その前の二年間は終わらないとも思える喧騒のなかで、文字通り我を見失っていた。勤めていた会社との大喧嘩は20代のぼくには筆舌に尽くし難いストレスだった。長く付き合っていたガールフレンドとは破局的な状態になり、ありあまるエネルギーを吐き出すように恋愛めいた瞬間的な関係をあちこちでしては情けなくも打ち壊し、打ち壊され、とにかく草臥れる時期だった。吹雪のニューヨークで仕事をして、大雪のフィラデルフィアで気の休まらない一週間の休暇を過ごし、帰国した翌日に出資主の会社の応接間に呼ばれ、最小限の手続きのあと、解雇となった。
その翌週には、今いる会社の立ち上げに加わることになったが、それもすんなりと事が進んだ訳ではない。一連の出来事を興奮状態で乗り切っていたものの、精神の摩耗はひどいことになっていた。ロンドンに飛び、ニューヨークに行き、またニューヨークに行き、そうこうしているうちに2001年の9.11のテロが起きた。ストレスレベルが最高潮に高まっていた時期だった。
この仕事をしていると、毎年10月にはフランクフルト・ブックフェアに出掛ける。ついでに、その前にまたロンドンに立ち寄る。もう今のうちに辞めよう、そして一度、自分を取り戻さなくては、そう考えていたのがちょうど十年前の今だ。
ロンドン/フランクフルトに持って出た荷物に、スケッチブックが一冊忍ばせてあった。その旅の直前に「やっぱり辞める」と意志表示をした。航空券やホテルの部屋は抑えてしまっているんだからとにかく来るだけ来い、無理矢理に仕事する必要は無いからスケッチブックでも持って来て、気が向いたら絵でも描いてみたらいい、そんなことを言われて、まあそうかなと思って、通りがかった画材屋でスケッチブックを買った。
フランクフルトに入ると、そこには世界中から出版関係者が来ており、いくつもの再会が待っている。
そんな機会にしか顔を会わせない友人達と過ごしたあとで、夜中か朝方か、飲んだくれてホテルの部屋に戻り、そのスケッチブックの存在を思い出し、引っ張り出した。もうこれでおしまいにしよう、そんなことを考えながら、ポケットに入っていたペンで線を引きはじめた。そうしたら、想像もしなかったものが出てきた、というか降りてきた。なんだか気分が軽くなって眠った。
それ以降、これはなんだろう? これはなんだろう? と思いながら、出てくるに任せて、暇があるとその絵を描き続けた。紙とペンだけあればできる簡単なことなので、それこそどこででも描いた。そうしている最中に限っては、外の世界は存在しなかった。内の世界も存在しなかった。
思えばそれは瞑想だった。
その瞑想は、絵を生みだす以上の役割も当時のぼくに対して果たした。そのことに具体的に思い至ったのは、多分、絵を描きはじめて数ヶ月が経過してからだった。荒れ狂っていた精神が、どんどんと沈下してゆく感覚だった。前提となっていた大嵐がひどかったためか、精神の沈下はどこまでも止まらなかった。絵を描いている時「だけ」が気持が良いというような状況がその後二年間ほど続いた。10枚が20枚となり、20枚が40枚となり…… 気がつけば今度は絵が共鳴を引き越し、小さな出来事を生む。でもまだ非常に個人的なことだ。
沈下も限界というようなところにきて、何かが解放されてしまった。
解放されるとちょっと爆発的なことも起きてくる。絵もそうだし、本の仕事もそうだし、結婚したり子供を儲けたり…… より人々の根っこの部分に関わることも。
それからその解放の流れに乗って、数年間。
そんなこんなで、あの日からちょうど十年。
今朝のフランクフルトは霧雨。