■ エヲカク ■

2019年05月22日

なにもしなかったけど、食と相性について考えた

【酔】文章書くのに頭ひねりまくってるこの時間、やっぱ俺にとっては絵を描く方が自然にできる行為なんだなーと、また思う。言葉による表現は大好きだが、それは読むことで(もしくは聞くことで)楽しむものなのかも、……俺にとっては。

料理も好きだ。簡単なのしかできないけど。

そもそも俺が妻と出会って子供まで持つに至ったのは、料理や飲み食いの感覚に共感できるものがあったからだ。出版業界は共通項だったが、彼女は当時お洒落なライフスタイル誌(俺の苦手な消費文化の象徴だと思って敬遠した)、俺は単行本のなかでも特に地味(失礼!)な本の仕事が好きで、読書の趣味が即一致したという訳でもない。掘って行ったら一致もけっこう見つかったけど。……しかし彼女の料理はシリアスだった(それが素晴らしかった)。で、その後彼女は消費文化から足を洗って料理研究家になった。

音楽の趣味については共通項も多少はあるけどベースの部分はかなり異なる。でも飲み食いしつつの会話が楽しかった。そうしてできた娘ももうJKで15歳。ありがたいことに青春を謳歌しているように見える。俺のその時期は暗黒だったので信じられないほどだ。娘に与えられる助言があるとすれば……飲み食いの趣味や温度の合う相手、それと会話の尽きない相手と出会うといいよ、ということか。けっこう冷えてる夫婦も周囲にいるもんな〜。生活を間近で共有する相手と話が成立しないというのが、どれほどの地獄か、俺は自分の両親を見て知ってるよ。そしてそれは子供にとっても地獄だった。

……息子にできるアドバイスはないなー。早いとこ好きなこと見つけて打ち込んで、それで好きにしてて欲しい。料理をもっと覚えてほしい。

今夜は(も)まったく寝なかったけど、よく休んだ。これから子等の朝食と弁当を仕込んで学校に送り出して、それから眠る。今夜はな〜んにもしなかった。

したい連絡だけを、方々にしたくらい。
自分にとって必要な連絡だけを。つまり絵だね。
……良い夜でした。
 
5AM

ブロンクスのプエルトリカンの友人から、短編小説かよというようなすごいメールが来た(長い!!)。決めた。わけもなく翻訳する。目的などない。俺は彼女の「語り」を吸収したい。それには翻訳が一番。

ラティーノの構築する言語世界が好きだ。すんげー面白い比喩とかユーモア持ってる。物の見方が溶けそうなくらい柔らかい。ソリッドでエッジの立ったプラクティカルな英語世界で、彼等はもしかしたらかなり苦しんだことだろう(英語のユーモアや語りも、それはそれで面白いけど)。 
 
そんなこんなでカルラ・スアレスというヤバい作家の『ハバナ零年』(共和国・刊)を読んでるよって話をそのプエルトリカンの友人に伝えたところ、こんなコメントが届いた。饒舌な前後は、おもしろいけど略す。

「Cubans and Puerto Rican’s would be considered very close cousins. Our cultural beginnings are identical. We just evolved on different tiny islands. And interesting fact to note that the live together closely in the same neighborhoods in Miami, Florida.

The famous Cuban poet José Martí once said of Cuba and Puerto Rico that we are each one wing of the same dove.」
 
日本にも同じ鳩が飛んでて欲しいよ。
その鳩の背中に乗りたい。

夜を贅沢に(無為に)終えて朝を過ごしたら少し眠って、それで明日は大きなエントリーにいよいよ挑戦してみよう(ビビッて寝かせてるけど、タイムリミットが来た)。





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2019年05月17日

Odna dancing in front of my mural


俺の壁と素晴らしいダンス。ビデオだから、クリックして見てね。

dancer: Odna
@ HACO NYC/May2019

飛んで行きたい







posted by マリオ曼陀羅 at 05:34| Comment(0) | art | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月12日

ARTE FUSE レビュー「Mario Mandala at HACO」

3月のニューヨークの個展のレビューがART FUSEというメディアに掲載されたものを、著者のJonathan Goodmanの許可を得て和訳しました。

アメリカのストリートカルチャーと東洋的な精神の世界との融合という切り口で、取り上げてくれました。

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学生時代の2年間をフィラデルフィアで過ごした田内がアメリカのポピュラー・カルチャーに通底するストリート・カルチャーから影響を受けていることは明確である。と同時に、フェルトペンを用いて描かれた入り組んだ曲線は、仏教的な瞑想を促がす曼陀羅へと繋がる意識と結び付いている。極めて乖離したふたつの要素が、このような融合を果たし得るなどと、いったい誰が考えただろうか?しかし、全く異なる地点より生じたこれらの美学が現代において見事に融和し、相互的に機能している。
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彼は自らの絵画的創造において、それら異質な要素を融合させ、私たちのこの時代の精神を異花受粉させることに成功した。その努力は祝福され得るべきものである。
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以下よろしければ全文お読みください。


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ARTE FUSE (US)
“Mario Mandala” at HACO (by Jonathan Goodman)

<Japanese translation(和訳)>

「マリオ曼陀羅( Mario Mandala)」展/ HACO NYC

 グラフィティの美意識に曼陀羅美術の要素を強烈に組み込んだ田内万里夫(Mario Tauchi)の個展が、ウィリアムスバーグ(ニューヨーク・ブルックリン)のイーストリバー沿いにあるオルタナティブなギャラリー、HACO で開催中だ。ギャラリーの壁面に直接描かれた絵とともに飾られているのは、概ね紙を支持体としたドローイング作品である。東京に拠点を構える40代半ばのアーティストである田内の有機的で複雑な線画が、HACOのディレクターである末次庸子(Yoko Suetsugu)の手により展示されている。西洋と東洋の美意識が、それらドローイング作品のなかで、見事な融合を果たしている。学生時代の2年間をフィラデルフィアで過ごした田内がアメリカのポピュラー・カルチャーに通底するストリート・カルチャーから影響を受けていることは明確である。と同時に、フェルトペンを用いて描かれた入り組んだ曲線は、仏教的な瞑想を促がす曼陀羅へと繋がる意識と結び付いている。極めて乖離したふたつの要素が、このような融合を果たし得るなどと、いったい誰が考えただろうか?しかし、全く異なる地点より生じたこれらの美学が現代において見事に融和し、相互的に機能している。

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先ずは「Untitled (Mural)」(2019)と題された、おおよそ8 x 10フィート(2.5 x 3メートル)、黒い壁に直接描かれた大型の作品である。生命体にも似た、丸みを帯びた複数のフォルムが環状に連なっており、それぞれの内部には異なる有機的なパターンが描かれている。左上部には半円形の飛沫のようなパターンが立ち現われており、虚空へと誘うアーチを思わせる。インプロヴィゼーション(即興)で描かれた作品だが、これら結び付く個々の形状は宇宙空間で調和する数多の銀河系の姿なのかもしれない。そのような見方が詩的すぎるのだとすれば、別の言い方も可能だ;まるで1970年代のラグ(敷物)やペイズリー柄の壁紙にあるようなパターン模様が連綿と続いているようにも見て取れる。端的に言えば、この展示においてはこれらの複雑な線画によるアブストラクトな表現を用いつつ、物事の意味に対するエレガントな誘導と、そのための複合的な象徴化が、視覚的かつ知的に為されているのだ。

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壁の絵よりも小型の「Emptiness(PDG,2018)」と題された作品が展示されており、こちらは淡い赤系の色で描かれた球、ドーナツ、ピラミッドの形が垂直方向に、あの壁の絵と同様に次から次へと連結し合うオーガニックな図案のうえから配置されている。画面左手に連なるエレメントはまるでスパゲティの束のようだ。内へ外へと入り乱れるネックレスのごとき形状だが、細かく、しかし若干の緩さを持って空間を取り巻いており、その大きな集合体が刹那的均衡を生み出している。黒い線で描かれるそれら有機的な構成要素とは対照的に、二次元というよりも立体を思わせる三種の赤い幾何学的なフォルムが、そのうえに描かれている。おそらくはそのタイトルが仏教的思想を思わせるためかもしれないが、これらの配置はあたかも、アブストラクトな空間に対し、明確な意図に基づいて配置さえているように目に映る。「Authentic(2018)」は紙に描かれたドローイングだが、ここに展示されている他の作品よりも多くの色彩を用いて描かれている。金色の円が左手上部に配置され、その下方にピラミッド、そして右手には球体が描かれている(いずれも画面から見切れており、視覚的に完結していない)。これらのイメージの背後には、やはり複雑な結合を見せるリース状の図案が描かれているが、先に解説したものとは異なり、薄い赤と白によって着色されている。それらフォルムが重なり合うことで、抽象的な表現を用いれば、セクシャルなイメージを構成している。この作品からは、人工的なアンビエンス、もしくは宇宙的な印象とも呼ぶべき何かが派生している。

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「Emptiness(2018)」と第されたこの絵 には 、実在しない巨大な 漢字が、黒い線で描かれた二重構造に連なる円環に重ねられて示される。画面上は隈なく装飾が為されているものの、禅仏教における無の空間観念が直ちに想起される。 田内の 作品を特徴づける複雑なフォルムに重ねて描かれたこの解読不能な文字が、 仏教思想を連させ、そして明らかな精神性を感じさせるタイトルを伴うことで、視覚的かつ哲学な体験を提供している。今回の展示が特にスピリチュアルな構成であるというこではない。いずれも歪んだ曼陀羅が提示されてはいるが、それはむしろ視覚的効果を動機とたものであり宗教性を感じさせるものではない。しかし、それでもなお曼陀羅の本来持つ瞑想的な効果と切り離して考えることは不可能である。このような創造が信仰とまったく無関係であるはずがない。おそらくそのことが、この展示を際立たせているのだ。非凡な技術と知的な構成力に裏打ちされて示される世界観と、仏教的精神性を伴うフォルムによるミクスチャーが展開されている。クロスカルチャー的視点と創造性は、今やある種のクリシェと言っても良いものだが、そこに意味が伴わないということではない。田内はアメリカのストリートに美学を見出し、それを活用しているのだ。そのうえで、彼はアジア的な解釈を主張することを忘れてはいない。考え方においてもアートにおいても極めて大きくことなる、東京とニューヨークというかけ離れたふたつの場所に思いを馳せれば、これらの融合を図ることは容易いこととは言えない。しかし彼は自らの絵画的創造において、それら異質な要素を融合させ、私たちのこの時代の精神を異花受粉させることに成功した。その努力は祝福され得るべきものである。

Mario Mandala展、HACO NYC
2019年3月2日〜4月7日
31 Grand Street, Brooklyn, NY 11249

www.haconyc.com

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ジョナサン・グッドマン(JONATHAN GOODMAN)
ニューヨークを拠点とするアートライター。30年以上に渡り、コンテンポラリーアートに関する記事を「ART IN AMERICA」、「THE BROOKLYN RAIL」、「WHITEHOT MAGAZINE」、「SCULPUTURE」、そして「FRONTERAD(マドリッドのWEBメディア)」において執筆している。ブルックリンのプラット・インスティテュートで教鞭を取り、コンテンポラリーアートに関するライティング、および主題に基づくエッセイ・ライティングの講師を務める。

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posted by マリオ曼陀羅 at 05:20| Comment(0) | art | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月05日

2019年4月〜5月

大型連休後半。埼玉から都内に戻って寝て起きて千葉方面へ。品川からバスで東京湾を越えて、大多喜へ、画家の中上清さんと奥様の彩子さんを訪ね、画業一筋で歩いて来た中上さんの貴重なレクチャーや年季の入ったエピソードの数々に耳を傾けつつ、やはりお酒。社会勉強の特別コースにと連れてきた息子は焚火を通じて人類の起源や神話に関して画伯から教わる。彩子さんはかつて神保町で、文壇や出版界の鬼才達、重鎮達の集まる(僕には足を踏み入れることな許されなかった)社交界のような、シェルターのような酒場を開いていた人で、彼女の編んだ『戦争の教室』(月曜社)というアンソロジー本に、僕の絵をひとつ紛れ込ませてくれた有難い人でもあり、世代が僕と変わらないこともあって、90年代の日本のアート界の激動期の事や、今はもういなくなってしまった出版界の珍しい人達の話など交わしながら、これからどうしていくのかなど、ボヤキなども織り混ぜつつの話を聞いてくれて嬉しい時間でした。大多喜に縁の深いつげ義春の作品集を画伯から貸してもらった息子は、なにを感じたのか知らないが、寝そべってあっという間に読破して、画伯に勧められる酒を上手に断りながら、いつのまにか寝ていた。翌朝、といってものんびりと朝を迎えて、起きてくる子を待って、隣町(いすみ市)に住む大好きな彫刻家の象山隆利さんのところへ。彩子さんと中上さんが車で送ってくれるというので、願っても無い機会と思って出しゃばって引き合わせを買って出て、道中で酒を仕込んでいすみ市へ。彫刻家の象山さんは行き掛かり上の事情で(本名の田内隆利というお名前で)千葉大でモノ造りをもう何年も教えている先生でもあり、その御宅は先生のセルフメイドのこだわり抜いた二階建てで、庭のピザ窯もまた自作。そこに先生と縁のある卒業生や地元のイノベーター達(農)や何やってるのか謎の人達が集まって焼きたてのピザと、織物の奥様の美味しすぎるご当地モノ尽くしの副菜と、やはり酒(各種)を煽りながら、スカやテクノやアシッドジャスをポータブルのレコードプレイヤーで流してた(この日のDJは先生の教え子だという、ちょっとおかしな人)。勝浦のカツオが二匹消え、ピザの生地が食い尽くされて、子供達は野山に散って、ピザ窯の庭から木調のリビングに場所を移してコーヒーで落ち着き、前にあった時には確か高校に入るか入らないかの頃だった先生の長女(当時に俺のデザインしたTシャツ着てくれてたw)の嬉しい近況を聞かせてもらい、最後に隣の畑の蕗を少し摘ませてもらって、大多喜オリブのバス停へ、最後に残った皆で。

……千葉の前に埼玉の奥深くであれこれ手伝いをしたプエルトリコ人の猛る魔女も無事にニューヨークの拠点に帰り着いたようで、早速僕のスマホ宛に指令を飛ばしてきた。

……千葉の前の埼玉の前夜は世田谷の編集者カップルのお宅でワイン6本。

娘はこの春に入学した高校で、早速できた友人と時間を過ごし、課題をこなそうとヘッドフォンをかぶって集中し、妻はここら辺で一度自らの進路について改めて考えながら、疲れ過ぎた身体を休め、そんなことしているうちに、日本は元号が変わったらしいが、その虚しさについては(幸いなことに)あれこれ考える暇もなく。

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あとこれ

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posted by マリオ曼陀羅 at 16:48| Comment(0) | diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする