべきだと考えるわけです。
 
 
 
 
 
posted by マリオ曼陀羅 at 01:06| Comment(2) | TrackBack(0) | art | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月18日

ひきつづき

 神戸のギャラリーヤマキファインアートで開催中の、同ギャラリーのコレクション展に、ぼくの絵が急遽加わることになって、今、展示の真最中です。8月14日まで。

ギャラリーヤマキファインアート(神戸)
コレクション展 
2010年7月15日(木)〜8月14日(土)
11:00 - 13:00 / 14:00 - 19:00 
日・月曜日休(休廊日は変更になることがございます)


〒650-0022 神戸市中央区元町通3-9-5-2F
2f, 3-9-5, motomachi, chuo-ku, kobe 650-0022, Japan
tel: 078-391-1666 / fax: 078-391-1667
http://www.gyfa.co.jp/index.htm


 ……ということは、5〜6月の個展を楽しんでくれた人がいたのかな、と素直に思えて嬉しいニュース。展示されているのは大きな作品「再現図」と題した物の1、2、3。

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 それから今、麻布十番のギャラリー Asian Collection で開催されている「Summer Drive」という企画展にもマリオ曼陀羅作品を飾ってもらっています。先日まで赤坂のANAインターコンチネンタルホテルのロビーにディスプレイされていた作品x6点。

Asian Collection
SUMMER DRIVE
住所: 〒106-0046 東京都港区元麻布3−10−9/2F
(電車: 麻布十番駅から6分 六本木駅から10分)
http://www.theasiancollection.com/
営業日: 金曜・土曜・日曜
(月・火・水・木は予約制)
営業時間:13:00〜19:00
轟友宏、尾形純、Agus Purnomo、山本学司の作品に混じってます。


 今日、息子(3)と一緒に、ギャラリーに遊びに行ってみたところ、尾形さんがたまたまいらっしゃって、会ってお話できました。ジェントルマンで素敵な人だった。


轟友宏さんの楽しい車の絵に意識を奪われる息子。
一台というか、一枚だけ電車の絵があって、それを見つけるなり
「江ノ電!」と一発で言い当てていた。


 しかし、幼子連れでギャラリーに長居は無謀というか無理だな、とまた改めて実感。初めて大江戸線ルートで出向いたんだけど、案の定というか、眠った息子を抱えて迷子になってしまって炎天下、休み休みの小一時間。眠り体温の上がった子供を抱えて歩く夏の街。巨大な湯たんぽ抱えて歩き続ける真夏の午後。そのようにして辿りつく先としては理想的な場所だった。


photo (c) Hitoshi Ohashi @ Asian Collection

 それでも少しはのんびりと話が出来て、良い時間だった。気負いも威圧感もなくて、ひたすらカジュアルでリラックスした空間。美術をこのように愛して楽しみたいという日常の延長にあるギャラリー。得難いスペース。結局、人柄なんだよな。
 
 
 
 
posted by マリオ曼陀羅 at 05:38| Comment(0) | TrackBack(0) | art | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月14日

ART OSAKA 2010 所感、ってまあ酔っ払ってただけですが。って訳でもなかったか。

 日曜深夜、大阪より帰宅。大阪は暑苦しかった。そして例のワールドカップの決勝戦をテレビ観戦したんだけど、それはまあ良いとして……。

 ART OSAKA 2010、初日の金曜日の夜に着いて飲んで翌日、ガンガンする頭で知らない道を徒歩にて会場の堂島ホテルを目指してみる。案の定迷子。三井住友の荘厳なっていうか、いかつい神殿と監獄の融合みたいなビルが燦々と照らす太陽を浴びて威圧的。エンタシスの柱? ここはどこだ? 二日酔いと空腹のダブルパンチのクラクラ頭でうどん屋さんを探すも、大阪なのに何故か目に付くのはラーメンの方が多い。何故?
 さんざんぐるぐるぐるるる〜っと、びしょびしょに汗かきながら歩き回って、発見したうどん屋さんは讃岐のうどん屋さん。まあいいや、と入ってみたら冷やしぶっかけうどん美味しかった。おまけに現場のホテルはすぐ目と鼻の先だった。



 Room#1117、ギャラリーヤマキファインアートからの出展。午後2時過ぎ。大入り。クローゼットに、というかそのクローゼットの六連扉が僕の絵の展示場所だったのだが、とにかくそのなかに荷物を放り込ませてもらう。
 同部屋でぼくの目を惹いたのはクロード・ヴィアラ(Claude Viallat)の作品。60年代後期のフランスで“シュポール/シュルファス”というアート・ムーブメントがあったようだが、その代表格の作家のひとり。Support/ Surface、つまり支持体/表面という意味だそうで、それ以外にどんな意味があるんだという感じだが、とにかく支持体と表面。連続するパターンのバリエーション。ギャラリー主の山木加奈子さんは長らくパリにいた人で、その運動の後の作家たちとの縁があるとかないとか、不勉強で話のディテールを忘れたけど、とにかくそのシュポールシュルファス系の名前の作品を買い求めたりしている人のよう。並べてのんびり眺めていたいな、というような作品群を、そう言えばどこかで見た。
 それからヴェロニカ・ドバス(Veronika Dobers)というドイツ人作家の連作。旧東ドイツからいろいろあって亡命して、流れ流れて今は大阪にいて、再来年くらいにまたどこかへ行ってしまう画家。テキストというか文字というか本というか、それら媒体との親和性の高い作品群で、シュールなストーリーがあって、イマジネーションがちょっと恍けていて、それでいてシリアスで、一発で気に入った。最終的に飾られていたなかで一番高い作品、アクリルの、欲しくなって買ってしまった。余裕は???だけど、まあひと月ふた月、節制しますよ。
 ソリッドなのだが、温かい。なにかが偲ばれるような絵。


Veronika Dobers (Courtesy of Gallery Yamaki Fine Art)
そう言えば、タイトルなどのディテールを聞くの忘れた。
アクリルの背面から油絵具で描かれてるってことだけ。
もう自分の物だし、写真晒すのは別にOKですよね?


 まあ本の世界で生きてて、妄想というか想像の視覚化されたものが好きで、人間の縁や対話や頭の中身の世界が好きで、物語のインプットの効果というか影響を楽しむのが好きで、おまけに作品が気に入ったんだったら買ってしまうよな。口座残高に若干の余裕が残るのであれば。

 これまでに買った作品って10点にも満たないけど、買う時はいつも結局「なんとなく」買ってる。そういうものが自分の生活空間にあるといいだろうな、と思うし、自分の絵がそうやって人の生活空間に入って行ったらいいだろうなとも思う。だからまあこんなことやってんのか。
 絵や美術品の売買ってなんだか不思議な垣根の向こうの、ともすれば若干抵抗を感じている人も多々いるような行為だという印象を、自分で絵を描いてそれを(有り難いことに誰かに)売ってもらったりしながら強く持つこともある。だけど例えば今回のアートフェアの会場でもどこでもいいけど、そんな場所に足を運ぶお洒落に着飾った人達がその洋服に払う対価や、飲み食いしながらあっと言う間に流れてゆくお金のことを考えると、生活空間に自分の好きな作品が、しかもその実物があって、時にそれを眺めたりしながら暮らせるっていうのは、なかなかどうして悪くないお金の使い方なんじゃないの?と思うけど。だからまあぼくは実際に手に入れるんだけど、これって無駄遣いでもなんでもないよね、と思う。ただの等価交換なんだよな。
 まあでも洋服などの身辺の物や、美味しい物などと比べて、一般的にその価値がないと判断されているっていう単純なことなんだろうな、ちょっと寂しい気もするけど。
 例えばぼくが一番楽しかったのは、本の仕事の用事でバルセロナに行った時、訪ねる先のどの出版社でも、どのエージェンシーでも、どの飲食店でも、そこには有名無名に関わらず、とにかく本物の絵や美術作品が必ずと言っていいほど飾られていたこと。別に派手に飾り奉られてるんじゃなくて、ただ、そこにあり、そして空間を彩るというか空間に調和し溶け込む形で彩りを加えつつ存在するというか、とにかくリアルな物が絶対にあって、その空間に自分が居たこと。ただ実物だから存在感がやっぱりあって良いんだよね。「お!」って思わされるというか。イギリスでも割とそうかな。でもバルセロナはすごかった。楽しかったな、あの街は。何故かって言うと、そういうリアルがあったからだろうな。いや、勿論リアルはなんでもリアルですよ。でも、そういうリアルがあるんだっていう再認識が楽しかったに違いない。
 あっちでもこっちでも「お!」「お!」「お!」
 
 フェアの会場には、東京から来たギャラリーの知っている人なども数名出展いて、いろいろ話をする機会もあったけど、どこもあんまり作品が動いてなかった。大大大バーゲン会場だったのに。勿論、面白い作品ばかりじゃなかったけど、すてきな物も随所にあったよ、お手頃な価格で。等価以下の価格で。それで見物客は人人人で歩けないほど山のようにいるけど、アートを必要としている人達は少ない。まあどーしょもないな、こればっかりは。なにしろ必要としていないんだから、来る人たちが。でも来るんだ、どうしてか。物見遊山に。まあいいけど。別に自分の絵がどうだこうだって言う話とは、まったく関係のないところで思ったこと。
 関係なくないところで言えば、例えばぼくの絵の実物に付けられてる値段って、こないだやった単行本のジャケット用の絵の使用料(ということはもちろん複製)よりも安かったりして、なんだか不思議な気分になったりというのはあった。いろんな人が気に入っただスゴイだ綺麗だ面白いだって言ってくれるけど、まあそれだけ。「じゃあ要りますか?」って訊くとビビられる始末。

 出展していた Asian Collection の大橋さんとボブさんの部屋は、威圧感がまったくなくって、あの麻布の感じがそのままここにもあって、カジュアルに話をして笑って良かったなあ。
 思うにギャラリーみたいな人達が「何故ならアートですから」みたいな多少の威圧感を醸し出しているのも、いろんなマイナスの原因になってるような気もするな。そこはどうでもいいのにね。いや、そこなんだけど、どうでもよくないことをしているときにどうでもよくなる部分でどうでもよくなくなれないところが「そこ」という意味で。社交かな? そんななかだけで生きてくると、当然のように作品からも社交性は失われていくのかな、などと。その辺は好みの問題で片付けられる恐れもあるけど。
 とにかく先ず人でしょう、というのが大橋さんボブさんの在り様で、だからこそ人とアートが結び付くんだとまた思いました。

 ところでもひとつ買った作品っていうか、まあ作品だけど、桑島秀樹さんという作家のクルクルスコープ。

127604550.jpg
桑島秀樹/クルクルスコープ (Courtesy of Radi-um von Roentgenwerke AG)
っていうか、そのご本人と記念撮影。
判りにくいけど、展示作品を拝啓に。
これは実物を見るべき。楽しいし、執拗だから。
モノクロ作品、トランスペアレントな作品などは打って変ってスーパークール。


 誤解を恐れるからこそ言っておくと、この作家の作品の世界はものすごい美しいよ。独特のストイックな迫力があったり、徹底的にポップだったりするけど、それはまあ美しいレッドゾーンの住人だと思いました。このクルクルスコープはある意味ちょっとしたお遊びのような物だと思うけど、記念に欲しかった。本物はなかなか難しいものがあるから。飾る場所的に。写真作品もあってこっちは飾れるし飾りたいんだけど、今回は予算をヴェロニカさんに投じてしまったから、まあいずれまた縁と円があったらということで。でもこの人の物がなにか欲しかったから、クルクルスコープ。それでもいいんじゃないですか?
 ちなみに桑島さんに訊いた育児の秘訣は「愛と回し蹴り」。酔ってた時だけどね。

 ART OSAKA最終日、ぼくはホテルで目を覚まし、会場の堂島ホテルではなく、一路兵庫県の伊丹市へ向かった。伊丹市立美術館のアンドレ・ボーシャン展「世界で一番美しい庭」を見たかったというのと、ここの学芸員の岡本梓さんとこないだの神戸の個展の時に知り合って面白かったから。
 御堂筋線、東海道山陽本線、福知山線、知らない電車を乗り継いで、知らない場所へ〜。
 なんだか古風な佇まいのしっくりくる小さな町だけど駅前から丁寧な作り。ここでもうどんを探して小雨の中ちょっと迷い、お代わりして食べてから歩いていたら旧岡田邸だかなんだかっていう、それは立派な酒蔵の跡地に辿りついた。なんだこれはと思ってぐるり歩いたら、その敷地内に伊丹市立美術館。
 アンドレ・ボーシャン、やられました。
 というか入館したら、中世ヨーロッパの古楽器のトリオが中世の音楽を奏でるミニコンサートをやっていた。はじまったばかりで良かった。うどんをもう一杯いっていたら、もっと聞き逃していたところ。小食で良かった。そういえばシェークスピアの音楽ってこんなだったよななどと思いつつ。実際、当時のシェークスピアの舞台の為に作曲された曲で締め括られたミニコンサート。
 現場仕事で忙しそうな岡本さんとちょっとだけ話をして、独りで適当にぶらぶら展示を、と思っていたらとんでもない。「素朴派」というちょっと失礼なんじゃないの?と感じる名前でカテゴライズされるボーシャンの、その天然っぷりというか、突っ込みどころ満載の、しかし滲み出るほどの美しさを湛えた世界に、あっという間に意識を持っていかれた。
 ボーシャンて元々は庭師なんだって。それで徴兵されて戦地のギリシャに送られて、ああこれがあのギリシャかって感動して、帰ってきたら家業の造園業がつぶれてて、奥さんは気が狂っていて、それで40歳くらいで絵を描きはじめた人なんだって。たしか戦場で描いた戦略会議用の地図が「お前、絵うまいよ!」と上官に褒められて、それで「絵か!」と思ったらしい、そんな人。遠慮なく言ってみれば僕の仲間? いや、とにかく仲間を感じた。
 最初に見て歩いた数部屋は、いわゆるボタニック・アートという、植物や自然風景の絵のコーナー。なるほどーなるほどー、ボーシャンー。と思いながら進んで行くと、「神話/歴史」などなどと書かれたセクションへ彷徨いこんだ。彷徨いこんだというのがまさに正直なところで、そこにあった絵を見た途端に自分がどこにいるのかも忘れてしまった。太陽神のアポロンが雲間に例のアポロン馬車に乗って現れて、羊飼いたちが「わー」って見上げていて、ミューズやエンジェルがふわふわしてるっていう一枚の絵なんだけど、それを見たぼくも「わー」と。「わー!」じゃなくて「わー」。そんなのが盛りだくさん。
 思うに、人間って素直が一番だと思うんだけど、ボーシャンの絵はそのまんま素直を絵にしたような絵で、その素直さに感激しました。じわじわじわじわきた。釘付けになっていたら、岡本さんからの電話が携帯に。
「今どこにいますか!?」
「アポロンの前です〜!」
「え?」
 ってことで、そこから岡本さんと、それから副館長の多(おおの)さんというリーゼント風の男性と一緒にツアー開始。ボーシャンは独りでじっくり観るのもいいですが、みんなでワイワイ観るのもいいです。とても良かった。笑って話して、絵の細部をほじくって、発見して、盛り上がった。図録を買ったけど小さくて、でかいのが欲しいなと思った。なにしろ細部がというか小さな人というか神様とか、本当に面白くて。ただの「素朴派」じゃありませんでした。やっぱり。

 そんなこんなでまた大阪。
 堂島ホテル。
 


 午後7時の終了を待って、ラウンジでちょっと飲んで、いろんな人と話をして、購入したヴェロニカ作品を引き取って、1117号室の片付けを手伝って、気付けば新幹線にギリギリの時間。
 蒸し暑い大阪で、びしょびしょに汗かいて新幹線に駆け乗って、指定席のシートに座ったはいいけど背もたれに寄掛れないほどの滝の汗が体中から噴き出していて、とその前に駅でお土産の点天のギョーザや漬物や新幹線のTシャツやら買って、ビールをあおって、名古屋を過ぎたあたりから眠って、深夜に帰宅して、スペインxオランダの決勝戦まで頑張って起きて、それでも延長戦の決勝点は居眠りして見逃して、というART OSAKA 2010ウィークエンドだった。
 
 あんなに連日汗だくだったのに、体重は動いてなかった。何故?
 
 
 
 
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2010年07月10日

大阪はええところやで〜<ART OSAKA 2010>

 午後から東京ビッグサイトまで、ゆりかもめに揺られて出掛け、弱冷房すぎて暑すぎる東京国際ブックフェア。まさに「一緒に手掛けた」という感じの本、『ゴールは偶然の産物ではない』 by フェラン・ソリアーノ(元FCバルセロナ副会長/CEO)を目玉に展示してくれているアチーブメント出版の塚本晴久くんと、スペイン大使館のスタッフのいるスペイン・スタンドであれこれ話をしつつ盛り上がっていたところ、背後から頭を小突かれ、振り向けば絵本作家の池谷剛一さんが! 池谷さんのカバンから出てきたご自身の絵本を肴に話が盛り上がり、スペイン語での出版をぐいっと引き寄せた、か!?

 5時50分の新幹線に駆け込んで、一路大阪へ。
 強烈な睡魔に襲われるものの、ここで眠りにおちたらうっかり博多まで行ってしまいそうで、怖くて眠れず。どうにかこうにか睡魔と闘う。
 新大阪から、初めての御堂筋線に乗って、淀屋橋へ。
 とその前に、新大阪駅構内のBooks Kioskを探して立ち寄り、前々から気になっていて若い書店員の桑野禎己さんを探して自己紹介と挨拶をさせてもらう。なにかが生まれる出会いになれば。
 
 堂島ホテルのART OSAKA 2010のオープニングパーティーの最後の最後にギリギリ間に合う時間。
 今回ぼくの絵を出展してくれている神戸のギャラリーヤマキファインアートの山木加奈子さんが9時半までしか会場にいられないとのことだったので、ホテルにチェックインして部屋に荷物を投げ込んで、そのまま回れ右して堂島ホテルへ。
 山木さん達と話をしていたら、聞き慣れたデカい声がして、声の方を見るとレントゲンヴェルケの池内務さんが豪快に飲んでいた。東京からもいろんなギャラリーや美術家やプレスなどの関係者が来ていて賑やか。
 大阪の美術家の桑島秀樹さんを紹介してもらい、話が弾む。この人の人望の厚さが、よ〜〜〜く判った。ザ・男気って感じの人だった。話は面白いし。
 で、そのままレントゲン・チームの二次会に交ぜてもらうことになって、居酒屋へ。アートコレクター誌の細川英一さんとも再会。三次会まで雪崩れ込む。
 長い夜が終わって午前様。
 シャワーを浴びることもできずに気絶。
 


■フェア名: ART OSAKA 2010
■日時: 2010年7月10(土)-11日(日) 12:00 - 19:00
■会場: 堂島ホテル(大阪) 8・9・10・11階
〒530-0004 大阪市北区堂島浜2-1-31
■入場料: ¥1,000.-
※開催当日1日につき有効
※入場チケットはホテル1F受付にてお買い求め下さい。
http://www.artosaka.jp/index.html
 
 
 
 
 
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2010年05月26日

【マリオ曼陀羅展】はじまった!【ギャラリーヤマキファインアート】

 ということで先の土曜日、神戸、神戸市中央区元町通のギャラリーヤマキファインアートでの個展「マリオ曼陀羅展」が無事にオープンした。



 先週の木曜日の夜、仕事を終えたその足で東京駅へ向かい、新幹線乗り場で家族と合流。子供が喜ぶ新幹線のぞみN700系(博多行き)。お弁当食べたりしているうちに、あっという間に神戸〜。

 ギャラリーオーナーの山木さんのレジデンスに家族と荷物を残し、ギャラリーへ向かい、既にほぼ完璧な状態に進められていた展示の仕上げに立ち合い、ちょっと打ち合わせして解散。そのまま帰宅するのも勿体ない気がして、それとやっぱり少し落ち着かないというのもあって、ぼくは独りでふらふらと一杯のつもりで目に付いた串焼屋へ。
 神戸の街のことは、また改めて書くとして、とにかくこの夜は気付けば夜中の2時。迷子になりそうなところをカウンターの隣のベーシストという20代の人が送ってくれて、無事に帰宅。そのまま撃沈。
 そして翌朝目覚めたら、息子(3)がなんと水疱瘡に!! これで予定がいろいろガタ崩れ。いつも通りの素晴らしいタイミングでのハプニング……。

 さておき、とにかく展示がはじまった。


<マリオ曼陀羅/再現図(1〜3)>


<マリオ曼陀羅/展開図1(A〜E)>

 21日は大阪梅田のギャラリーカフェ/バー「シェドゥーブル」でライブ・ドローイング。この模様もまた後で、ということだけど、描き終わってみるとリアクションが思ったよりも良くて、翌日からの事を考えてもホッと一息。



 オープニングは人出が懸念されたものの始まってみれば大入りで、“アルルカン洋菓子店”の狂気の入ったステージの背後で、とにかく絵を描いた。
<アルルカン洋菓子店: http://arlequin-yougashiten.com/


<マリオ曼陀羅/実演図(アルルカン洋菓子店と)>

“アルルカン洋菓子店”とは、作家であり歌う道化師である明川哲也さんとMITSUさんのユニットで、これまでにも何度か共演させてもらっていたが、この日の演目のクライマックスのワニの歌というかオペラのようなストーリー仕立ての組曲が、とにかくとにかく凄まじく、日曜に帰京して以来、神戸のあれこれを思い返そうとしても、どうしてもイルカの「ヨシエ」の名前を呼び続けるそのワニの絶叫が先ず記憶を支配してしまう。やっぱりと言ったら失礼かもしれないが、明川さんは狂気の人でもあったのだと改めて強く々々認識させられた。すさまじかった。その瀕死のワニ、瀕死のクジラ、逃げおおせたイルカのヨシエにドライブされて、絵を描く頭はいつも以上に空っぽというか、いつもだったら空っぽのところ、大洋に照りつける太陽の光の届く範囲の無限の海原の、物凄い図に支配されていた。ちょっとどころではない不可思議な体験をさせてもらってしまった。これは、他では絶対に体験できない。
 南洋から泳ぎ太平洋を渡り、大島に打ち上げられた体調10メートル程もある巨大ワニの死骸にインスピレーションを受けて紡がれた物語がその歌と語りの組曲の世界なのだが……。次にこれを体験できる機会があったら、とにかく人を誘ってまた今度は客観的に体験しに行こうと思う。オープニングのあの夜は、自分で絵を描いていたのもあって、かなり異様な脳味噌でそのワニの独白をキャッチしてしまったから。

 パフォーマンスの後で、やっと普通のオープニングらしい空間が生まれ、来場のお客さん達に紹介され、質問に答えたり、説明を試みたり、ちょっと飲んだり。

 打ち上げは元町の中華街。ここでまた予期せぬ出会いがあったのだが、それもまた後ほど。こんなところであの人に会うとは!という出会い。その後の神戸の夜も深かった。神戸はとにかく気持ちの良い街だった。

 とにかく、ギャラリ―オーナーの山木加奈子さん、それからスタッフの和地さん、それから展示を手伝ってくれた伊丹市立美術館の学芸員の岡本梓さん、本当にありがとうございました。
 って、まだ始まったばかりだけど、先ずは無事にスタートしたこと、それから個人的には初めての神戸が素晴らしい記念になったことなど、まだまだ頭のなかを整理し切れないこの数日間。先ずは取り急ぎ、というかとにかく感謝の気持ちでいっぱい。

 ただお祭りしていた訳では勿論なく、主に絵の創作や発表などに関してのとても貴重な話を山木さんから多く聞くことができて、なんというか密度の濃い週末だった。とんぼ返りだったけど、ゆっくり訪ねて行きたい街だった。ということで、また行こうと心に決めた。

 余談というか、今となってはこちらが本題になってしまっているのかもしれないが、神戸と言えば妻が幼少期から高校卒業まで過ごした出身地。妻にとっては久し振りの帰郷だったようで、当時の友人たちとの再会もあったのだが、神戸に一緒に行ってはじめて、妻がやっぱり関西人だったということを知った。標準語は彼女にとっての第一外国語だったのかー。彼女の会話のテンポの良さに驚き続けた三泊四日。

「マリオ曼陀羅展@ギャラリーヤマキファインアート(神戸)」会期は6月23日(水)まで。


Mario TAUCHI Solo Show
マリオ曼陀羅展  
2010年5月22日(土)〜6月23日(水)
Gallery Yamaki Fine Art
ギャラリーヤマキファインアート

11:00 - 13:00 / 14:00 - 19:00 
日・月曜日休(休廊日は変更になることがございます)

> more

 
 
※ 神戸滞在中のあれこれは、ちょっと一口には語り切れないので、これから何回かに分けて、その出来事ごとに記録してみようと思う。笑いあり、驚きあり、感動あり、涙あり(ないか…!)
 
 
 
posted by マリオ曼陀羅 at 02:27| Comment(0) | TrackBack(1) | art | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月20日

幸せいっぱいな感じ(いよいよ神戸のギャラリー・ヤマキ・ファインアートで個展)

 さて、納めるべき作品というか絵は、みんな無事に出揃い、額装などの発注も無事に済み、ぼくは明日の夜の新幹線で生まれて初めての神戸へ向かう。これまで知らなかった土地の人に自分の絵を見てもらう、というのは、まぎれもない幸せ。
 今回の個展については、いつだったかな、去年のいつかまだ寒くなる前、「今から会わせたい人がいるけど、作品用意できる?」夜に明川哲也さんから突然の電話があって、ぼくは手元の絵をいくつか運べるようにして、待ち合わせの下高井戸の駅に向かった。
 駅の改札に現れた明川さんの横に山木加奈子さんという女性がいて、この人が神戸のギャラリストでと紹介を受けた。近くの居酒屋に入って、作品のサンプルや画像データを見てもらって、こんな絵を描いているんですよと自己紹介すると、その場でじゃあ個展をしましょう、という話になった。山木加奈子さんはパリで長らく美術の現場に身を置いていた人で、その頃にアートの世界のPRの仕事というコンセプトに触れ、それが日本においては機能していないのではないかという思いを持って、出身地の神戸の兵庫県立美術館で広報の仕事をすべく帰国し、その後思うところあって自身のギャラリー「ギャラリーヤマキファインアート」を開いた人。
 テーマを持って帰国して、国内でそれを試した揚句、やっぱり自分でやるしかないな、と思ったということには強い共感を覚えた。
 
 それで年末、では五月六月にやりましょうという流れになって、半年掛けてぼくは作品を揃えた。
 出版不況と呼ばれる状況があって、仕事は仕事で忙しく、子供たちの卒入園/入学もあってそうじゃなくても慌ただしい私生活も更に慌ただしく、そんななかで夜中の数時間を工面して費やしてせっせと絵を描き、お陰でどうにか数も揃って、こないだ無事にすべて納品。いや、すべてじゃないか。明日持ち込む小さな2点が手元にまだある。でも用意は済んだ。よかったなぁ。

 好きで絵を描いていて、それが縁を呼んでくれて、そしてその絵がぼくを知らない場所に連れて行ってくれる。行ったことのない街だったり国だったり。なんだか不思議で、喜びを伴う幸せな体験だと感じて、生きているということを実感させられる。
 困難を通じて生を実感することもあるけど、今このような感覚を通じて生を実感できるということは、本当に幸せなことだなと思う。自由があるな、という感じ。自由は自ずとそこにあるものであると同時に与えられるものでもある。なにがぼくにその自由を与えてくれているのかなと問えば、それはやはり絵を描くという行為、そのために生活を作るという行為、なによりそれらの行為を受け止めてくれる人達が存在するということ、そういうことなのではないかなと思う。なのでぼくは益々そのような状態を、自分にできる事として視覚化しようと試みる。

 個人的な感覚で物を言えば、それが絵であろうが音であろうが文章であろうが味であろうが建造物であろうがなんであろうが、意識を飛ばしてくれる物こそが、ぼくにとっての意味ある産物。現実から離れたいから飛びたいのではなく、そういうあれこれが現実を俯瞰する切欠を与えてくれるからだ。それがどこに向かって飛ばしてくれるかという事が加われば、そこには議論も解釈もいくらでも発生する。そういう可能性こそが自由であり幸せなんだろうなと思う。少なくとも今の頭ではそう思う。

 この土曜日、22日からのギャラリーヤマキファインアートでの展覧会の切欠を作ってくれた明川哲也さんは、先に仲良くなった弟シモンが数年前に紹介してくれて知り合った人だけど、人を眺め言葉を紡ぎそれを語り歌う人で、22日のオープニングを本当に有り難いことに一緒にやってくれる。相方のMITSUさんというギタリストと「アルルカン洋菓子店」というかなり不思議な名前の、かなり不思議な道化師(アルルカン)の格好の、吟遊詩の二人組をやっていて、その二人組で登場してくれる模様。どんな一日になるんだろうな。この道化師の二人は身体が大きくって、見た目が先ずちょっと怖いんだけど、そのメッセージが温かく強くて、なんとも形容しがたいユニットなんだよな。

 なにより神戸って名前だけは何度も何度も聞いている有名なところだけど、行ったことがない場所。どんなところなんだろう。本当に楽しみ。いろんな人に絵を楽しんでもらえたら嬉しいなあ。

■ マリオ曼陀羅展
■ ギャラリーヤマキファインアート(神戸/元町)
■ http://www.gyfa.co.jp/ 
■ 2010年5月22日(土)〜6月23日
■ オープニング=22日/午後2時〜 
  アルルカン洋菓子店
  http://arlequin-yougashiten.com/
 
 
 
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2010年05月16日

昨日のシャルトリューズ・カフェ

 天気が良かった。自転車で大慌てで、普段なかなか走らない距離を走って祖師ヶ谷大蔵まで。電車を乗り換え行くのと時間にしたらトントンかもしれないし、なにより天気が素晴らしかったので。

 シャルトリューズ・カフェ、空気に余裕のある非常に快適なカフェだった。あのリラックスした空気はオーナーの竹田くんと店主のナオちゃんの人柄だろうな。
 そこだけ日本じゃないみたいな空気の漂う、西欧にいるかのような空気の漂う、素敵なお店に仕上がっていた。

 共演者はPAJANこと、池ノ上のBar Ruinaの店主でもあるギタリスト/シンガーのケン君。この人の声がとても良かった。それを知れてよかった。スペイン語、ポルトガル語、そして日本語の詞が、とてもまったりとしたギターの音楽に乗って流れて、大変気持ち良く絵を描くことができた。


シャルトリューズ・カフェ
祖師ヶ谷大蔵(小田急線)
http://www.chartreusecafe.com/

 
 そしてワインと雑談。……と、ブルーチーズのチーズケーキ。これはぼくにとってはデザートというよりワインのツマミだな。美味しかった。

 夕方の冷えた空気のなかを、また自転車で帰り道。住宅街でまたちょっと迷子になったりしながら。
 
 まったり流れる時間だが、頭のなかはあれやこれやで大忙し。
 
 
  
 
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2010年04月30日

【緊急告知】5月5日【エリック・ティールマンス+アレクサンダー・バーン+高岡大祐/SARO+長谷良樹と一緒に南青山void+】

 差し迫った告知になっていまったけど、今度の水曜、5月5日(祝)に、ベルギーより来日中のエリック・ティースマンス(ドラム)とアレクサンダー・バーン(サックス)と、チューバの高岡大祐さんのセッション、それに加えてタップダンサーの風雲児のSAROさん、写真家の長谷良樹さんとのセッションで、ライブで絵を描かせてもらいます。

 場所は南青山のvoid+。イベント詳細は→ココをご確認いただきたく!!

 本当は先週には告知準備も整っていたはずだったのですが、書いたとおりアイスランド火山噴火でロンドンに一週間の足止めを食らってしまった関係で調整がズレにズレて、もろもろ遅くなってしまいました。

 お忙しいGWかと思われますが、GW最終日の5月5日、ぜひ南青山で異空間を体験してください。

 一応、ここ(↓)にも情報を貼っておきます!!!
 が、詳細情報は ■ ここでご確認ください ■ 入場1500円です!
 よろしくお願いいたします。


5月5日(祝) 19時より
南青山のアートスペース「void+」に、ベルギー/ブリュッセルより同国最高峰のドラマー/エリック・ティールマンス、そして独自の奏法で世界を流浪するチューバ奏者/高岡大祐を迎え、ライブ・パフォーマンスのイベントを催します。サックス奏者/アレクサンダー・バーンを加えたトリオでのインプロビゼーションです。

また、写真家/長谷良樹のランドスケープ写真のプロジェクションをバックに、独自のフリースタイル・タップダンスで高い人気と評価を得ているSAROの疾走するタップダンス。

それぞれのライブと共に画家/田内万里夫がライブ・ドローイング。

「エリック・ティールマンスは存在そのも のが音楽を感じさせる人だった。アレグザンダー・バーンは超変態。高岡大祐はチューバの可能性を予測不可能までに拡げている。敢えて言おう、エルメート・パスコアルの来日決定で盛り上がっている人たち! 彼らのライブに行かないと一生後悔するぞ!」

【※イベント会場などの詳細は、上記リンクをご確認ください】

皆様のお越しをお待ちしています!!



【 出演者情報 】




Eric Thielemans / エリック・ティールマンス
drum, percussion, electronics, etc.

ベルギーの最高峰、孤高のドラマー。

長らくジャズの演奏家であり、アフリカやインドなど世界中に様々な音楽と交流し唯一無二のスタイルを築く。

完全即興も歌モノもすべてが恐ろしく覚醒した集中力で演奏され見る者を圧倒。

近年リリースされたソロアルバム「a snare is bell」は教会の壁から跳ね返る無数の反射音を録音した完全アコースティクでスネアドラムと彼の肉体だけを使用したノーミックスの45回転アナログ片面レコード限定500枚で、ソニックユースのレーベルから配給されている。

ベルギー国内での活動のほかにマーク・リボーらNY勢との共演やベルギー最有力ロックバンドdeusのメンバーとの共演、ヴィジュアルアートとのコラボレーションや他のミュージシャンのプロデュースなど、活動は無制限。

端正なプレイヤーが多い欧州勢の中で、恐ろしく強靭でかつ柔軟 な彼のプレイはどこか東洋を思わせるところがある。

現代的な演奏とシャーマニックなまでの集中力は見聞きするものの耳目を確実に釘付けにする。

今回が初の来日。

http://www.myspace.com/ericthielemans

http://www.warszawa.jp/cgi-bin/user/detail/detail.cgi?GID=48315






Alexander Berne / アレクサンダー・バーン
sax, suduk, etc.

作曲家で映像作家にして卓越したサックス奏者。NY生まれ。

ジョン・パーセルらとジャズを学びマーク・ジョンソンやヴィクター・ルイス、セシル・テイラーら多数と共演。ジョー・ヘンダーソンやスタン・ゲッツらとスタンフォード大学でジャズワークショプを行う。

ベルギーにてサックスソロパフォーマンスを開始。

インド古典音楽の研究を通じて多くの人脈や事柄を得る。

アメリカに戻り、映像作品にかかわる。自社でインディペンデントのドキュメンタリー映画のプロデュースし、ブライアン・デ・パルマら多数の映像作家たちとコラボレーションを行う。その他にもアクリル絵画と写真を使った新しい映像の方法の開発。

アルト/ソプラノ/ソプラニーノ・サックスの可能性を追求し、デビッド・サンボーンらと新しいマウスピースの創造にも関与。 Michael Hubbard社とのコラボレーションで、暖かく他にない音色を持つ、サックスとドゥドゥク(アルメニアのリード楽器)との折衷楽器sadukを発明開発。

ジャズともクラシックとも民族音楽とも言い難い音楽性は人柄を反映して優しく深い。

http://www.innova.mu/artist1.asp?skuID=408




Daysuke Takaoka / 高岡大祐
tuba, etc.

大阪、東京、ブリュッセルを拠点に活動するチューバ奏者。

12歳からチューバを吹き始める。ニューオリンズに2回訪れ、Rebirth Brass Band や Wild Magnolias などと共演、ライブを行う。

1998年から2006年にわたり『渋さ知らズ』のメンバーとなる。5度のヨーロッパツアー、メールスジャズフェスティバルやグラストンベリーフェスティバルなど多くのフェスティバル、約20ヶ国で演奏する。

Joseph Jarman(sax fl:Art Ensemble of Chicago),Don Moye(ds,per:Art Ensemble of Chicago)Misha Mengelberg (p:NED)RONIN(ECM:swiss)Park jechun(per:South Korea)など共演者多数。

常に新しい音楽表現を模索し、チューバのすべての可能性を探る。チューバの音を電化しアンプで鳴らすオリジナル奏法は『blowbass』と命名されている。インプロゼーションからガレージパンクまで幅広く年間に国内外200本超のライブを行う旅のtuba吹き。

http://d.hatena.ne.jp/daysuke/




SARO / サーロ
tap dance

1982年生まれ。音とリズムの間を旅するトリップタップダンサー『SARO』。今年で活動19周年目を迎える。

本能的かつ音楽的とも言えるダンススタイルは彼ならではのもので、今や若手タップ界においても重要人物の一人。タップダンサーとしての基本を踏まえつつ、WILD MARMALADE、STEVE ETO、堂本剛、DJ L?K?O、kenken(RIZE)、クリヤマコト、Kankawa、雅〜miyavi〜、Keyco、BBBB、どんと院バンド、早乙女太一、太華、映画『座頭市』、等音楽に限らずファッション雑誌、多種多様なコラボレーション行いクロスオーバーに活躍する。

http://www.myspace.com/sarochap






HASE YOSHIKI / 長谷良樹
photographer

学習院大学卒。

10代からバックパックを背負い旅をし、世界への目をひらく。

大学卒業後、大手商社に勤務。勤務地近くの神保町古書街で多くの写真集にふれる。

1999年、3年間勤務した会社を退社し、単身 ニューヨークへ渡りカメラマンに転身。

2006年、7年間滞在したニューヨークから帰国し、活動の場を国内に移す。

人物を中心にウェブ・カタログ・雑誌・広告などのコマーシャル撮影のほか、自主作品の制作/発表も積極的に展開し、音楽家などと交流を盛んにする。多様な価値観に「NO」を言わないことが信条。

写真集『THE HAPPINESS WITHIN』が好評発売中。

http://www.yoshikihase.com/






Mario Tauchi / 田内万里夫
drawing

1973年、埼玉県生まれ。幼少期から太陽を肉眼で眺めて過ごす。二十代半ばまで、フランス、オーストラリア、アメリカなどで暮らし、宗教芸術、思想哲学、トライバルアート、サイケデリックアートに触れる。

2001年より現在の曼陀羅のイメージを得て、絵を描きはじめる。'05年より国内で発表や展示を開始。2007年、英国Trolley Books より『Mario Mandala ColouringBook』出版および、ロンドンのTrolley Galleryにて個展およびライブペインティングを開催。以降、アムステルダム、フランクフルト、香港など国外でも活動を展開。

国内ではvoid+、レントゲンヴェルケ、Asian Collection、Magic Room?? 等のギャラリーで作品を発表。また様々な音楽家やパフォーマーとのセッションでライブ・パフォーマンスを積極的に行う。またユニクロのTシャツ企画とのタイアップなど。

「Art@Agnes 2007」「Tokyo Contemporary Art Fair 2008」「Art Osaka 2009」などのアートフェアにも出展。

http://www.sukimaweb.com/mario-mandala/



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2010年02月20日

2/14 from 元住吉 to HAITI

 2月14日バレンタインデー。前夜のパフォーマンスから明方に帰宅し、目覚め、現場となる元住吉の Powers 2 へ。
 作家であり道化師であり歌手でありいろいろである明川哲也さんの呼び掛けで「緊急開催/ハイチ義援金ライブ!」(イベントについてはこちら)。
 ハイチと言えばこの1月12日に大地震に見舞われた、カリブ海の国で、今はまさにカオスの状態のようだ。
 アフリカ系移民の多い元フランス植民地というくらいの情報しかぼくにはなかったが、そのアフリカ系移民だって好きで来た人達ばかりではないはずだ。奴隷の歴史がその国の歴史の底にある。ちょっと見てみたらフランスの前にはスペインが植民地支配していたようだ。
 学生時代に好きで白黒写真を撮っていた時期があって、その頃ぼくはしょっちゅう新宿西口のヨドバシカメラにフィルムや印画紙を買いにでかけた。その行き帰りのちょっとの贅沢に時々立ち寄ってドライカレーを食べた Cafe Haiti だけが、これまでのぼくとハイチを具体的に繋いだ全てだったかもしれない。
 今回微力ながら関わらせてもらうことになったこのチャリティーライブがあったからと言って、ぼくのハイチの人々のリアリティに対する共鳴が立派なほどに強いとは勿論言えないのだけれども、そして世界で困難に向き合っている人達はそれこそあちらこちらにいるのだろうけれども、とにかく震災に見舞われ、その後の惨事の渦中に身を置かざるを得ない状況に陥ってしまっている人々の体験しているであろう苦悩を、苦痛について、現実的な可能性として反芻する機会に誘ってもらったことは無意味ではなかったと思う。

 明川哲也さんと言えば一昔前まではドリアン助川を名乗り「叫ぶ詩人の会」を率いて、世の理不尽や不条理、暴力や哀しみに対して叫び声を上げていた人。今は「アルルカン洋菓子店」という得体の知れない名義にて、やはり世の理不尽や不条理や暴力や哀しみに対して、しかし温かなメッセージを非常に穏やかな歌にして歌っている。世の中と対峙する際の方法論は変わったのかもしれないが、そのメッセージのコアは変わっていないようだ。
 ところでこの二人組の道化師、どちらもとにかくデカくて威圧感がある。更に大きなアフロヘアだ。でもこの人達のライブを見ると、なぜこんなことになっているのかというのが、実によく分かる。世界の底から人々を支えようとしているのではないだろうか。そう考えるとこの道化師達のデカさも無駄ではなく、そのパワーが必然性を帯びてくる。
 うちの娘(6)は、やっとこのデカい道化師に馴れたみたいで、アフロヘアに喰いついていた。
 アルルカン=道化師の活動の傍ら、もう一本の軸足は物語を紡ぐ作家としての活動に置かれている。『メキシコ人はなぜハゲないし、死なないのか』に始まり、『ブーの国』『カラスのジョンソン』『花鯛』『星の降る町』などなど、この世に生きる人々の日常の営みと密接したなかにある困難や悲哀や不条理に対し、やはりここでも温かく柔和なメッセージを投げ続けている。その表現は往々にして静かだが、まさしく今この時代の作家だ。この時代のトレンドの作家ではなく、この時代の作家だ。時がくればもっと判り易くそれが判るようになるだろう。

IMGP4253.JPG

 さて、その明川さんの呼び掛けに集まったのはノコギリ奏者の稲山訓央さん、半ちゃん片ちゃんからなるブルース・デュオの「はんぺんブラザーズ」、それからJake君ことギタリストの cloudchair。そして僕。
 オマケという訳ではないが、うちの妻がケータリング・ユニット「ドーベルマン・ドーナッツ」として相方のトモエさんと、バレンタインデーにちなむ形でブラウニーを三種類を売る。

IMGP4214.JPG

 入場料から物販の売り上げ、もちろんブラウニーの御代も、全てがチャリティーとして日本赤十字社を通じ、ハイチに入っている日赤医療団の活動費として用立てられる。
 ライブの間中、ステージの背後で描いたぼくの絵も競売されて、その売上も勿論チャリティーへ。

 三時間強のステージの成果、なんと 157,585円もの寄付金が集まった。

Haiti_charity_sekijuji.jpg

 物事が動くという、ささやかかも知れないが確かな実感。
 
aaaaa.jpg.jpg

CharitiForHeiti_edit.jpg

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 こう言っては変かもしれないけど、気がつけばとにかく前向きで明るいパーティーになっていた。
 

※ 余談にしてしまって良いのか判らないが、その明川哲也さんが主催している電子出版同人誌『e-literature』にて、明川さんと俵万智さんという大きな名前に並んで、どういう訳か田内志文(弟)が散文を書いている。正直な話、ぼくはその弟の志文の文章の紡ぐ世界を覗くにつけ、なんだかちょっと気持ち悪い感じに襲われる。それを志文に正直に伝えてみたところ、彼は先ず自分の気持ちの悪いところを表現しているのだということだったので、それで良いのかなとなんとなく思ったんだけど……。
 これからどういう風に流れてゆくのか、それはそれで楽しみな気もする。よろしければ覗いて見てください。
 
e-literature
http://e-literature.jp/
 



 
 
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2010年02月17日

2/13深夜 『祝福』

 2月13日の深夜、下北沢の老舗 Club QUE にて幕を開けた「ber rinne 9周年の宴」、ぼくは石田幾多郎と組んで祝いのパフォーマンスをひとつやらせてもらった(イベントについてはこちら)。

 午後10時過ぎにセッティングを終えると、幾多郎の音響機材、ラップトップ、ターンテーブル、ミキサー、エフェクト類などなどが組み合わさって相変わらずのSFチックな基地が出現。この基地、なんだかどんどん拡張していっている気がするが機材の運搬は今後どうなってゆくの? さておき、そこにぼくのペンに取り付けたピックアップから線を繋いで、瞬間的な慌ただしいサウンドチェック。

 朝までのイベントということもあって出演者多数につき現場はかなりノイジーな雰囲気。ぼく達はいったん静かな場所に退避ということで、ハジメ君が留守番を任されていたBar Rinneへ、そこで一杯。
 バンドのリハでとにかく気になった「しゅんすけ swingin' & THE HOTFOOD」に間に合うように会場に戻ると、ロス・ランチェロスのサニーさんもとい小池さん(どっち?)を発見。かれこれ10年振りというくらいの再開だったが一目でわかった。人というのは変わらないものだ。そしてその横にやや久々のトモタケも発見。
 目当てのひとつ、Det2カレーが早々に売り切れそうになっていたので、慌てて食べて。
 ところで「しゅんすけ swingin' & THE HOTFOOD」、実際に見てみたらギターを鈴木羊君が弾いていた。カッコ良いし気持ちの良いバンドだったなー。CD買っちゃった。
 
 予定がやや押して午前3時15分過ぎ、幾多郎の音が響きはじめて、ぼくは用意してあったパネルに線を引きはじめる。黒い背景にライトで浮かび上がる白い線。線と言えばペンにつけたピックアップからの線が断線! 

 一時間きっかりのパフォーマンス。


 思い返せば学生時代にバンドをやったり安い古着を探したりしていた頃からお世話になってきた下北沢だが、いつのまにか生まれ育っていた子供の小学校入学を控えて、ぼくは今度はどこか別のエリアにてアトリエを持てるくらいの広めの物件を探して引越しを計画中。だからといって別に縁が無くなったり薄れたりする訳でもないんだけど、まあ一応の区切り的な気持ちで、そしてこの町でとにかく特にお世話になったBar Rinne への祝福の念を込めて、そして「おおお!」と思うくらい絶好調だった幾多郎の音像世界に意識を浸して一枚描いた。

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 おめでとう!! 9年てやっぱり短くない時間だよ。あっという間ではあるけれども。
 
 沁みるほど寒い早朝。とても温かい気持ちで帰宅。

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posted by マリオ曼陀羅 at 14:26| Comment(0) | TrackBack(0) | art | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする