■ エヲカク ■

2012年09月14日

「闘争領域の拡大」or「縮小」……もしくは「花」の秘密

 ちょんまげして不思議な衣服をまとって「〜かしこまりましてござりまする」「〜のよしにござりますれば〜」とか言って腹掻っ捌いたりしていた人達のことを今考えると不思議だが、遠い未来のぼく達は「お世話になります!」「おつかれしたー!」とか言って汗かきながら新しいアイフォンとかに群がる昔のぼく達に、やはり不思議な思いを抱くんだろう。

 そんなことを思いながら、『ある島の可能性』ミシェル・ウェルベック、この本のことをなんとなく思い出した。

 ちなみにウェルベックの『闘争領域の拡大』という、ちょう童貞文学の傑作は、それを読んで殺された僕が(仕事に関係なく)布教に勤しんで撒き散らした能書きが担当編集者の目に留まり、そのまま書店ポップに採用されたという、細やかな思い出の作品。
http://www.amazon.co.jp/dp/4047914878/

 73歳で意欲作をリリースするボブ・ディランはかつて「times they are a-changing」と歌った。

 時代は変な、片腹痛い現象を伴いながら移り行くけど、どの時代にあっても針を振り切る人達の残したものだけしか残っていかない。





……ところで「花」って分解すると「サイケ」になるんだよね!

 ひょんなことから華道家の上野雄次さんの「花いけ」のロゴに案を出してくれって言われて作ったんだけど、お陰で面白い発見をした。

 まあ手違いあって使われてないんだけど……
 どこかでリサイクルしたいなあ。
 
 
 
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2012年06月21日

NOT WORKING

2011年夏、西から東へ、作家 DW Gibson がアメリカを横断しながら記録した「無職/失職中」の人々へのインタビューをまとめた一冊の本『NOT WORKING』。映像カメラマンが同行し、ドキュメンタリーの映像作品にもなっている。

スタッズ・ターケルの名著『WORKING(仕事)』に着想を得た。

「不況」が叫ばれ、失業率が「9.1%」となったアメリカで職を失った、もしくは職を得ることのできない人々の、個々の言葉を拾い集め、そこから描き出される群像。

これは対岸の火事だろうか。

喪失感、悲しみ、無力感、怒り、それでも人が忘れ去ることのないユーモア。

人が「仕事」に求めるものがパンだけではないことが浮き彫りになる。

序文の最後にリストがある。職とともに、人が何を失ったのか。それ故に何を渇望するのか。

Pride (プライド)
Security (セキュリティー/安全)
Self-worth (自尊心)
Self-esteem (自負心)
A paycheck (給与)
A career (キャリア)
A challenge (挑戦)
A reward (利益、恩恵、報酬)
A roof overhead (屋根)
Bread on the table (食卓のパン)
Adventure (冒険)
Labor (労働)
Blood, sweat & tears (血、汗、涙)
A place to go (行き先)
Stability (安定)
Life (人生)
Energy (エネルギー/活力)
Creativity (創造性/クリエイティビティ)
Results (結果)
Purpose (目的)
Nurture (養育/育成)
Responsibility (責任)
Fun (楽しみ)
Joy (喜び)
Identity (アイデンティティ/身元/立場)
Dignity (尊厳)

現代の不条理を映しだしたとも言えるこのドキュメンタリーは一見の価値あり。


個々のインタビューも数本、「NOT WORKING」オフィシャルサイトから見ることができる。
http://notworkingproject.com/tell-your-story/watch/
 
 
 
 
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2011年10月24日

「その国を知るのに、小説をよむよりベターな方法はない」……なるほど!

 今回のカダフィ殺害に繋がるリビアの内包してきた問題あれこれ、こんなに素晴らしい小説になって書かれているのに、出版された2007年当時、日本では読者の興味を喚起できなかった。

『リビアの小さな赤い実』ヒシャーム・マタール
http://www.amazon.co.jp/dp/4591098613/



 2007年、英国王立文学協会賞受賞。

 絶版扱いになってしまっているようだが、このような本が今また改めて評価の対象となるようなことが、日本でもあるのだろうか。

 原題は「IN THE COUNTRY OF MEN」なるほど。

 アラブの春と呼ばれる一連の政治的騒乱。一朝一夕に起きたことでは勿論なく、特にイラク戦争以降、欧米では特に顕著だった中東系北アフリカ系作家の活発な動きに、予兆を見て取ることもできたはずだ。「日本の読者の関心から遠い」という理由で、彼等の小説など出版されたものはほとんど無いけど。

 さっきTwitterのTL上で大原ケイさん(@Lingualina)が言ってた「その国を知るのに、小説をよむよりベターな方法はない」っていうのは、まさにその通りだと僕も思う。そういうものに対して「マーケットがない」と一蹴されてしまう現状は、多くを説明しているな。要は「興味がない」んだな。

 興味がないって言われちゃうと、もうどーしょもない訳ですよ。たった5000人くらい興味/関心のある人達が存在するって、確かに解れば、逆に言うと本が出る可能性も高いってことなんだけど、それすらできない駄目エージェントである旨自覚し反省しよう、僕は。

 解説から:
「自由を求める父の夢、イスラム社会に生きる母の祈り。国家に翻弄される人々の愛と裏切り、そして「ゆるし」の物語。2007年4月、英国王立文学協会賞受賞」
「自伝的要素の色濃い作品は高い評価を受け、ブッカー賞をはじめ数々の文学賞にノミネート」

 …ヒシャームの親父お袋は今どうなんだ!


 
 
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2011年07月24日

いきなり符号があるなあ、金子光晴『どくろ杯』

 金子光晴の『どくろ杯』を、やっと読みはじめていきなり関東大震災(1923年9月)の回想で、今日は時間が止まってしまった。

<略>ふりかえってみると、あの時が峠で、日本の運勢が、旺から墓に移りはじめたらしく、眼にはみえないが人のこころに、しめっぽい零落の風がそっとしのび入り、地震があるまでの日本と、地震があってからあとの日本とが、空気の味までまったくちがったものになってしまったことを、誰もが感じ、暗黙にうなずきあうようであった。乗っている大地が信じられなくなったために、その不信がその他諸事万端にまで及んだ、というよりも地震が警告して、身の廻りの前々からの崩れが重って大きな虚落になていることに気づかされたといったところである。この瞬間以来、明治政府が折角築きあげて、万代ゆるぎないつもりの国家権力のものとで、心をあずけて江戸以来の習性になったあなたまかせで安堵していた国民が、必ずしもゆるぎのない地盤のうえにいるのではなかっということを、おぼろげながらも気がつきはじめたようにみえた。国民といっても、ごく一部の、それも、個人の心の片すみで、不安定に、たえず打ち消されそうになりながらのわずかな違和感や、小さな不安が、大きな心落し流離にどこかでつながっていることを知らされる機が多くなった。<略>

 ここで社会主義者/大杉栄の扼殺の事件についての短い言及があり、なるほどあれはそういうタイミングもあってのことだったのかと感じた。それからこの時期にあった金子光晴の詩集『こがね蟲』の出版に際するあれこれ回想が入り:

<略>そんなことはともかく、あの秋は暑さがひどく、十月になってもじりじりと油照りの旱天がつづき、その上、時々強い余震が人をおびやかした。しかもこの天災は、後になって考えると私のしまりのない性格からくるいい気な日常にきまりをつけるための気付薬でもあった。<略>

(金子光晴『どくろ杯』)


 このタイミングで読まされると、大凡90年も以前の当時まだ若かった詩人に起きたシフトと、今ぼくたちの多くに起きているであろうシフトのあまりの類似性に、なんだか虚しいような気持ちにもなる。また、今自分のやっていること、やろうとしていることも、その「気付薬」の作用を受けてそれでとにかくやればいいのだ、というか、まあ結局、そのようにしかならないからそれから意識を逸らさなければそれでいいのだというような、そんな気分にも多少なる。

 その金子光晴の詩で(これも符号だけど育児中の身として)響くもの:

子供の徴兵検査の日に

癩の宣告よりも
もっと絶望的なよび出し。
むりむたいに拉致されて
脅され、
誓わされ、
極印をおされた若いいのちの
整列にまじって、
僕の子供も立たされる。

どうだい。乾ちゃん。
かつての小騎士。
ヘレニズムのお前も
とうとう観念するほかはあるまい。
ながい塀のそっち側には
逃げ路はないぜ。
爪の垢ほどの自由だって、そこでは、
へそくりのようにかくし廻るわけにはゆかぬ。
だが柔弱で、はにかみやの子供は、
じぶんの殻にとじこもり
決してまぎれこむまいとしながら、
けずりたての板のような
まあたらしい裸で立っている。

父は、遠い、みえないところから
はらはらしながら、それをみつめている。
そしてうなずいている。
ほほえんでいる。
日本じゅうに氾濫している濁流のまんなかに
一本立っているほそい葦の茎のように、
身辺がおし流されて、いつのまにか
おもいもかけないところにじぶんがいる
そんな瀬のはやさのなかに
ながされもせずゆれている子供を、
盗まれたらかえってこない
一人息子の子供を、
子供がいなくなっては父親が
生きてゆく支えを失う、その子供を
とられまいと、うばい返そうと
愚痴な父親が喰入るように眺めている。
そして、子供のうしろ向の背が
子供のいつかいった言葉をささやく。
−−だめだよ。助かりっこないさ。
この連中ときたらまったく
ヘロデの嬰児殺しみたいにもれなしで
革命会議(コンベンション)の判決みたいに気まぐれだからね。




金子光晴
『どくろ杯 』(中公文庫)
出版社: 中央公論新社; 改版 (2004/08)
ISBN-10: 4122044065
ISBN-13: 978-4122044067
http://t.co/Pzditab



……ノルウェーでも大変な世界記録級の虐殺事件があったようだ。子供たちの命も多く奪われた。
 
 
 
 
 
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2010年12月10日

でたー、文庫版。『柳生大戦争』/荒山徹(著)



「えっ?」っというのが、この本を封筒から取り出したときの正直な感想。その直後、これが自分の描いた絵だとはっきり認識する。自分の描いた絵ではあるが、もの凄く念入りな加工が為されている。これはデザインの仕事だ。すごい! こんな風になるのか! あまりの鮮やかさに感動した。色の鮮やかさ然り、なによりも、その仕事の鮮やかさ。

 ちなみにこの本は、2007年10月に刊行された同タイトルの単行本の文庫化されたもの。
 その当時、この作品と出会った僕の当惑は、まだ記憶に鮮明だ。
 http://mario-mandala.seesaa.net/article/62101922.html
 これがその当時の記録。
 とにかくその内容に、ぶっ飛んだ。文庫版の帯にある「ぶっ飛んだ」というのは、まったく誇張ではない。しかし、どう「ぶっ飛んだ」のかと言えば、それは…… とにかくその内容と、描写。是非御一読を。剣術の柳生新陰流の柳生一門の話、ではあるのだが、これは想像を絶する物語。

 時を経て…… 今なにを思うかと言えば、その出会いのありがたさ。この縁を繋いでくれたのは、道化師であり作家の明川哲也さん、またの名をドリアン助川さん(この名が再び解禁されたらしい)。そして編集者の福田美知子さん。本当にありがとうございます。先の荒山徹さんのトークイベントで、この文庫版の担当編集者の奥村さんから、文庫の表紙に単行本の扉にあしらわれた絵を転用したいとの申し出をもらい、勿論二つ返事でOK。
 ……そしてそれら縁の前後にも、更なる縁あり(遠い目)。
 
 とにかく、こんな素敵なことになるとは!
 自分の創作のヒントまでもらってしまうとは……。
 まあ、自分自身では試さないかなと思うけど、他とのコラボレーションの可能性についての提案ではある。




『柳生大戦争』(講談社文庫)
 荒山 徹 (著)
 出版社:講談社 (2010/12/15)
 価格:760 円



 最近あれこれ壁にぶち当たっている感じで過ごしているけど、なんかこういうことで報われると、本当に捨てたものではないなぁと、しみじみ感じ入る。

 なにはともあれ自分も元気で、子供たちも妻も元気。
 あれこれあれこれ慌ただしく、気忙しく、余裕を感じられない時だけど、ひとつひとつ、瞬間々々が、なにかを紡いでゆくんだなぁ。
 と、気を取り直す。
 何事も虚しいことではないのかもしれないな。
 
 
 ※上記、明川哲也さんが、ギタリストのMITSUさんと一緒にやっている道化師コンビ、アルルカン洋菓子店のライブ、こちらもいろいろあって大変なことになっている青山/渋谷のシャンソニエ名店「青い部屋」にて、12月23日の夜。楽しみ。楽しいだけの一夜では終わらないだろうな。
 青い部屋HP http://www.aoiheya.com/
 
 
 
 
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2010年10月16日

こころのなかで僕はこれを「ショートトリップ大全」と呼んでいます

 企画の進行段階からこの話を聞いていて、それでそのスタートを待っていた訳だけど、一昨日書店に行ったらポプラ社の『百年文庫』のシリーズがドカーンと先ずは五十巻、出版されていた。フランクフルトに行っている間に出てたのかな。

 二ヶ月程前にこの企画の責任者/編集者の野村さんとお昼に韓国料理を食べてその後コーヒー飲みながら久し振りに割とじっくり話をする機会があったんだけど、その時に『百年文庫』のどの巻から買うんだろうねというような質問されて、まあ実際に見てから考えようと思った。やっぱり直感的に手に取って読みたいから。
 関係ないけど、野村さんと話をするのはお互いシラフの時の方が良いかもしれないなとも思った。

 それはさておき、あれこれ迷った挙句に、手に取ったのは『女』と『幻』の巻。どちらもぼくの生活と密接に関わっており、でも知っているようで知らない。知らないようで知ってる。つまり興味があるテーマということだったんだけど……。

 この文庫シリーズは、各巻それぞれに漢字の一文字が与えられていて、その漢字の意味に関係のある古典/近古典の短編が三編ずつ収められている。有名な作家のものでも読んだことの無い作品が目白押し。

 例えば『女』の巻に収録されているのは、芝木好子『洲崎パラダイス』、西條八十『黒縮緬の女』、平林たい子『行く雲』。そして『幻』の巻に収められているのは川端康成『白い満月』、ヴァージニア・ウルフ『壁の染み』、尾崎翠『途上にて』。正直どの一編も読んだことない。
 それで先ずは『女』の芝木好子の『洲崎パラダイス』から読んでみたら、やっぱり期待通りというか「なるほど!」というような作品だった。読みかけの『女』をそのまま事務所に忘れて来てしまったから、帰り道では『幻』の川端康成『白い満月』を読みながら電車に乗ってきたんだけど「なるほどなるほど!」という世界。

 大好きな翻訳者でもあり、フリーの編集者でもあり、まあ友人でもある浅尾敦則さんがこの編集チームの柱の一本として関わっているということもあって、途中の話はちょっと聞いたりもしていたんだけど、これはものすごい仕事だと思う。
 別件で細かな文字の契約書を浅尾さんに送って内容確認してもらおうと思ったら、「そのまま進めてもらっていいです。もう小さな文字は見たくないので」って言われたな、そういえば。
 でもこの仕事は大変だけど楽しかったんじゃないかなと想像。

 一編々々読みながら、じっくり集めてゆきたいと思う。短編ってやっぱり独特の面白さがあるなと再確認。いや、いつだって短編好きなんだけど、でも仕事をしてると短編集って敬遠されがちで、その辺で短編は大変というような無意識の刷り込みがなされていたから、こういうシリーズは本当に嬉しいな、と。

 こころのなかで僕はこれを「ショートトリップ大全」と呼んでいます。

● 『百年文庫』全ラインナップ
  http://www.poplar.co.jp/hyakunen-bunko/lineup/

 ただでさえ読みたい本をいっぱい溜めてしまっているのに、大変だ。
 まあでもこれは揃えるべきだな、と。少なくともぼくは。
 
 
 
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2010年09月17日

本ってなに? という話なのかな、これは。宣伝ぽくなっちゃったけど、むしろ宣伝したいというか。

 比較文学者という肩書きが果たして正しいのか、先生と呼ぶのが正しいのか、旅人と呼ぶのが正しいのか、文筆家と呼ぶのが正しいのか、詩人と呼ぶのが正しいのか…… どれも正しいと言い切れないような気がする、人、としか呼びようのない気もする管啓次郎さんの詩集が近々出版されるらしいという風の便りがあって、そわそわとそれを待ち切れない気分で管さんの『本は読めないものだから心配するな』と『ホノルル、ブラジル』、手元ですぐに見つかったこの二冊を先ず読み返している。どちらも、ただ書かれた文章の集積。だけどそれが良い。ただ書かれたというのはこれまた正しくないな。思考も感情も行動も、そういうものがとにかく文章となってそこに在るような、そんな正直な本。

 今日も誰かとそんな話になったけど、指数化されないところに軸足のある表現からしか、強度のある表現というのは生まれて来ないような気がしている。というかそれをほぼ確信している。別に強度がなきゃダメって言うつもりもないけど……。個人的にはそれを感じるモノの方が好きなので。というか愛せるので。
 勿論、指数が悪いというつもりもなく、願わくばこういうモノにこそ、指数が伴ってくれても良いんじゃないかなぁと常々思う訳だけど、そこはまあ社会的要素というか、その問題もあるし、ほろ酔いで掘るには深い脈なので、今はさておき。

 勿論何事においても例外というのはあるとは思うが、押し並べて計ってみると、この指数化されたフィールドのなかで非常に多くのモノが生産されている。その生産物の傾向って確かにあると思うんだけど、むしろ分かりやすくあるんだけど、で、それはそれで良いのかもしれないし価値もあるかもしれないんだけど、それだけじゃないでしょ! と言いたい気分でワインで管さんの本だし、詩を待っている今の気持ちなのだと思う。まあワインは余計だけど。
 
 今日その話に誰かとなったという話だけど、要はある優れた能力のある(とぼくが感じている)作家から、というか言語表現者から、結局は自分の著作の翻訳権が海外で売リ難いのは自分が流行していないからで、それについて申し訳ない、というような言葉が届いたという話。まあ台湾の大手出版社にフラれちゃったという報告の後に、その返信があったんだけど……。

 芸術って指数化されたフィールドとの相性があまり良くない。だから苦しいと感じてしまう人達も多い。

 でも逆手にとって考えてみると、数値化されていないフィールドでは、ものすごい力強さを発揮したりするんだよね。指数ってウソとも仲良しだよね。

 成果主義こそすべてみたいな今の風潮のなかでは、だからまあ苦しいのは分かる。でもそれは今は耐えよう。次の目的地を目指してとにかく歩く管さんのように、その歩みにこそ快楽を認められれば、それこそが強度に繋がる足取りなんじゃないかと感じる。

 レコードやCDのリリースを待つように、給料日を待つように、映画の公開を待つように、芝居の初日を待つように、いや夕ご飯を待つように、いや旧友との再会を待つように、一冊の本の発売を待つこともある。今は取り敢えずコレを待っている。もうすぐだ〜。

『Agend'Ars / アジャンダルス』
 管 啓次郎 (著)
 http://www.amazon.co.jp/dp/4903500411/

 
 ちなみに、27日(月)、青山ブックセンター本店でこの詩集の出版記念の催しがあるらしく、それは行きたい。最近予定が詰まりすぎだから、上手い具合に行けるといいなぁ。
http://www.aoyamabc.co.jp/10/10_201009/agendars927.html
 なにしろ写真のバックがモアイ像。イースター島ってどこ?
 
 
 
 
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2010年08月30日

荒山徹さんのトークイベントに行ってきた(三年振り二度目)

 池袋のジュンク堂で作家の荒山徹さんのトークイベントがあるということで、この本の編集者である講談社の福田美知子さんがご招待してくださって、いそいそと出掛けてきた。題して「荒山徹(作家)×細谷正充(文芸評論家) 百済・新羅 〜石田三成(ソクチョン・サムスン)を巡る時空〜」。



石田三成 ソクチョンサムスン [単行本]
荒山 徹 (著)
出版社: 講談社 (2010/7/2)
http://www.amazon.co.jp/dp/4062163128/


 時代小説雑誌『KENZAN!』での(当時は『柳生大作戦』のタイトルでの)連載の各号の扉の絵にぼくの絵を使ってもらい、またその連載が『石田三成(ソクチョンサムスン)』というタイトルに変更されての単行本化の折に表紙の絵を描かせてもらった小説の著者が、その荒山徹さんという作家だ。“石田三成”という人名が韓国語読みの音で“ソクチョンサムスン”ということになるということなのだが、ちょっとというかかなり独自性のあるタイトル。同氏は『徳川家康(トクチョンカガン)』という小説も去年出版しており、内容はまあ読んでのお楽しみということにしておくが、要は…… 要はどういうことなのだろう。
 とにかくこの作家の経歴をものすごく簡単に書くと、新聞社勤務を経て韓国に留学、その後作家に転身、で今に至るということ。その留学中の韓国で学んだ韓国の歴史が、ご自身の大好物である剣術の柳生新陰流の柳生一族の歴史にはじまる日本の歴史の話と、かなり興味深いブレンドとなって成立しているメタフィクションの作家ということになるのだろうか。その世界では「伝奇小説」というジャンルに位置付けられるということで、先人には隆慶一郎や山田風太郎、荒俣宏、夢枕獏などがその系譜のなかに挙げられるようだ。御本人が新聞社を辞めて韓国に渡った背景には、ジャーナリスト時代に勤務地だった川崎市あたりでの経験がトリガーしたという経緯があるようで、wikipedia の「荒山徹」の項によると「在日コリアンの指紋押捺反対運動を取材したのがきっかけで大韓民国に興味を抱き独学で韓国語を学びはじめ、その熱が高じて留学した」となっており、それはどうやらフィクションではなさそう。
 その筋ではとても有名で、というか周囲の様子を見るにつけ物凄くファンに愛されている作家であり、栄誉ある文学賞を授けられてもいる作家なのだが、現状ある意味で特殊カテゴリーの作家ということになると思うので、簡単に説明を書いてみた。
 ……で、書いてみたんだけど、書きながらこれがその小説世界や作家性の説明としては全く足りないんじゃないかとも感じる。
 まあ大筋では恐らく上記の説明で足りているのかもしれないんだけど、その小説の描く世界観というか世界設定というか、そういう要素が破天荒すぎて、なんとも形容しがたい物語世界なんだよなぁ。三年前に初めてこの作家の世界に触れたのはその時に出版された『柳生大作戦』という小説のジャケットの装画としてぼくの絵を採用してもらった偶然があったからなんだけど、その時には原稿を読んでとにかく絶句してしまって…… 非常に僭越ながら「この依頼を引き受けるべきか否か」というのを絵描きとしてかなり本気で悩んだことが記憶に鮮明に残っている。衝撃があったということだが、その衝撃というのが凄まじい違和感を伴った衝撃だったということでもある。「なんなんだ、これは一体!」というその衝撃が、やがて「スゴイなしかし! なんだこの筆力は!?」という衝撃に変わってゆくまでに数日要した。
(※ その時のリアルタイムの記録はココ: http://mario-mandala.seesaa.net/article/62101922.html
 
「可能世界」という言葉が論理学や哲学にあるみたいだけど、荒山ワールドについては、まあ「不可能世界」としか言いようがない。“だけれども”なのか“だからこそ”なのか判らないけど、ただ荒唐無稽ではないメタフィクションとして成立してしまっているように思えるその理由が一体どこにあるのかなと考えた時に、今回のジュンク堂でのトークでも言明されていた「隣国の歴史を、いかに親しみやすい物として紹介するか」という一点にその根拠のひとつが大きくあるのだろうなと思う。
 これはこの荒山徹さんという作家が、そもそも新聞記者時代に体験したという、日韓という両国の歴史的関係性のなかに存在する各民族主義に起因する根強い政治的/民族的不調和に対し、少しでも開放的な視座を提案したい、という姿勢を持ってその創作に挑んでいるからではないだろうか。その開放を、氏はエンターテイメントの流儀で行おうとしているということなのだろうなと、今回も改めて感じた。なんというか突拍子も無さ過ぎて、また時にというか往々にしてキワど過ぎて、「親しみやすい物として」というところに疑問が残らないではないけど……。でもまあ扉のなかった場所に扉を作っているというのもまた間違いないことのような気もする。

 今回の『石田三成(ソクチョンサムスン)』において登場する怪獣のような神話的生命体などは、特定のエンタメの世界においてはレトリックのひとつ典型的な形なのかもしれないけれども、例えばキリスト教世界で人間の暗部を幻想的な作品のなかに描き異彩を放ったオランダの画家のヒエロニムス・ボッシュの、倒錯的で狂気に満ちた、それでいながらも効果としてリアリティを突き付けてくるような妄想世界の産物などとも共通性があると言えなくもないような気がする。要はその効果だよね。
 そのような文脈で考えてしまえば、フィクション化された世界のなかでどんな不思議なことが起ろうと、誰が死のうと蘇ろうと、時空を超えて目の前に現れようと、そんなのはまあどうとでも合理化できる単純要素ということになってしまう。
 なんと言ったってヴァーチャルだからね……。

 トークのなかで今後の物語の構想などいくつか披露され、そこでは例えば日韓という関係を離れたところでも、イギリスとフランスという対立があったり、また中国と周辺民族との対立構造の歴史があったりと、同類のコンフリクトというのは場所を変え時代を変えあらゆる形で存在してきたわけで、そのような人類の民族的対立構造を物語の設定として応用しようと思えば、それこそどのような形ででも二項対立の舞台として成立させることができるのではないかというような発言があった。(で、そこに柳生十兵衞とかを登場させればいいんだってさ! えっ!?!?)
 また、例えば日本における律令制の確立がもたらした政治的転換などを挙げて、そこに最近の政治的事件などを重ね合わせることにより見えてくる立体的要素などについてもいくつか具体例を伴った話があった。
 このようなパターン・レコグニションが根底にあるからこその荒山ワールドなんだろうなと勝手に理解した今回のトークだった。
 その抽象性があるからこそ、この種のエンタメ世界のレトリックに馴れないぼくなんかにでも楽しめる読書ということになるんだろうな。トークの内容として特撮や漫画などのあれこれとの対比の話なども出ており、その辺もまたツボなんだろうなというのは察することができるけれども、例えばそういう元ネタに馴染みの薄い読者にも読めるというのは、やっぱりその歴史のパターン認識が礎となった創作だからじゃないかなと感じた。
 トーク自体は概ねテンションがゆるゆるとした感じのハニカミ系で、対談相手の評論家/細谷正充さんとの掛け合いには、そこかしこで謎めいた笑いが起っていた。

 ちなみに宝塚ファンのうちの奥さんも、先の『柳生大戦争』が切欠となっていくつか荒山作品を読んでいるのだが、そういう宝塚ファンのような様式美好きの人間からすると、荒山ワールドにはある種の馴染み易さのようなものがあるらしい。要は共有できるツボがあるというか。で、荒山徹さん御自身が宝塚ファンらしいと彼女に伝えたところ、妙に納得していた。
 ということで、元々、阪急コミュニケーションズという、親会社を宝塚歌劇団と共にする出版社で雑誌の仕事などしていた彼女がスタッフとして仕事に加わった宝塚歌劇検定 公式基礎ガイド2010』(阪急コミュニケーションズ)を最新号の『歌劇』だか『グラフ』だかと一緒に、荒山徹さんに献本させて頂いた。
「他になにか面白い本とかないの、レアなポスターとかカレンダーとか!?」と訊ねたところ、「だって何組の誰を贔屓にされているか判らないんじゃ選べるわけないじゃないっっ!」と、アンチ宝塚なぼくは軽く叱られました……。


 
 さておき、福田さんにお誘い頂き、トークイベントの後の打ち上げの末席に加えて頂いたのだが、その席で異彩を放っていたのは、むしろ対談相手の評論家/細谷正充さんだったかもしれない! 50万冊までなら蔵書可能という3階建の自宅付きの書庫を所有されているようだが、ご本人曰く「ぼくはコレクターじゃない」とのこと。話を聞けば聞くほどそれは御尤もという感じで、要は「読みたいから手に入れているだけで、そうこうしているうちに数が増えただけのこと」というのには確かな説得力と迫力があった。
 
 この五〜六月の神戸でのぼくの個展に、大阪在住の荒山徹さんは奥さんと共に足を運んでくださったのだが、その時のことを少しだけ聞けたことが、とてもとても嬉しかった。
 

 トークに耳を傾けつつ、馴れないスケッチしてみました。
 妻曰く:
「裁判の傍聴にでも行って来たの?」
 ……ごめんなさい。

 
 
 
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2010年06月30日

「石田三成〜ソクチョンサムスン」荒山徹(著)のジャケット描かせてもらいました。っていうか日本負けました(2010W杯)

 出ました。
 というか出ます! 7月2日。講談社より。



 荒山徹(著)『石田三成』 。読み方は「いしだみつなり」じゃなくて「ソクチョンサムスン」だそうです。どういう意味かというと「石田三成」の韓国語読みのようです。どうしてかというと、あの石田三成が実は百済党という要は古代の朝鮮半島の三国時代に覇権を争ったあの百済、新羅、高句麗の百済のシンジケートの末裔だからだそうです。信じられないでしょう? まあいいんです、信じられる/られないは、この際どうでも。とにかくその実は百済党末裔だという石田三成ことソクチョンサムスンが(おなじみの)怪しげな朝鮮古来の妖術で魔人となって、豊臣秀吉亡き後の天下を狙って★§◎▲♂*⊆×≧∞♯煤ャ※という歴史の舞台に、例のごとくあの剣術の柳生一門が絡んで◆‡≒§☆△√⇔℃£∵%●Å∠という話なのですが、この本の帯にもあるとおり、そこに「時空を超えた壮絶な戦い」があるっていう、まさしくとんでもない話でした。どれくらい時空を超えているかというと、中大兄皇子や蘇我入鹿なんかのあれこれががそもそも、そのサクチョンサムスンをキリキリ舞いさせる千年後のあの事件をトリガーしていたりっていう、それくらいのスケールです。あの事件って、どの事件だ?っていう。いやそこは勿論天下分け目のあの事件に決まっているでしょう、という。
 


 やっぱりついて行けないかもしれない……。いや、もしかしたら行けたのかしれない、今回は。いや、やっぱりついて行けなかったのかもしれない。
 
 途中で何度も何度も迷路にはまり込みながら、『柳生大作戦』というタイトルで時代小説雑誌『KENZAN!』にて連載されていた本作の扉絵を描かせてもらった。
 講談社の同誌編集長の福田美知子さんから締切日の指定と共にゲラが送られて来るのが毎回々々必ずぼくの海外出張の日程とばっちり重なったのは、もしかしたらあの妖術が効いいるからなんじゃないかと本気で思って眠い目をこすっては泣きながら絵を描いたのも、今となっては良い思い出……というか、やっぱり不思議な記憶だ。


 
 徹底したエンターテイメントとして物語を自由奔放に、そして好き勝手気儘に紡ぎながら、その背後に“もしかしたらなにかとんでもない意図が!?”と思わされてしまうのは、やっぱりこの荒山徹という作家の筆の妖術に、読者としてまんまと引っ掛かってしまっているのかもしれないなぁ。

 ところで今回の物語では、柳生の起源が明かされています。
 その起源となるエピソード然り、まあこの物語のクライマックスであり“落ち”でもある最終局面然り、とにかくこの荒山徹という作家の大きなフェイントに、ぼくは読者として完璧に引っ掛かり、その引っ掛かる快感っていうのは確かにあるなあ、と思いながら読みました。凄腕です。
 ぜひ、読んでみてください。とにかく面白いから! えっと、面白いで片付けたら怒られるのかな? 誰に?

石田三成 ソクチョンサムスン
著: 荒山 徹
出版社: 講談社
http://www.amazon.co.jp/dp/4062163128/

 
 ブックデザインは前作『柳生大戦争』と同様、大御所ブックデザイナーの坂川事務所:坂川栄治氏+永井亜矢子氏。デザイナーの仕事は種類が全然違うプロフェッションだなと、ひたすら感心する仕事。
 
 
 
  
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2010年04月23日

翻訳口座/田内志文

 ところで、翻訳者の弟、田内志文が「翻訳口座」なるものを開催する模様。

 情報をどう書こうかなと迷った挙句に検索してみたら、なんとwikipediaに項目発見。

田内 志文(たうち しもん、1974年4 月15日 - )は、翻訳家、文筆家、スヌーカープレイヤー。埼玉県出身。ベストセラー「Good Luck」の翻訳などで知られる。

明星大学日本文化学部卒業。フリーライターを経て渡英、イースト・アングリア大学大学院にて翻訳を専攻。2006年スヌーカー・チーム世界選手権、 2007年スヌーカーアジア選手権日本代表。
http://ja.wikipedia.org/wiki/田内志文


 
 
 ベストセラーになった『Good Luck』などのヒット作から、『レインボーマジック』、『トンネル』シリーズ等の児童小説、アーヴィン・ウェルシュの『シークレット・オブ・ベッドルーム』などの現代文学、それから自己啓発系の実用書などまで、割と幅広く手掛けてます。

 で、気になる講座のプログラムの内容は:

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開始日:2010年5月10日(月)
回数:全16回 4ヶ月(毎週一度課題提出。量はあんまり多くないです)
☆内容
・1〜4:簡単なものを翻訳と、基本の解説。
 小中学生向けの簡単な本を数ページ、詩を数編などなど、無理のないものを翻訳していただき「どんなミスをしがちな傾向にあるか」を指摘。その回避法などを解説します。簡単なもので犯すミスは、どんなものをやっても犯すミス。辞書など引かなくても読めるくらいのものから始めてみるのが基本ですし、何年経ってもやってみるべきチェック法です。また「翻訳すべき英文に向き合ったら、まずはここをチェックしよう」というチェック項目の解説などなど。

・5〜8:キャラクターやストーリーの解析など、日本語でのそれの再現など、訳文作り応用編。
 1〜4で学んだ基本を頭に入れて原文と向き合います。キャラクターの性格をどう決めるのか、書かれていないストーリーの裏側にどう手を伸ばすのか、などなど……。原文全体を把握し、それをしっかり日本語に置き換えるための「材料集め」は、翻訳作業の肝の部分といえます。翻訳作業の半分くらいは調べ物に費やされるといっても過言ではありません。「何をどう調べ、どう決めるのか」を、効率のよいリサーチ法と一緒に解説します。

・9〜12:シノプシスの作成と、作品の構造解析。
 翻訳者の実力が、もしかしたらいちばん分かりやすく出るのがシノプシスの作成かもしれません。シノプシスとは、たとえば300ページの作品をA4用紙7枚にまとめたもの。あらすじ、梗概、そんな感じです。シノプシスは、出版社が出版の可否を決めるときにしばしば参照される大事な資料で、その作成は翻訳者や下訳者に任されることが多いのですが、いかんせん制作期間が短いもの。その短い時間の中で、いかに効果的なシノプシスを作成すればいいのかを解説。この「ざっと読んで把握する」という能力は、とても大事です。また、実際に自分でオリジナル作品のシノプシスを作り、ちょっとした短編やエッセイなどを書いてみながら、シノプシスというものに対して逆側からアプローチしていきます。また、書き上げたものを叩き台にして、日本語の文章力アップのポイントなどを解説します。

・13〜16:実践翻訳作業。
 短いテキストを翻訳し、ミスをチェック。また同じものを翻訳……ということを繰り返します。ミスを犯したら、そこに留意して別のテキストを翻訳するよりも、同じものをやり直してみるほうが自分でも分かりやすいものです。数ページほどの短編を2本用意しようかと思っていますが、今回はテスト運営ですし、ここまでの進み具合を見ながら判断して決めていこうと思ってます。

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 と、大丈夫か? というくらい盛りだくさん。

 翻訳に興味のある方、www.sukimaweb.com/simon/より、問い合わせてみてください。
 
 
 
 
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2010年03月14日

『柳生大作戦』驚愕の最終回!

 講談社の時代小説雑誌『KENZAN!』(vol.11)で連載されていた荒山徹著『柳生大作戦』がついに最終回を迎えた! 
 いやもうなんというか、三成哀れ……としか言いようのない関ヶ原の戦いだった。そしてその悲劇への仕掛けは、とにかく無駄に(?)壮大だった。Sci-Fi だった。とにかくアゴが外れるほど哀れだった。あんなにイケイケだったのに。

arayama_final.jpg
(たまたま誕生日と重なったから賑やかになっただけ!)

 ぼくはこの連載の扉の絵を描かせてもらっていたのだが、これにて完結。『柳生大戦争』の表紙の絵を描かないかと依頼を受けて、その原稿を読んで、混乱し煩悶したのが早三年前……。それからいくつかこの作家の小説を読んできたけど、どれもこれもよくもまあ……という感じ。でもこの自由は嫌いじゃない。いや、今や好きになってしまった自分がいる。

 とにかく毎号の新しい原稿が届くのが楽しみだった『柳生大作戦』。
 なぜか絵の納期がいつも海外出張の期間と重なって大変だった『柳生大作戦』。あれも柳生の時空を超越した罠だったのか。 ……そんなことはないよね。
 毎回、原稿を読んで自分なりに咀嚼して、それを例のモチーフに重ねた。またあらためて並べて見直してみようかな、と。

 にしても石田三成…… あの関ヶ原の最後の光景は、もうどーしょもないの一言に尽きる。Ah... 注意深く生きようと思った。
  
 
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2010年03月06日

via サンクチュアリ

 5日(金)は仕事から流れ、サンクチュアリ出版の移転のパーティで千駄ヶ谷へ。
 サンクチュアリ出版には『THREE CUPS OF TEA/スリー・カップス・オブ・ティー』という、世界的ベストセラーとなっている本を紹介し、出版してもらうことになっているのだが、その出版日が今月25日。ものすごく積極的に展開してくれるようで、本当に楽しみだ。
 とにかくサンクチュアリ出版が本気と言えば、めちゃくちゃなエネルギーが投入されるということ。既に書店での注文も始まっているとか。

『スリー・カップス・オブ・ティー』
http://www.sanctuarybooks.jp/tcot/
<簡単な内容紹介> 
http://www.pro.or.jp/~fuji/englishbooks/Mortenson.html
というような内容のノンフィクション。

 K2登山で遭難した男がパキスタンの村人達に助けられ生き返る。そこからの彼の人生がスゴイ!

 パーティーは、本当にここ最近の日本の出版業界の雰囲気が消し飛ぶくらい素晴らしい出版社のパーティだった。一昔前を思い出すような活気。こういう感じだからできることがあるんだろうな。
 
 とにかく、サンクチュアリ出版と組んで仕事をしてみたいというのは長らく持っていた願いだったので、このような素晴らしい企画でご一緒させてもらえるのは、最高と言うほかない。

 新しい会社は写真家であり友人の長谷良樹くんが近所なので、声を掛けて一緒に出掛けた。そこでヨシキ君も久し振りの再会の友人という宝石商であり「日本おにぎり隊」の主催者の那須勲さんがいて、紹介してもらった。賑やかなパーティーを後にして、ちょっと落ち着いて座れる店に入って一杯飲んだ。ここからも何かが生まれそうな縁ができて、来週の月曜日に、また三人で会うになった。

「おにぎり隊」( http://www.onigiritai.com/ )と言えば、ミャンマー、インド、パキスタン、トルコ、etc... 世界各地に出掛けて行って「おにぎり」を通じた文化交流をするNPO。妻もなんだか縁があるようなことを言っていたと思ったら、彼女の仲間も数人その活動に参加している模様。うちで取り寄せさせてもらっている無農薬の米作農家の信太さんという人も活動に加わっているとかで、意外なところでまた縁が繋がった。
 那須さん曰く「おにぎり隊」の活動を通じて知り合って結婚したカップルも数組、とのことだったが、その信太さんとその奥さんが、まさにそうだったという話を妻から聞いて偶然の連なりを楽しむ。こういうのは更に面白く発展しがち。

 で、その妻の本『働くおうちの親子ごはん』シリーズ(?)を出版してくれている英治出版の社長、原田さんの姿が何故かパーティー会場に。なぜ「何故か」となるかと言えば、昼間に仕事の用事があって原田さんに電話をしたら「韓国出張中」とのことだった筈…… どうやら羽田から直行してきたらしく、妻へのお土産として、胸ポケットから大韓航空の機内食の例のチューブ入りのコチュジャンを頂いた。

 会場にて待ち合わせたアチーブメント出版の“昇り竜”こと、そもそもぼくをサンクチュアリ出版に繋いでくれた出版界の旧友、塚本くんとも話をあれこれする。アチーブメントでの一発目のメモリアル企画となった『ゴールは偶然の産物ではない』が初期目標の3万部に到達。ここから先の企画もあって、とにかく沈んだ話の多い出版の世界のなかで、この夜は素敵な一夜だった。
 
 
 
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2009年11月24日

FREE(フリー)/クリス・アンダーソン


フリー:〈無料〉からお金を生みだす新戦略』
クリス・アンダーソン (著)
小林弘人(監修・解説)
高橋則明 (翻訳)
http://www.amazon.co.jp/dp/4140814047

 NHK出版から出されたこの本、読んでみたら興味深かったので、先週の金曜日は「FREEMIUM HACKS!! (フリーミアムを攻略せよ)」と題されたトークイベントに出掛けてきた。会場は青山にある青山学院アスタジオ。建築物として気に入った。イベントのテーマがテーマなので、解禁になったばかりのボジョレーヌーボーはじめとするドリンクや軽食なども「FREE(無料)」のサービスにて。

 著者のクリス・アンダーソンは米『WIRED』誌の編集長であり、最近よく耳にするようになった「ロングテール」というコンセプトの提唱者。
 この人が「フリーミアム」という「無料経済(?)」の理屈を説明してゆくというのがこの本の趣旨なのだが、僕はビジネス書/経済書というよりも、過激に変容し続けている現在の商業的価値基準を解説するジャーナリズムの本として面白く読んだ。あるいは日々体験しているリアリティと密接にリンクしたところにあるサイバーパンク的世界を描いた面白い作品のようでもあり、“読書”として楽しめた。元々のリテラシーの高さがあり、更に和訳のテキストの仕上がりも素晴らしいから、そのように楽しく読めたのだと思う。

 この本の日本語版の副題として『<無料>からお金を生み出す新戦略』とあるが、「お金」が議論のすべてでは、当然ない。英語での原題では「The Future of a Radical Price」となっており「新たなる価値の未来」というのが直訳に近いような気がする。
 <新たなる価値>として<フリー(無料)>が語られていることには違いないが、経済を超えて思想的領域にまで踏み込んでいくんじゃないかというところがスリリングで、故にサイバーパンクの文芸作品を読んでいるような錯覚をしたりもした。
 日本の本のマーケット(つまり読者)は「お金」や「ビジネス」が大好きだから、この説明的な副題が付けられたのだと思う。
 これまでの長きにわたって存在してきた価値基準が迎えている、現在のパラダイムシフトを、とても分かりやすく解説した本。価値が転換する時というのはエネルギーが生まれて面白い。

 もっとも、こちらの勉強不足というのが最大の理由だし、この本のとっている立場と僕の読者としての立場が異なることも理由のひとつかもしれないが、すべてがそのまま咀嚼できるコンセプトだったわけではない。例えば「要するに、アイデアとは究極の潤沢な商品で」(p.111)と言われれば、すべてのアイデアを「商品」としてザックリと語ることには感情的な摩擦も覚えたし、他にも読み進めながら著者の理解と説明に対して疑問符が湧く点も多くあった。でも、それはそれで自分の思考を刺激する切欠になった。
 テクノロジーに先導される経済/商業世界の“今”についての、とても良い教材であることは疑う余地がない。

 この本にまつわる様々な付随/関連事項が http://www.freemium.jp/ において、リアルタイムでフォローアップされている。
 
 ちなみにトークイベントの出演者は以下のとおり。

出演者:
・佐藤僚(頓智・株式会社 COO)
・杉山竜太郎(株式会社LoiLo/取締役)
・田端信太郎(株式会社ライブドア執行役員/メディア事業部長)

司会進行:
・小林弘人(株式会社インフォバーン代表取締役CEO)
 
 話はそれぞれに興味深いものがあったが、それこそタダで商品プロモーション? という気配も。ただ、LoiLoの映像編集ソフト「Loiloスコープ」はフリーウェアとしても存在しているようだが、有料版を買っちゃっても良いかなと思った。http://loilo.tv/ 
 他に、Wikipedia財団の人が来日していて、挨拶程度のトークもあった。ちなみに通訳は本書『FREE』の編集者でもあるNHK出版の松島倫明さん(本の紹介や、前例のない1万人規模の全文無料先行公開などの仕掛けに関するトークも)。
 

 
 ……なんにせよ、テクノロジーにこれ程までに先導される現実があるということが、紙とペン(もしくは絵筆)だけで成立させたいと感じている僕のプリミティブな創作のためのモチベーションを高めてくれる。……とも言える。ような気がする。

 僕にとって「FREE」とは「無料」であること以上に「自由」ということだ。

(*ちなみに、この本のなかではこの単語のそれぞれの意味と語源についても、きちんと歴史を踏まえた解説がなされていて、それも良かった)
 
 
 
 
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2009年08月19日

忙しい生活があったからこそ

 相変わらず、我が家はドタバタと忙しい。

 妻が料理愛好家/料理ライターとして独立したこの3月からこちら、目が回るような日々。

 独立したばかりで雑務に追われていた妻は強いクジ運の持ち主で、娘の幼稚園の役員という 1/85 の確立のクジを見事に引き当てたり……(それはそれで貴重な、興味深い経験をさせてもらっている様子だけど!)。

 その妻の二冊目の料理本『働くおうちの親子ごはん〜朝ごはん編』が出版されたのは先月、7月7日の七夕。

 出版社の営業担当者に連れて行ってもらっての書店回りは、本人にとってかなりの刺激になったらしく、またひとつ、なにかのスイッチが入ったようだ。



- - - - - 英治出版のブログより - - - - -
「働く家族の味方、田内さん同行記 20090709」
http://www.eijipress.co.jp/blog/2009/07/09/4155/

「本屋さんのママ友、田内さん同行記 20090710」
http://www.eijipress.co.jp/blog/2009/07/10/4167/

「料理本で5位!! 田内さん同行記 20090713」
http://www.eijipress.co.jp/blog/2009/07/13/

「ドラマ出演!? 田内さん同行記 20090714」
http://www.eijipress.co.jp/blog/2009/07/14/4183/
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 なんでもそうだが、本も、ただ出せば評価されて読まれる、というものではなく、やっぱりひとつひとつ丁寧に、読者の手に届けるためのアプローチを重ねてゆくことが重要。

 そして、そこまで含めてが、楽しい本作りであるわけで、今夜、恵比寿のMagic Room?? で開かれる出版記念パーティーは、彼女の活動/仕事の今後を考えれば必要な一歩(■パーティー詳細■)。

 もちろん、お客さんには可能な限り楽しんで頂きたく、お酒、簡単な料理(本のレシピから、トマトソースを使った数品)を用意するほか、素敵なゲストに友情出演をお願いしました!

● 一人はシンガーの堀田義樹さん。独特の気持良さを、やわらかな風のように吹かせる声の持ち主。Super Soul Sonics としての活動にいったん休止譜を打って、今はソロとしての活動がメイン。交通事故等あったようで、ソロ活動も夏休みだったところ、無理を聞いてもらっての出演となりました。「朝ごはん」をテーマにした、書き下ろしの新曲、あるかも!?!?

● もう一人は、DJのTARO ACIDAさん。Dub Squad の一員として、またDJとして、フジロックやメタモルフォーゼと言った大きなパーティーから、様々なクラブでのイベントまで、ジャンルを超えて音楽をとらえる人。つい先週のBen Watt(Everything But The Girl)をDJとして迎えた、TAROさん主催のパーティ「FLAT!」も、とにかくものすごく気持ちの良い一夜だった。あんなに人口密度の高いクラブで自然と踊らされたのは、ずいぶんと久し振り! しみじみと、しみじみと気持良く、日々のあれこれが振り払われるようだった。

 ひとりでも多くの「働くおうち」の人々に、この本が届いて役立てば良いな〜と祈りつつ、今夜も楽しいパーティーにしたいと思います。


 妻は以前、雑誌『PEN』の編集部にいたりしたこともあって、出版関係者たちも遊びに来てくれそうなので、それも楽しみ。

 思い返せば最初の本が出ることになったのは、彼女が『PEN』で編集者をして、僕は僕で勤めをして、そして当時まだ生まれたばかりだった第一子の娘(あっという間にもう6才!)を抱えて、ヒーヒー言いながら保育園に通わせて……、そんな生活があったから。

 今もまだまだドタバタした生活を送っているけど、そんな生活があるからこそ出てくるテーマを大切にしてゆきたい。


 今夜です。
 仕事帰りに恵比寿を通るよという人、料理に興味ある人、平日の夜、気持ちの良い音楽で過ごしたいという人、ぜひぜひお立ち寄りください!

 
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2009年05月19日

深夜事情/MDM発見?

 やっとやっと妻の仕事が一段落か? これで七月にめでたく二作目の本の出版となれば、彼女の活動も、また新たなフェーズに入ることになる。
 この数週間、まとまって眠る時間も確保できないまま、ようやくここまで漕ぎ着けた。御苦労さま。

 とにかく本音としては、彼女にとっとと作業をすべて終えてもらって、平和な夜を取り戻したい。
 小さな子供を抱えながらだと、子供たちが寝付くまでは仕事にならず、深夜から朝までの時間に作業が集中。
・睡眠不足
・深夜の試食でメタボリック加速
・僕の作業環境が確保できない

というのが主な弊害。

 一家に物を作る人間が二人いると、下手をすると二匹のタコが互いの足を喰い合っているような状況になりかねない。
 子供は朝になると勝手に目覚めるので、妻か僕か、どちらかが朝に備えて睡眠を確保するのも、また大切な仕事。子供たちは否応なしにこちらの足に喰いついている。
 作業効率の悪い環境。
 
 そんなこんなで三月末くらいからこの方、なんというか、とんでもなく目まぐるしい日々だった。でもそんな風に費やした時間が、例えば一冊の本という形となって結実するとういのは、本当に有難いことだと感じる。
 要は、あれこれあるけど幸せな時期ってことだと思う。
 そうやって幸せなホルモンを分泌させないと、やってられない。

 ……僕はこの週末から、今度は短期でバルセロナ。仕事のついでに組めそうになっていたライブの予定が、どうやら流れてしまいそうで残念。共演者候補が面白そうな相手だっただけに、特に残念。会場となる予定だったその人のスタジオ? 店? が、近隣住民と音や人の出入りのトラブルだそうで。
 会ってお茶でもしてくる。

 仕方ないので、久し振りにちょっと落ち着きを取り戻しつつある自宅にて絵を描く。そして、深夜の半ばいかれた頭で“マルチ・ダイレクション・メソッド-MDM-(笑)”の足懸かりを発見!? とにかく先ずは形にして、解釈はそれからだ。もしくは人任せだ。また少し重力から解放された? 気がした。
 しかしこうしてパソコンを立ち上げると、また業務/仕事メール地獄に突き落とされる。
 重力あっての無重力ということを、なんというかこういう俗っぽい形で思い知らされた気分になる。
 
 メソッドとか大袈裟なことを言いたくなったのは、今更だけど読んでいる『東京大学のアルバート・アイラー』(菊地成孔/大谷能生/ほか)が、かなり面白くて刺激を受けている最中だから。それだけ。
 ジャズと言われる音楽の理論や歴史を体系的に解説している講義録だけど、あんまり衒学的じゃなくて素敵。
 面白い音楽の本として、今僕の中で『のだめカンタービレ』と並んでいる。いや、ちょっと違うか。
 とにかく読みやすい。面倒臭くなりがちな内容を楽しく読める。
「知った気分」にさせてくれる。

 妻、就寝。御苦労様。子等は風邪……。
 
 目覚めているどちらかが、深夜の時間を見計らって、もう一方を起こして、作業シフト交代。そんな時期。
 
 
 
posted by マリオ曼陀羅 at 03:40| Comment(0) | TrackBack(0) | book | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月08日

『ユダヤ警官同盟』


 今気になっている本は、やっとやっと日本語訳で出版されたマイケル・シェイボンの『ユダヤ警官同盟(上・下)』(新潮社/黒原敏行訳)。この本を日本での出版に結び付けるまで、二年くらい費やした気がする。単純に自分の力不足。
 希代のストーリーテラーであり、ピューリッツァー賞(フィクション)も受賞しているシェイボンがヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞を総なめにした一作。
 イスラエル建国が無かった世界、アラスカのユダヤ人地区を舞台に繰り広げられるオルタナ・ヒストリーものでありつつ、酒浸りの警官がヨロヨロと事件を追うハードボイルドでもある。
 というか面白い物語にカテゴリー分けって必要なのかな? 流通の際の書店の棚の都合だろ? とか思ってしまう。カテゴリー分けが読者を狭めてしまう事があるのは残念だけど、カテゴリーに分けられないと出版さえされないことも多いというジレンマ。
 とにかくこの本は、既に一部で熱い論議を巻き起こしつつあるようなので、今後予定されているコーエン兄弟による映画化も含め、今年の成果として、とても楽しみな一作。
 日本語訳の出版でも優れた職人の手が掛かっている。
 
 
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2008年11月07日

舟橋聖一文学賞に荒山徹氏の「柳生大戦争」

 滋賀県彦根市は6日、第2回舟橋聖一文学賞に、作家の荒山徹さん(47)の「柳生大戦争」(講談社)を選んだと発表した。賞金は50万円。第20回となる舟橋聖一顕彰青年文学賞の最優秀賞(賞金50万円)には、名古屋市昭和区、中京大文学部2年河島光(あきら)さん(20)の「僕らの諸事情と、生理的な問題」、佳作(同10万円)には大津市、会社員小出まゆみさん(26)の「冬がはじまる」を選んだ。

 舟橋聖一文学賞は昨年設けられ、過去1年に出版された単行本の小説から選ばれる。青年文学賞は18〜30歳を対象に作品を公募している。

http://www.asahi.com/kansai/entertainment/news/OSK200811060081.html

2008年11月6日

------< 以上引用 >------

 本のジャケットと扉の絵を描かせてもらった記念すべき一作が、珍しい文学賞を受賞したらしく、なんだか不思議な感慨を覚えつつ、深夜の梅酒。……というか飲んでいたところで、このニュースを発見。
 
 近頃、自分の“創る”という事に関して、あれこれ煮え切らない思いを抱いていたところ、この異色の作家、荒山徹という人の、ある意味で天晴れと言うほどの奔放な創作の裏側には、果たしてどんな想いが渦巻いているのかなどと酔った頭を更に痺れさせながら、不思議を少し愉しむ。

 この小説、仕事の依頼のあったときにゲラを読み、少々混乱した。変だもん。だけど上手い。
 自分はフェティッシュを感じない種類の人間だなあと日頃から思うから尚更、この作家の描く世界の不思議さが異様に感じた。それはこの作家の作品世界を通じてフェティッシュの要素を持つあらゆるものへの違和感を覚えたからだと思う。
 よく知らないが自分の弟や、身近な友人・知人にもそういう趣向を持った人達がいて、僕は常々そこに何かの違和感を覚えていた。

 荒山徹という作家の、この作品『柳生大戦争』を読んで、悩んで、それで結局、そこに向き合って絵を描いてみようと思ったのは、この作家の腕前にやられたからだと思う。フェティシズムを隠れ蓑とした(というかそれもまたこの作家にとっての重要なポイントなんだろうなと感じながら)物語を妄想して恍惚としている様が、なんとなく見えた気がしたクライマックスの力に押し切られた形で、やっぱり描いちゃった、というのがその時の絵を描いていた心境で、ただそれすら今思い返せばの心境であって、その当時はその描写の鮮やかさと確かさにヤられていたんだろうなと思う。
 この人はこれが好きでやっているんだ、やり切っているんだと感じ、自分のやっていることに対する自分の思いと、僭越ながら不思議なポイントで何かが重なってしまったのだ、と思った感覚は今でも思い出すことができる。
 戸惑ったのは、この作家の悪ふざけを装った(?)、そのノリに付いて行けるか、行っても良いものか、悩んだ結果だったような記憶がある。同時に、これはふざけているのではないのかも知れないなと思ったのも事実。要は軽く混乱させられた。

 くどくど書いたが、結局は作品を楽しんでしまったという事に尽きる。

 知らない文学賞ではあるものの、そんなこんなで受賞は不思議で、しかし良いニュース。
 
 未読の人は読んでみてください。

 ついでに、荒山徹氏が現在『KENZAN!』という時代小説雑誌にて連載中の『柳生大作戦』の毎回の扉絵を、その縁で任せてもらっており、そちらもチェックしてみてください。僕の感じた困惑を共有してもらえると思います、そして、気付けば絡め取られているかも(他の作品も、勿論(?)スゴイ世界)。

 独特っていうのは、意味のある言葉だと思い至ったニュースでした。

 頭が痛い。

<関連: http://mario-mandala.seesaa.net/article/62101922.html >
posted by マリオ曼陀羅 at 01:02| Comment(0) | TrackBack(0) | book | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月26日

柳生大作戦#2(KENZAN! vol.6) ― 韓国つながり? ―

_MG_3752.JPG そんな目の回る日々を過ごしている間に、そう言えば大事な小包がひとつ、講談社より届いていた。

 時代小説雑誌『KENZAN! VOL.6

 今回の荒山徹氏もノリノリだ。この作家、なんというか良い意味でニッチで、このような世界観にくすぐられっぱなしの読者(ファン)の気持ちというのは、なんというか、というか良く判る気がする。作者は自分の組んだ櫓のうえで、自分の不思議な舞を舞う。目を背けようかと思っても、つい気になってしまう。
 いったんページをめくり、その物語に身を投じてしまえば、なんとういか「保証済」の世界が必ず待ち受けているのだから、立派だな、と思う。そしてその「保証済」の世界にも、必ずちょっとした「裏切り」のようなものが潜んでいる。
 その「裏切り」とは、著者の奔放なイマジネーションだ。
「えェェェ! そうなのォォォォ!? ってゆーかナンナノ??」というアレだ。必ず(どこかで)柳生一門が登場し、必ず朝鮮との間の(誰も知らない)謎の歴史が展開され、必ず怪しげな妖気が充満し、必ず剣と剣が火花を散らし(もしくは火花を散らすこともなく肉を切り裂き)、気がつけば柳生の名の下に世界が収束している。なんというかドラッギーな気配さえ漂う。
 その保証と裏切りのバランスこそがエンターテイメントなのかな、と感じる。
 いや、その裏切りが既に保証に内包されているのかも?

 話は逸れるかも知れないけど、この痛快感はマーベル・コミックのアメコミ・ヒーロー(もしくはアンチ・ヒーロー)物に共通するものがあるのかもしれない。この作家の場合には、もっとアレやコレがエグいようだけど。
 
 韓国/朝鮮というのは隣国なのに、少なくとも僕にとってはまだまだ謎の多い未知の国だ。韓国に関して言えば料理かサッカーか野球くらいでしか関心を持ったことがない国だった。例えばヨーロッパ諸国、例えばアメリカ、南米、中国、東南アジア諸国、中東などに対して持っているような固定観念すら持ち得ずにいる。多くの日本人にとって、そうではないだろうか。アフリカとかはどうなんだろう。
 荒山徹の小説を読んでいると、少なくとも韓国(の主に歴史)に対する興味が湧く。と同時に、子供の頃に感じていたようなマッチョなファンタジーを、柳生の剣士たちに掻き立てられる。
 
 縁あって連載の扉絵を描かせてもらうことになったのだが、その扉がこれまで自分の知らなかったアナザーワールドに導いてくれているのは、なんというか、幸せ。
 
(関連日記   
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2008年07月28日

ベジタ日誌

 ところで今週より、妻しょうこの、小さなweekly連載が“大地を守る会”という有機食材/無添加食材デリバリー大手の毎週のカタログにて開始されるらしい。
『ベジタ日誌』という、小さな囲みのコーナーで、大地宅配の野菜セットの活用例を写真と短いテキストで紹介してゆく企画。
 連載と言っても“読者ライター”的な立ち位置のようだけど、楽しみ。

 しかし一年間の週間連載…… マラソンだと思うが、走りきれるのか? 走りきった時にはまた経験値が上がっているとは思うので、応援したいと思います。

 長女が生まれてしばらくは『Pen』という雑誌の編集者を続けていた妻だが、長女が3才になるくらいのタイミングでいろいろあって他部署へ移動。彼女が編集者だった当時は本人も周囲も、時間的、環境的にかなり無理のある生活を強いられていた。だから、彼女が定時の仕事になった時には、僕は正直「ホッ」とした。
 その反面、彼女の創造性が活きなくなるのは惜しいなという思いがあった。それから余談だが編集者手当てが無くなった彼女の収入が激減した(そして、これが第二子を産んで時間短縮勤務になったこの4月から、更に目減りした!! 大丈夫か、我が家!?)。
 とにかく、元々クッキング・クレイジーな妻なので、雑誌編集者をやめて時間と精神力に余裕ができたその機会を活かすべく、どうせなら彼女の好きなことを追求してみて欲しいなという思いもあって、一緒に料理本の企画を考えてみた。

 それで出版されたのが、彼女の多忙だった編集者時代の家庭の経験が活かされたこの一冊。
kajima2008kids.jpg
『働くおうちの親子ごはん』
  田内 しょうこ (著)
  出版社: 英治出版 (2007/4/23)
  ISBN-10: 4862761038


 企画を立ててから出版に至るまでの道程は、割とすんなり。初版5千部を消化して、増刷がされたとか、決まったとか。
 なにかと忙しい共働き育児家庭に向けた実用料理書です。作り置きとか簡単な下ごしらえとか、そんな食材を利用して手早く美味しく楽しい料理のレシピみたいなのがたくさん。それぞれの季節の食材で、春夏秋冬それぞれのシーズンごとに、月〜日までのレシピ集。
 本の完成度が一段上がったのは、デザイナのヒメの凄腕(!)と、吉澤さんの温かい写真のおかげと言うほかない。
 個人的には巻末の取材記事が好き。同環境の五家族を取材して、ライフスタイルや定番メニューを紹介してもらうというもの。よそのおうちに呼ばれてるみたいで楽しい。

 その本を出してから、今回の『ベジタ日誌』に限らず、いくつか育児系や生活系、料理系の雑誌などの取材も入ったりして、けっこう良い切欠になったようだ。
 これからのどんな活動に繋がってゆくのか、けっこう楽しみ。

 どうせあれこれに追われまくっている生活なんだし、ならば好きなことに追われて生きて行ければ、それはそれで良い人生のはず!?

 大地宅配やってる人は、見落としがちな小さな囲みの連載ですが、『ベジタ日誌』読んでみてくださいませ〜。
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2008年04月30日

ハイウェイとゴミ溜め/DROWN

 NHK出版の松島さんと昼食。神保町、京城園のテグタン・クッパ。本の話。仕事をしていたら夕方、エクスナレッジの塚本君がフラ〜ッと事務所にやってきて、また本の話。余談かもしれないが、松島さんと塚本君は同い年。そして僕も。それぞれに異なった部分で、経て来たものが自分のある部分と似通っている、気がする。時代の感じというのだろうか。
 ……というか、今経ているのがその時代か。

 一月に香港のイベントに招かれて絵を描いた際にお世話になったSheilaさんより小包が届く。香港より娘に、娘の大好きな「美女と野獣」のベルのドレス。機械翻訳で日本語にしたメッセージが、手書きの清書のカードで入っていて嬉しくなる。娘は狂喜乱舞。
 ところで息子は肺炎? そういう都合で俺の活動時間も行動範囲も制限されてゆく。俺は自由じゃないな、と言ったら「いやいや、ジブンは自由にさせてもらってる方やで」と電話口で京都弁の現代音楽家。
 なんというか、自分の精神がこのところあまり自由じゃない、気がしている。

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 こないだ『The Brief Wondrous Life of Oscar Wao』でピューリッツアー賞(フィクション部門)を受賞したジュノ・ディアズ / Junot Diaz の10年以上前のデビュー作の短編集『ハイウェイとゴミ溜め』(江口研一・訳)をここ数日、ゆっくりと読んでいる。ニュージャージー州のどこかのドミニカ移民のスラムを舞台にした、静かなスナップショットのスライドショーみたいな、もしくは8ミリビデオの映像のような感じだが、そのどちらでもなくただ文字が並び、文章が書かれているだけだ。自分のことを書いてる。頭の方の数編では時代が遡って、スラムとどっちこっちの著者の故郷のドミニカでの話。いずれにせよ家族の話。殴る親父や兄や、報われない母親や、盗む友達や、ふとした時に出会った女や、喧嘩するカップルや、たまたますれ違ったような人々の話など。
 読みながら、自分と、ひとりで本の話。残っていたもらい物のモルト啜りながら、「ボク」とか「カレ」とか「カノジョ」とか言う訳文のカタカナ表記が気になる。でもとても良いリズム。ただただ流れてゆくある時のある場所の情景の羅列とそのなかにある微妙な人間関係が、否応なしに沁みてくる。自分にとって非常に基本的だと思える読書に出会えて、なんだか満たされている。
 仕事で日々触れる本の多くが押し付けがましく思える。こういう自由な本もあるのにな。生きている些細なことがドラマなんだよな、と酒を啜りながら、仕事も絵も家族も友達も、通勤電車も、夕方に贈り物のドレスの箱を担いで坂道を駆けおりる娘も、ついつい気になる携帯電話も、ずっと引っ掛かっている過去のあれこれも、ウィスキーにまったく合わない水色のグラスも、背後のパソコンで作業中の今度の展示用の設計図も、気にしてもどうにもならない先々のお金の事なども、気が狂いそうなメールの山も、すべてが結局リアルなドラマなんだよなァ、などとかなり酔いの回ってきたところで、絵を進めなければっっ!!! そんなのはドラマでも事件でもなんでもないという声も聞こえる。それがただの日常なのだと。楽しい……。
 ここはドミニカでもニュージャージーのスラムでもないけれども、とにかく僕はここで状況に囲まれているので。
posted by マリオ曼陀羅 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | book | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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