■ エヲカク ■

2009年08月10日

ワークショップ〜子供たちも人生いろいろ〜

 7月29日、30日と某所で、あるイベントに参加して、絵のワークショップをした。
 様々な理由があって、親から隔離されていたり、親と一緒に生活していない子供たちを面倒見る施設が複数。そこから集まった子供たちの夏休みイベントの十日間ほどのアートキャンプのうちの二日間、ワークショップ担当のひとりとして参加してきた。

 週末、アートキャンプの最終日、会場となった某所で子供たちを交えたパーティがあった。言ってみればお別れパーティだ。


 自分で子供を二人どうにかこうにか育てながら、日々子供たちと接するなかで感じるのとは、まったく異なった感覚を得た三日間だったが、それは僕が物語を勝手に生み出してしまった結果だったのだろうか?

 子供たちも、スタッフも、子供たちと日々暮らしている先生たちも、そしてゲストとしてキャンプに参加した僕たちも、結局それぞれ一人々々が人間であり、他人同士であることに間違いない。そこに居合わせたことによって生じた「縁」と、共同でひとつの流れを生もうとするそれぞれの試みが、それら個々人のなかにある何かのスイッチに作用するようなことはあるのだろうか? 

 僕は自分の育った、ある意味で難しい(なかなか信じてもらえない)環境を思い出して、そしてその難しい環境を作らざるを得なかった人の生まれ育ちに関して、あれこれ考えたりもしたが、結局、人はどのようにしても自分を生かしてゆかなければ生きてゆかないのだという結論に達しただけだった。
 どのように生きたのかは、最期にならなければ判らない。
 
 事情が複雑で細かなことを書けないのが残念だが、あのイベントから声を掛けてもらい、ワークショップをし、それが貴重な体験となったことだけは間違いない。

 子供たちはどうしたって子供たちで、彼等にエネルギーは相当吸い取られたことも間違いない。
 
 またどこかで関わってゆくこともあるのだろうか?
 施設の先生の何人かといろいろコミュニケーションがあって、追々そこから何か生まれる事はあるかもしれない。

 バカの一つ覚えのような僕は“マリオ曼陀羅”のぬりえとアクション・ペインティング、ドローイングの体験コーナーをやったのだけれども、結局は、面白がられて盛り上がったし、楽しかった。落書きをコンダクトしてゆくのは、ちょっと難しいけど得難い体験だ。
 絵は自由なんだよ〜。コンダクトは僕の自由でやっている。
 生き物の持つ根源的自由を表現するというのは、思うほど簡単なことではない。そのように生きて、それを成立させなければならないので。
 
 楽しい中にも確かに感じたちょっと苦い味は、人生の容赦ない演出を幼くして経験している彼等と、その彼等の向こう側にいる(いた)人達について勝手に想像してしまった為だったのだろう。

 自分の娘とさほど変わらない年齢の女の子もいたりするリアリティが…… 少し複雑な気分ではあった。
 
 時々、自分がもう少しでいいから、語れる言葉を持っていればと思うけど、それが不自由だから絵を描いているのかな、とも感じる。今回のように、絵を描いていることで導かれる縁がいくつもあって、どれも得難い。すべて自分で選んでいるということがはっきりと自覚できるから、得難いのだと思う。

 だから一緒に絵を描いたのが楽しかった。
 
 
posted by マリオ曼陀羅 at 04:02| Comment(0) | TrackBack(0) | art | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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