2019年12月28日
ヅカオタ忘年会
2019年12月24日
年末らしさ
2019年12月18日
風邪
2019年10月20日
デモってなに?
2019年08月20日
『69: Half Open Door』製作中20分バージョン試写会&トーク@美書誌・人魚のの嘆き(横浜)
2019年08月07日
“Handle it if you can / Manejala si puedes”
“Handle it if you can / Manejala si puedes” (The Pursuit of Power)
2019年07月24日
「69: A Half-Open Door/1969年を理解することが、なぜ今の私たちに重要なのか?」(トークイベント)
(品川亮 × 吉田知哉 × 田内万里夫)
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■『69:A Half-Open Door』作品紹介:
1960年代末、今では想像もつかないくらい特別なことが起こっていた。
理想と希望があと一歩で実現されそうな状況が到来していただけではなく、たとえ短い期間ではあっても、それらがすでに現実のものとして存在していた瞬間があったのだ。
この作品では、若者としてその時代を生きた人々(ジャック・ケッチャム、バリー・ギフォード、スティーブ・エリクソン、ほか多数)の証言から、その瞬間の風景を幻視する。
それはまた、行き止まりに突き当たっているように感じられるこの現代社会を、より良いものにするために必要な智慧をもたらしてくれるのではないだろうか。
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■ 品川 亮(Ryo Shinagawa)
文筆、編集、映像制作業。著書に『〈帰国子女〉という日本人』(彩流社)、共編著に『ゼロ年代プラスの映画』(河出書房新社)など。『絶望図書館』、『トラウマ文学館』(ちくま文庫)、『絶望書店』(河出書房新社)では英米文学作品の翻訳を担当。編集担当書籍は、『ウォーキング・デッド』シリーズ(現・ヴィレッジブックス)、カート・ヴォネガット『これで駄目なら』、『絶望名人カフカの人生論』、『出ない順 試験に出ない英単語』(すべて飛鳥新社)ほか。映像作品に『H・P・ラヴクラフトのダニッチ・ホラーその他の物語』(東映アニメ)などがある。雑誌『STUDIO VOICE』元編集長。
■ 吉田 知哉(Tomoya Yoshida)
編集者、クリエイティブディレクター。株式会社コンセントで出版事業開発やデザインディレクションをおこなっている。ビー・エヌ・エヌ新社前編集⻑。『ブルーノ・ムナーリの本たち』、『Wabi-Sabi わびさびを読み解く』、ヨゼフ・ミューラー=ブロックマン『遊びある真剣、真剣な遊び、私の人生 解題:美学としてのグリッドシステム』などを手がける。プロジェクトの入賞歴として、東京ADC賞、グッドデザイン賞、米・ニューヨークTDC、独・iF デザインアワード、英・D&AD賞など。「一冊の本を売る本屋」森岡書店銀座店のプロデューサーでもある。
■ 田内 万里夫(Mario Tauchi)
本名もしくはマリオ曼陀羅の名義でアーティストとして活動、国内外で作品発表やパフォーマンスをおこなう。『LOVE POP! キース・ヘリング展 アートはみんなのもの』(伊丹市立美術館・2012年)にて、壁画プロジェクト【キースの願った平和の実現を願って】を担当。2019年にはニューヨークのHACO NYCで個展を開催。その他、国内外での展示やパフォーマンス多数。『心を揺さぶる曼陀羅ぬりえ』(猿江商會)など、イギリス、台湾、イタリアでも出版。訳書に『なぜ働くのか』(朝日出版社/TED BOOKS)。版権エージェントとして働きながら、出版系WEBメディア「DotPlace」にて、翻訳出版の世界を描いた『SUB-RIGHTS』を連載中。
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2019年06月11日
アフターマス
2019年05月22日
なにもしなかったけど、食と相性について考えた
2019年05月05日
2019年4月〜5月
2019年04月23日
早期発見、早期対応のススメ(過労
実はここ二週間ほど、(表向きはさておき、内面的に)ほぼ制御不能な状態で過ごしていたけど、それが妻の「もしかして過労じゃない?」という昨夜の一言で、いっきに納得がいった。
で、判断力が残っているうちに、掛け持ちしている仕事やプロジェクトの各位に連絡。
〆切を延ばしていた案件2件の相手それぞれに、スマホのテキストで短く状態を説明。そして詫び。これだけで、先ず気分がものすごく( も の す ご く )軽くなった。
過去にうつ病に陥ったときも、後で考えればこの「過労」が原因だったので、それを先ず、「自分の判断」で「回避できた」ことがデカイ。
続いて翌日、日中を待ち、週3の仕事をさせてもらっている某社の直属の管理職に対し、きちんとした文章のメールで、過剰気味になっている業務内容について相談に乗ってもらいたいと丁寧に伝える。業務のどこに負荷があるのかなど詳細は伝える必要ナシ。ボヤかないで、相談依頼のみ。
そして、今日は作業的なことを何もしないと決める。昨夜のスマホメッセージに対し即レスを返してくれた編集者が運良く近所のファミレスにいたので、そこに出向き、近況交換/スケジュールの組み直し/作業内容に関する具体的な相談。一人で考えないことで負荷がものすごく減る。
…こうなる前に冷静に考えていれば、自分の状態が「過労」であったことは明らかなのだが、不思議なことに妻に指摘されるまでその実感が皆無だった。「終わらない/片付かない/進まない」という状況から「もっとやらなきゃ、もっと進めなきゃ」と自分を追い込み、手を休める事ができなくなってた。
「過労」を自覚したところで、改めて全体の作業量やその時間を振り返ってみると、とにかく無理があるし、無茶苦茶だったことが分かった。また、2016年に前職の業務整理に着手してから現時点まで、とにかく気が休まる暇がなかったことを自覚できた。おまけにその間、ニューヨークの個展もあった。
仕事も創作も、個々の作業は(分かりやすく)前向きな取り組みであり、だから作業が増えることも「成果に直結する」くらいの認識だった。だから「過労」を見過ごしていたのだと思う。やればやるだけ営業成績がプラスになるような仕事をしている人々も、同じような見過ごしをしているのではないか。
自分では「過労」の自覚が無かったわけで、それを妻に指摘されたことで、制御不能に陥りかけていた状態を、初めて自認することができた。妻からは「もうずっと過労だと思っていたので、もっと早く言えば良かった」と。でもこちのテンションが張っているし、物事が動いているようだから「言いにくかった」と。
まだバランスを取り戻したわけじゃなくて、腹痛もあるけど、少なくとも自分の判断力が残っているうちに、(他者の力や目を借りてでも)自分で対応できたのがとても大きな自己肯定感に繋がっているように思える。雲間から光が射してきたような感じ。助かった。
でさっきメールチェックしたら某団体から「国際委員会の委員に推薦されたので、就任状にサインを入れて返送を」というメール(笑)。どーしろと!? 今ならこのメールにも冷静な気分で「諸業務調整中なのでお待ちを」と返せる。昨夜までであれば「そうか」と署名してすぐ返送してドツボだったかも。
…もしくは途方に暮れて対応/返信できず、その対応のできなかったという事実が更なる負荷/負担になっていたと思う。…判断力ありがたい。しかし判断力を失うのは、こういう状態だと割と簡単なのだと分かった。ヤバイと気付けたことが僥倖。今夜も仕事しない。
悪びれずに、正直に堂々と、難局なら難局だと相手に(早いうちに)伝えるのが肝心だと思った。相手だって対応できるし、してくれる。してくれないのなら、逃げるしかない。打つ手があるうちに打つことで、先ずは自分の状態がメンテナンスされるというのは、良い経験だった。
おっかない奥さん、ありがとう( ´ ▽ ` )ノ
……ひとしきり、調整ができたら、先のニューヨークの記憶が薄れないうちに、それもメモというか記録を遺しておきたい。自分の老後のために(笑)
2019年02月22日
手紙
2019年02月14日
不正統計
2019年01月07日
2019.1.7「過去が現在に影響を与えるように、未来が現在に影響を与えている」(ニーチェ)
> Q:世界の人口のうち、極度の貧困に暮らす人の割合は、過去20年でどう変わったか?
> A:2倍になった B:変化なし C:半減した
この問に対する意外でもなんでもない答えはリンク先の記事のなかにあるが、WIREDという魅力的なメディアの(たぶん)4代目の編集長に就任した松島さんによる声明文のような年初のテキストが目に飛び込んできたのは、その記事のアイキャッチの写真、冬のうっすらとした陽光に照らされた窓辺に並ぶ本、の目立つところに僕が初めて(そして唯一)翻訳させてもらった――そしてその際に、当時まだNHK出版の編集長だった松島さんにお願いして「まさにこれっっっ!」という折込の解説を寄せてもらった――バリー・シュワルツの『なぜ働くのか』(朝日出版/TED Books)の表紙があったからで、そのことにショックを受けたからだ。
写真は意図せずたまたまそうなったということなのだろうと思うけど、ときに仲良くさせてもらっている(嫉妬を覚えるほど優れた)友人から「しっかりしなはれ」と反省を促されているように錯覚し、ありがたいという感謝の念が湧くと同時に自己嫌悪に陥るほどどーしょもなくズッコケまくっている我が身を否応無く省みたのだった。で、こうしちゃおれんと思ったもののどうしようもなく、なんとも言えない気分になって、とりあえずまたビールの缶とWIREDのVol.31を(新年の一冊目として改めて)手に取った。
> WIRED(日本語版)Vol.31
> NEW ECONOMY
> ぼくらは地球をこうアップデートする
>https://wired.jp/magazine/vol_31/
その「REBOOT ISSUE」という印の捺されたWIREDの再出発を誓うVol.31が新編集長としての松島さんが最初に手掛けた大仕事(!)で、内容はざっくりしすぎるほどざっくり言うと、人類がWIREDな存在になって以来、つまりインターネットが情報“革命”を興こすことが確定したその時以来、つまり革命後の”現代史”の、証言を伴った実録的なサマリーだ。この四半世紀という短い時間のなかで世界がなにを獲得したのかに意識が及んだ。まずは歴史に価値をおくところから始まるんだな〜と、出版されたその日にリブート号を手にとって嬉しくなった11月吉日の気分を、また新年に思い出させてもらった(改めて、“歴史”の1ページであるあの『WHOLE EARTH CATALOG』への正当なオマージュ!)。そしてあの日からもうあっという間に2ヶ月も経というとしていることに気付いて驚き、容赦なく流れ去る時間にたじろいだ。よぼよぼの爺さん(正月に生家に行ったらよぼよぼの爺さんがいた)になる前にこのささやかな生命をささやかに還元しておかなければ、“平和”を装うこの現代に起きた革命的な(奇跡のような)パラダイムシフトに居合わせた意味が半減すると、そのような気にさえさせられた刺激的な一冊で、人生とは与えられた時間のことを言うんだな〜と今更のように思い至って、これまでを振り返り多少反省した新年だった。
今年は3月にニューヨークでの初めての個展が決まって、どうすりゃいいのかよく分からない気分に(案の定)陥っているけど、とにかく「ここが自分の持ち場」という錯覚に守られながら、同時代に生きる面白く優れた人達から刺激と案内を受けつつ、この短い人生を、その先の世にあるであろう”なにか”を意識して、あまり恥ずかしくないように(ボケるまで)過ごしてゆこうという気持ちとして個人的に消化した(というかどうにかこうにか嚥下した/未消化)。
この世代も次世代も、次次世代も、少しでも喜びの多い存在でいられますように( ´ ▽ ` )ノ
>「過去が現在に影響を与えるように、未来が現在に影響を与えている」(ニーチェ)
まさに。
これからも本やら絵やら音楽やらを抱えて性善説を唱え続けるYO〜
> 未来が現在に影響を与えている:新年に寄せて編集長から読者の皆さんへ(WIRED)
>https://wired.jp/2019/01/01/editors-letter-jan-2019/?fbclid=IwAR1ZCRTkxQwVpjvfsWi_OjwRM-Yn2-lwis7Sck3XhC2y0r76sPlgI55UvDg
2018年12月25日
2018年12月13日
2018年10月14日
血圧
今日は理由も分からずなんかずっと落ち着かないのだが、そんな日もある、ということで本を持って長風呂定跡。不安とかそういうのじゃないんだけど、なんかソワソワする。……不安症の人とか面倒くさくて大変だろうね。
こんな日は泳ぎに行くもの良いのだが、珍しく家の人々が出払っているので、洗濯機回しながら独り静かにのんびりデータいじりと事務作業。
ところでプールに行くと血圧計があって、泳いだ後にそれで血圧を測ることができる。ずっと120〜90くらいで、それが自分の理想形だと思っていたのだが、先週、先々週、久し振りに測ったところ104〜80とか、これまでとくらべやや低下している。
このところバイトに出れば仕事が深夜近くにまで及ぶことが多く、おまけに帰宅後は朝方まで自分のあれこれ制作したり、記事翻訳の内職したりして、呑みに出かけることがめっきり減ってしまったので、きっとアルコール摂取不足による血圧の低下だと思う。
自宅での作業中も、毎晩がんばって呑むには呑んでいるのだか、ちびちびやる程度だから、それでは全く足りていないということだろう。血圧を元の水準まで引き上げるためにも、呑みに出る頻度をもう少し増やさなければならないと反省。
(写真は飛車角落ちだともう勝たせてくれなくなった息子(11)との一局、投了図。
2018年09月16日
9月14日(金)
この感じだと、デモはそのうち本当に無力化するんじゃないなのかなと、見に行ってみて、なんだか少しそんな印象を受けた。小雨降るなか、見たこともないくらいの警察官が集まっていて異様な感じしかしなかった。あの数の警察官が攻勢に回るようなこがあったら、ものすごい景色が展開されることになりそう。
本来ならスキャンダルまみれのはずの自民党総裁選がひとつの大きな関心事となって一昨夜、9月14日(金)の官邸前には普段以上に人々が集まる(デモをする)というので、仕事をちょっと早く、8時過ぎに切り上げて様子見に出掛けてみた。国会議事堂前駅は例によって大混雑してるのは間違いないので永田町の1番出口で降りて歩きはじめると、すぐに拡声器の声がそこまで秋風に乗って聞こえてきた。で、たらたら歩いていると案の定、警察官が立っている。どこに行くのか訊かれるので、官邸前のデモの様子を見に行くと答えると、迂回路を行けと指示される。まっすぐ行かせてくれないので、仕方なく迂回。
やっと官邸前に近づいくと、警察官の数がものすごいことになっている。どこに行くのかとまた訊かれるので、また官邸前と答える。また迂回路を示される。しらないおばちゃんが、道路を封鎖するな、と警察官に食って掛かっているが、彼女も結局迂回させられる。警察官の数がとにかく、近づくにつれて、どんどんものすごいことになってる。
国会議事堂前の見えるあたりにやっと辿り着いて、デモをしている人達の姿がなんとか見えるところまでくると、もうそのあたりはバリケードと警察官と装甲車(?)だらけで、とにかく真っ直ぐに進ませてもらえない。
仕方ないので、国会議事堂前の3番の出入口から一度駅に降りて、そこら車道を挟んだ2番出口(こっち側でデモをやっている)にショートカットしようと思ったけど、駅構内にも警察官だらけで、2番出口の方に行かせてもらえない。うじゃうじゃいる警察官に、ここでも食って掛かっている若い男性がいる。ここ通り過ぎてもこの先でまたガッチリ止められますよ」と警察官が言うので、しかたなくまた地上に出て、ぶらぶらしながらそのあたりの様子を見て歩こうと路地に入ると、そこにも警察官がいてまっすぐに進ませてもらえない。
しかたないので溜池山王方面にあるいて行って、横の方から官邸前に行ってみようと思っても、どこにもかしこにもバリケードが張り巡らされていて、歩道には警察官の移送車両の大型バスが新幹線のように延々と隙間なく連なっていて、もちろん警察官がそこらじゅうにいる。
どの辻にも、どの曲がり角にも警察官が立っていて、そのうち自分がどこを歩いているのかよく分からなくなってくる。仕方ないので立っている警察官に「官邸前にいくルートはどっちですか?」と訊ねると、「デモに参加するんですか?」と反対に訊ねられるので「デモを見に行く」と答えると、交番のお巡りさんのように親切な様子で道順を教えてくれ「かなり迂回することになる」と説明を加えられる。
その迂回路が本当に遠回りで、途中で違う道を進もうと思っても、当然のことのように警察官が立っていてバリケードが張られていて、思うようには進ませてもらえない。デモの一体感のような、あのちょっと恍惚とした感じは苦手なので、周囲の道をぶらぶら歩きながら警備の様子を観察したんだけど、あれは間違いなく過剰警備だったな。最終的に現場には行ったんだけど、デモ参加者の数よりも、警察官の方が、今回は何倍も多かったような気がする。意地でもデモを最小化させるという、とても強い意志だけが、強烈に伝わってきた。
そうこうしているうちに、地元の友人から酒の誘いがあって、ちょうどデモも終わる感じだったので、電車を乗り継いで帰って、コンビニで酒とつまみを買って、その友人のところで飲みながら世間話して、気がついたら午前1時くらいだった。
2018年08月18日
神々の果実(SUB-RIGHTS: 09)
SUB-RIGHTS
09: Strange Fruit
→ http://dotplace.jp/archives/31621