■ エヲカク ■

2019年05月12日

ARTE FUSE レビュー「Mario Mandala at HACO」

3月のニューヨークの個展のレビューがART FUSEというメディアに掲載されたものを、著者のJonathan Goodmanの許可を得て和訳しました。

アメリカのストリートカルチャーと東洋的な精神の世界との融合という切り口で、取り上げてくれました。

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学生時代の2年間をフィラデルフィアで過ごした田内がアメリカのポピュラー・カルチャーに通底するストリート・カルチャーから影響を受けていることは明確である。と同時に、フェルトペンを用いて描かれた入り組んだ曲線は、仏教的な瞑想を促がす曼陀羅へと繋がる意識と結び付いている。極めて乖離したふたつの要素が、このような融合を果たし得るなどと、いったい誰が考えただろうか?しかし、全く異なる地点より生じたこれらの美学が現代において見事に融和し、相互的に機能している。
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彼は自らの絵画的創造において、それら異質な要素を融合させ、私たちのこの時代の精神を異花受粉させることに成功した。その努力は祝福され得るべきものである。
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以下よろしければ全文お読みください。


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ARTE FUSE (US)
“Mario Mandala” at HACO (by Jonathan Goodman)

<Japanese translation(和訳)>

「マリオ曼陀羅( Mario Mandala)」展/ HACO NYC

 グラフィティの美意識に曼陀羅美術の要素を強烈に組み込んだ田内万里夫(Mario Tauchi)の個展が、ウィリアムスバーグ(ニューヨーク・ブルックリン)のイーストリバー沿いにあるオルタナティブなギャラリー、HACO で開催中だ。ギャラリーの壁面に直接描かれた絵とともに飾られているのは、概ね紙を支持体としたドローイング作品である。東京に拠点を構える40代半ばのアーティストである田内の有機的で複雑な線画が、HACOのディレクターである末次庸子(Yoko Suetsugu)の手により展示されている。西洋と東洋の美意識が、それらドローイング作品のなかで、見事な融合を果たしている。学生時代の2年間をフィラデルフィアで過ごした田内がアメリカのポピュラー・カルチャーに通底するストリート・カルチャーから影響を受けていることは明確である。と同時に、フェルトペンを用いて描かれた入り組んだ曲線は、仏教的な瞑想を促がす曼陀羅へと繋がる意識と結び付いている。極めて乖離したふたつの要素が、このような融合を果たし得るなどと、いったい誰が考えただろうか?しかし、全く異なる地点より生じたこれらの美学が現代において見事に融和し、相互的に機能している。

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先ずは「Untitled (Mural)」(2019)と題された、おおよそ8 x 10フィート(2.5 x 3メートル)、黒い壁に直接描かれた大型の作品である。生命体にも似た、丸みを帯びた複数のフォルムが環状に連なっており、それぞれの内部には異なる有機的なパターンが描かれている。左上部には半円形の飛沫のようなパターンが立ち現われており、虚空へと誘うアーチを思わせる。インプロヴィゼーション(即興)で描かれた作品だが、これら結び付く個々の形状は宇宙空間で調和する数多の銀河系の姿なのかもしれない。そのような見方が詩的すぎるのだとすれば、別の言い方も可能だ;まるで1970年代のラグ(敷物)やペイズリー柄の壁紙にあるようなパターン模様が連綿と続いているようにも見て取れる。端的に言えば、この展示においてはこれらの複雑な線画によるアブストラクトな表現を用いつつ、物事の意味に対するエレガントな誘導と、そのための複合的な象徴化が、視覚的かつ知的に為されているのだ。

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壁の絵よりも小型の「Emptiness(PDG,2018)」と題された作品が展示されており、こちらは淡い赤系の色で描かれた球、ドーナツ、ピラミッドの形が垂直方向に、あの壁の絵と同様に次から次へと連結し合うオーガニックな図案のうえから配置されている。画面左手に連なるエレメントはまるでスパゲティの束のようだ。内へ外へと入り乱れるネックレスのごとき形状だが、細かく、しかし若干の緩さを持って空間を取り巻いており、その大きな集合体が刹那的均衡を生み出している。黒い線で描かれるそれら有機的な構成要素とは対照的に、二次元というよりも立体を思わせる三種の赤い幾何学的なフォルムが、そのうえに描かれている。おそらくはそのタイトルが仏教的思想を思わせるためかもしれないが、これらの配置はあたかも、アブストラクトな空間に対し、明確な意図に基づいて配置さえているように目に映る。「Authentic(2018)」は紙に描かれたドローイングだが、ここに展示されている他の作品よりも多くの色彩を用いて描かれている。金色の円が左手上部に配置され、その下方にピラミッド、そして右手には球体が描かれている(いずれも画面から見切れており、視覚的に完結していない)。これらのイメージの背後には、やはり複雑な結合を見せるリース状の図案が描かれているが、先に解説したものとは異なり、薄い赤と白によって着色されている。それらフォルムが重なり合うことで、抽象的な表現を用いれば、セクシャルなイメージを構成している。この作品からは、人工的なアンビエンス、もしくは宇宙的な印象とも呼ぶべき何かが派生している。

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「Emptiness(2018)」と第されたこの絵 には 、実在しない巨大な 漢字が、黒い線で描かれた二重構造に連なる円環に重ねられて示される。画面上は隈なく装飾が為されているものの、禅仏教における無の空間観念が直ちに想起される。 田内の 作品を特徴づける複雑なフォルムに重ねて描かれたこの解読不能な文字が、 仏教思想を連させ、そして明らかな精神性を感じさせるタイトルを伴うことで、視覚的かつ哲学な体験を提供している。今回の展示が特にスピリチュアルな構成であるというこではない。いずれも歪んだ曼陀羅が提示されてはいるが、それはむしろ視覚的効果を動機とたものであり宗教性を感じさせるものではない。しかし、それでもなお曼陀羅の本来持つ瞑想的な効果と切り離して考えることは不可能である。このような創造が信仰とまったく無関係であるはずがない。おそらくそのことが、この展示を際立たせているのだ。非凡な技術と知的な構成力に裏打ちされて示される世界観と、仏教的精神性を伴うフォルムによるミクスチャーが展開されている。クロスカルチャー的視点と創造性は、今やある種のクリシェと言っても良いものだが、そこに意味が伴わないということではない。田内はアメリカのストリートに美学を見出し、それを活用しているのだ。そのうえで、彼はアジア的な解釈を主張することを忘れてはいない。考え方においてもアートにおいても極めて大きくことなる、東京とニューヨークというかけ離れたふたつの場所に思いを馳せれば、これらの融合を図ることは容易いこととは言えない。しかし彼は自らの絵画的創造において、それら異質な要素を融合させ、私たちのこの時代の精神を異花受粉させることに成功した。その努力は祝福され得るべきものである。

Mario Mandala展、HACO NYC
2019年3月2日〜4月7日
31 Grand Street, Brooklyn, NY 11249

www.haconyc.com

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ジョナサン・グッドマン(JONATHAN GOODMAN)
ニューヨークを拠点とするアートライター。30年以上に渡り、コンテンポラリーアートに関する記事を「ART IN AMERICA」、「THE BROOKLYN RAIL」、「WHITEHOT MAGAZINE」、「SCULPUTURE」、そして「FRONTERAD(マドリッドのWEBメディア)」において執筆している。ブルックリンのプラット・インスティテュートで教鞭を取り、コンテンポラリーアートに関するライティング、および主題に基づくエッセイ・ライティングの講師を務める。

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posted by マリオ曼陀羅 at 05:20| Comment(0) | art | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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