今回の個展については、いつだったかな、去年のいつかまだ寒くなる前、「今から会わせたい人がいるけど、作品用意できる?」夜に明川哲也さんから突然の電話があって、ぼくは手元の絵をいくつか運べるようにして、待ち合わせの下高井戸の駅に向かった。
駅の改札に現れた明川さんの横に山木加奈子さんという女性がいて、この人が神戸のギャラリストでと紹介を受けた。近くの居酒屋に入って、作品のサンプルや画像データを見てもらって、こんな絵を描いているんですよと自己紹介すると、その場でじゃあ個展をしましょう、という話になった。山木加奈子さんはパリで長らく美術の現場に身を置いていた人で、その頃にアートの世界のPRの仕事というコンセプトに触れ、それが日本においては機能していないのではないかという思いを持って、出身地の神戸の兵庫県立美術館で広報の仕事をすべく帰国し、その後思うところあって自身のギャラリー「ギャラリーヤマキファインアート」を開いた人。
テーマを持って帰国して、国内でそれを試した揚句、やっぱり自分でやるしかないな、と思ったということには強い共感を覚えた。
それで年末、では五月六月にやりましょうという流れになって、半年掛けてぼくは作品を揃えた。
出版不況と呼ばれる状況があって、仕事は仕事で忙しく、子供たちの卒入園/入学もあってそうじゃなくても慌ただしい私生活も更に慌ただしく、そんななかで夜中の数時間を工面して費やしてせっせと絵を描き、お陰でどうにか数も揃って、こないだ無事にすべて納品。いや、すべてじゃないか。明日持ち込む小さな2点が手元にまだある。でも用意は済んだ。よかったなぁ。
好きで絵を描いていて、それが縁を呼んでくれて、そしてその絵がぼくを知らない場所に連れて行ってくれる。行ったことのない街だったり国だったり。なんだか不思議で、喜びを伴う幸せな体験だと感じて、生きているということを実感させられる。
困難を通じて生を実感することもあるけど、今このような感覚を通じて生を実感できるということは、本当に幸せなことだなと思う。自由があるな、という感じ。自由は自ずとそこにあるものであると同時に与えられるものでもある。なにがぼくにその自由を与えてくれているのかなと問えば、それはやはり絵を描くという行為、そのために生活を作るという行為、なによりそれらの行為を受け止めてくれる人達が存在するということ、そういうことなのではないかなと思う。なのでぼくは益々そのような状態を、自分にできる事として視覚化しようと試みる。
個人的な感覚で物を言えば、それが絵であろうが音であろうが文章であろうが味であろうが建造物であろうがなんであろうが、意識を飛ばしてくれる物こそが、ぼくにとっての意味ある産物。現実から離れたいから飛びたいのではなく、そういうあれこれが現実を俯瞰する切欠を与えてくれるからだ。それがどこに向かって飛ばしてくれるかという事が加われば、そこには議論も解釈もいくらでも発生する。そういう可能性こそが自由であり幸せなんだろうなと思う。少なくとも今の頭ではそう思う。
この土曜日、22日からのギャラリーヤマキファインアートでの展覧会の切欠を作ってくれた明川哲也さんは、先に仲良くなった弟シモンが数年前に紹介してくれて知り合った人だけど、人を眺め言葉を紡ぎそれを語り歌う人で、22日のオープニングを本当に有り難いことに一緒にやってくれる。相方のMITSUさんというギタリストと「アルルカン洋菓子店」というかなり不思議な名前の、かなり不思議な道化師(アルルカン)の格好の、吟遊詩の二人組をやっていて、その二人組で登場してくれる模様。どんな一日になるんだろうな。この道化師の二人は身体が大きくって、見た目が先ずちょっと怖いんだけど、そのメッセージが温かく強くて、なんとも形容しがたいユニットなんだよな。
なにより神戸って名前だけは何度も何度も聞いている有名なところだけど、行ったことがない場所。どんなところなんだろう。本当に楽しみ。いろんな人に絵を楽しんでもらえたら嬉しいなあ。
■ マリオ曼陀羅展
■ ギャラリーヤマキファインアート(神戸/元町)
■ http://www.gyfa.co.jp/
■ 2010年5月22日(土)〜6月23日
■ オープニング=22日/午後2時〜
アルルカン洋菓子店
http://arlequin-yougashiten.com/