去年の今頃、精神的な疲労がピークに達した、と感じた。いくつかの説明し易い理由も、原因もあっただろうと思う。数年来の疲労を打ち棄てる意味でも休息も必要だったろう。しかし、その雰囲気に身を任せてしまうべきでは無かったのかも知れないと、今になって思う。
身を任せたつもりになって、気楽を装って、抜かなくて良い力まで抜いてしまったのだろう。
しかし、それは不可抗力でもあったのだ。澱は確かに蓄積していた。
厄介な物で、動ける時にはどのようにでも動けるものだ。無理が利く。
やらなければならないと感じていたことが、いくつもあって、それを全てやろうとして、実際にやった数年間を経て、去年の年末、糸が切れた、と感じた。
来年は少し楽をしたい、そんな思いが無かったとは言えなかったのが、去年末の漠然とした状態だった。時間、月日というのは良くも悪くも区切りになる。どこか投げ遣りになってしまった。2003年から今年までの五年間というのは、今のこの状態に陥るまでを含めた一区切りだったのかと思う。
好調のなかで抱える物が徐々に大きくなって行くに連れて、気構えも亦、大きくなってしまったのだろうと思う。そしてリラックスするという事を蔑ろにしてしまったのではなかったか。
それでも今年は、それなりに良く動いた。動く機会を貰った。悪い事ばかりでは無かったどころか、得難い機会を得て、そこで体験した事の数々はどれも素晴らしかった。しかし、今年は徹底して生み出さなかった。去年までの蓄えを喰い尽したかのような一年間だったような気がする。
今は頭の痛い案件をいくつか抱えている。今はそのような負荷に耐えたい時ではないのに。
そのような状態で、自分がすべき事と言えば、それは明確過ぎるほど判っている気もする。自分の事をすべきなのだろう。それが何であるかは僕が自分で知っていれば良い事だ。
関わりという物が、今は煩い。しかし、そうそう身勝手になっていられない事情があるとも感じている。果たして、本当のところはどうなのだろうか。人、案件、諸々、関わる物が増えてしまうのは自分の性。それは幸せな性なのだろう。しかし、その中にあって状態を制御できないようでは、そもそも関わる意味など薄い。
恐らく今年は、そこにフィルターを掛けよう、そう思って過ごした一年間だったように思う。結果、失うべくして失って物もある。そうでもしないと、時間の先へ進めない。否、時間は勝手に流れている。要は、その流れる時間と同調するのが困難になる。時間は常に流れており、そういう意味では区切りなど本来はどこにも無いのかも知れない。
負荷を強く感じれば辛い。当たり前のことだ。自分から負荷を増やすのは馬鹿げている。負荷はどの道ある。負荷との同調も亦、テーマになってくる。
人生というのは味わい深いなァ。
と言うことで、来年からまたマイウェイ〜。区切りを見付けるのは、特にこう云う時には大事。来年はまた、見切り発車でやっちゃいたい。
でなければ、全ては一体何の為の経験なのか?
なんていう、ちょっと落ち気味ムードを満喫しているのが今の状態なのでした。
あ〜〜〜!!! 今は時間が長く感じる。
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