■ エヲカク ■

2019年07月09日

映画『新聞記者』プロデューサー河村光庸さんのこと

自画自賛させてもらいます。今、参院選前に封切られて社会現象ともなっている映画『新聞記者』のプロデューサーの河村光庸さん、この人について(作中では、河上光康という仮名)連載中の『SUB-RIGHTS』の第8話で書いてますが、まさに予言かなと思います。でも予言のつもりで書いたので、それで良いんです。

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この第8話『TRAINSPOTTING(トレインスポッティング)』を書いたのは、去年5月。舞台は1998年です。

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今年になって、『新聞記者』という映画が参院選にぶつかるように公開される予定だと知った時、そのプロデューサーが河村さんだと知った時の俺の喜びと興奮を察してください。

俺と河村さんとの出会いは1998年、彼が青山出版社の社長だったときのことです。ダニー・ボイル監督の『トレインスポッティング』の原作小説を出したのが、この河村さんで、彼はしかしその後すぐ、青山出版を人に譲り、自身は新しくアーティストハウスという出版社を立ち上げています。そしてそのなかに立ち上げたアーティストフィルムも、当初からの構想に入っていました。

俺は当時25歳の若造で、出版業界で働くのなら海外の小説/現代文学の仕事しかしたくないと思ってましたが、なにしろマーケットの小さなジャンルなので、相手にしてくれる出版社はそんなに多くなく、でもそのなかで、この河村さんは「よし、やろう!」といつも勇気づけてくれたオッサンでした。もともとが出版業界の人ではなかったせいか、その強引でややもすれば乱暴な仕事ぶりが山師扱いされたりもしていた人で、出版プロパーのオーソドックスな出版人には彼を嫌う人も少なからずいたけど、俺にとっては恩人であり、よき先達といった人です。河村さんから学んだことは非常に多かった。自縄自縛に陥らない、自由で奔放な精神で「コンテンツ」というものを当時から(当初から)捉えていた人でした。

出版とはパンクスピリットだと考えていた当時の俺に、成熟したパンクの姿を当時示してくれたのが河村さんだったし、今こうして改めてその精神を示されて、心の底から感無量です。

以下にリンクを張りますが、この8話には、『新聞記者』を制作した株式会社スターサンズ(STAR SANDS, INC.)のその社名の(かなり面白い)由来を書いています。

ぜひ読んでみてください。

我田引水ですが、知るか。河村さんが一息ついたころ、当時の面々集めてお祝いじゃ! 

河村さん、おめでとうございます!!! ざまーみろ!
 

→ あえて参院選前に公開 映画「新聞記者」はなぜリスクを取ったのか 製作者に聞く
 河村光庸氏(映画「新聞記者」エグゼクティブプロデューサー)

→ 『新聞記者』モデルはリアル政治 河村光庸さん 寺脇研さん 池田香代子の世界を変える100人の働き人 23人目+α

→  SUB-RIGHTS // 08: Trainspotting 
※河村光庸氏=河上光康氏
ぜひ宜しくお願いします。
なぜ、映画『新聞記者』が生まれ得たのか、その背景が少し立体的に感じられるかもしれません。時代とは連綿と続くもので、分断は無理です。

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posted by マリオ曼陀羅 at 02:16| Comment(0) | book | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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