大型連休後半。埼玉から都内に戻って寝て起きて千葉方面へ。品川からバスで東京湾を越えて、大多喜へ、画家の中上清さんと奥様の彩子さんを訪ね、画業一筋で歩いて来た中上さんの貴重なレクチャーや年季の入ったエピソードの数々に耳を傾けつつ、やはりお酒。社会勉強の特別コースにと連れてきた息子は焚火を通じて人類の起源や神話に関して画伯から教わる。彩子さんはかつて神保町で、文壇や出版界の鬼才達、重鎮達の集まる(僕には足を踏み入れることな許されなかった)社交界のような、シェルターのような酒場を開いていた人で、彼女の編んだ『戦争の教室』(月曜社)というアンソロジー本に、僕の絵をひとつ紛れ込ませてくれた有難い人でもあり、世代が僕と変わらないこともあって、90年代の日本のアート界の激動期の事や、今はもういなくなってしまった出版界の珍しい人達の話など交わしながら、これからどうしていくのかなど、ボヤキなども織り混ぜつつの話を聞いてくれて嬉しい時間でした。大多喜に縁の深いつげ義春の作品集を画伯から貸してもらった息子は、なにを感じたのか知らないが、寝そべってあっという間に読破して、画伯に勧められる酒を上手に断りながら、いつのまにか寝ていた。翌朝、といってものんびりと朝を迎えて、起きてくる子を待って、隣町(いすみ市)に住む大好きな彫刻家の象山隆利さんのところへ。彩子さんと中上さんが車で送ってくれるというので、願っても無い機会と思って出しゃばって引き合わせを買って出て、道中で酒を仕込んでいすみ市へ。彫刻家の象山さんは行き掛かり上の事情で(本名の田内隆利というお名前で)千葉大でモノ造りをもう何年も教えている先生でもあり、その御宅は先生のセルフメイドのこだわり抜いた二階建てで、庭のピザ窯もまた自作。そこに先生と縁のある卒業生や地元のイノベーター達(農)や何やってるのか謎の人達が集まって焼きたてのピザと、織物の奥様の美味しすぎるご当地モノ尽くしの副菜と、やはり酒(各種)を煽りながら、スカやテクノやアシッドジャスをポータブルのレコードプレイヤーで流してた(この日のDJは先生の教え子だという、ちょっとおかしな人)。勝浦のカツオが二匹消え、ピザの生地が食い尽くされて、子供達は野山に散って、ピザ窯の庭から木調のリビングに場所を移してコーヒーで落ち着き、前にあった時には確か高校に入るか入らないかの頃だった先生の長女(当時に俺のデザインしたTシャツ着てくれてたw)の嬉しい近況を聞かせてもらい、最後に隣の畑の蕗を少し摘ませてもらって、大多喜オリブのバス停へ、最後に残った皆で。
……千葉の前に埼玉の奥深くであれこれ手伝いをしたプエルトリコ人の猛る魔女も無事にニューヨークの拠点に帰り着いたようで、早速僕のスマホ宛に指令を飛ばしてきた。
……千葉の前の埼玉の前夜は世田谷の編集者カップルのお宅でワイン6本。
娘はこの春に入学した高校で、早速できた友人と時間を過ごし、課題をこなそうとヘッドフォンをかぶって集中し、妻はここら辺で一度自らの進路について改めて考えながら、疲れ過ぎた身体を休め、そんなことしているうちに、日本は元号が変わったらしいが、その虚しさについては(幸いなことに)あれこれ考える暇もなく。
あとこれ