■ エヲカク ■

2019年04月24日

すてーとめんと

自由を謳歌してみたことがある人がいるのか? 日本では、まだそれが可能。みんな無責任。基準もゆるい。バカを相手にする前にやってみて〜。謳歌してみて〜♪

少なくとも逮捕されることも殺されることもない。ちょっとしたことでは。

時間を自分のために使え。自分の愛する人、愛する物事のために使え。それが会社でも仲間でも個人的なことでも、なんでもいいでしょ?

そういう人たちが拡充していく物事が、自由を担保していくんだから。

阿倍や麻生や管や、そのさらに下の三下のこと馬鹿だ酷いだなんだって言ってる奴ら、そいつらこそバカなんじゃないか? こいつらがどーしょもないってことなんて、そもそも分かりきってることじゃないのか? そんなことは無視して、やりたいこと徹底的にやりゃいいんだよ。今のうちに。人生短いぞ?

そうして誰かがやったことでしか自由は拡大していかないんだから。それが人間社会のバイオロジーなんだって、ギリシャのやブッダの時代からずっとそうでしょ?

政治や社会を語るなら、そのうえで建設的に語ろう。そして歌い踊り、飲み、喰い、そのために必要な働きもしよう。

とにかくやりたいようにやればいい。それが会社でも仲間でも個人的なことでも、なんでもいいでしょ?

真面目にやろうよ?




posted by マリオ曼陀羅 at 04:33| Comment(0) | ewokaku | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月23日

早期発見、早期対応のススメ(過労

昨夜の経験は誰かの役に立ちそうなので、メモしておきたい。

実はここ二週間ほど、(表向きはさておき、内面的に)ほぼ制御不能な状態で過ごしていたけど、それが妻の「もしかして過労じゃない?」という昨夜の一言で、いっきに納得がいった。

で、判断力が残っているうちに、掛け持ちしている仕事やプロジェクトの各位に連絡。

〆切を延ばしていた案件2件の相手それぞれに、スマホのテキストで短く状態を説明。そして詫び。これだけで、先ず気分がものすごく( も の す ご く )軽くなった。

過去にうつ病に陥ったときも、後で考えればこの「過労」が原因だったので、それを先ず、「自分の判断」で「回避できた」ことがデカイ。

続いて翌日、日中を待ち、週3の仕事をさせてもらっている某社の直属の管理職に対し、きちんとした文章のメールで、過剰気味になっている業務内容について相談に乗ってもらいたいと丁寧に伝える。業務のどこに負荷があるのかなど詳細は伝える必要ナシ。ボヤかないで、相談依頼のみ。

そして、今日は作業的なことを何もしないと決める。昨夜のスマホメッセージに対し即レスを返してくれた編集者が運良く近所のファミレスにいたので、そこに出向き、近況交換/スケジュールの組み直し/作業内容に関する具体的な相談。一人で考えないことで負荷がものすごく減る。

…こうなる前に冷静に考えていれば、自分の状態が「過労」であったことは明らかなのだが、不思議なことに妻に指摘されるまでその実感が皆無だった。「終わらない/片付かない/進まない」という状況から「もっとやらなきゃ、もっと進めなきゃ」と自分を追い込み、手を休める事ができなくなってた。

「過労」を自覚したところで、改めて全体の作業量やその時間を振り返ってみると、とにかく無理があるし、無茶苦茶だったことが分かった。また、2016年に前職の業務整理に着手してから現時点まで、とにかく気が休まる暇がなかったことを自覚できた。おまけにその間、ニューヨークの個展もあった。

仕事も創作も、個々の作業は(分かりやすく)前向きな取り組みであり、だから作業が増えることも「成果に直結する」くらいの認識だった。だから「過労」を見過ごしていたのだと思う。やればやるだけ営業成績がプラスになるような仕事をしている人々も、同じような見過ごしをしているのではないか。

自分では「過労」の自覚が無かったわけで、それを妻に指摘されたことで、制御不能に陥りかけていた状態を、初めて自認することができた。妻からは「もうずっと過労だと思っていたので、もっと早く言えば良かった」と。でもこちのテンションが張っているし、物事が動いているようだから「言いにくかった」と。

まだバランスを取り戻したわけじゃなくて、腹痛もあるけど、少なくとも自分の判断力が残っているうちに、(他者の力や目を借りてでも)自分で対応できたのがとても大きな自己肯定感に繋がっているように思える。雲間から光が射してきたような感じ。助かった。

でさっきメールチェックしたら某団体から「国際委員会の委員に推薦されたので、就任状にサインを入れて返送を」というメール(笑)。どーしろと!? 今ならこのメールにも冷静な気分で「諸業務調整中なのでお待ちを」と返せる。昨夜までであれば「そうか」と署名してすぐ返送してドツボだったかも。

…もしくは途方に暮れて対応/返信できず、その対応のできなかったという事実が更なる負荷/負担になっていたと思う。…判断力ありがたい。しかし判断力を失うのは、こういう状態だと割と簡単なのだと分かった。ヤバイと気付けたことが僥倖。今夜も仕事しない。

悪びれずに、正直に堂々と、難局なら難局だと相手に(早いうちに)伝えるのが肝心だと思った。相手だって対応できるし、してくれる。してくれないのなら、逃げるしかない。打つ手があるうちに打つことで、先ずは自分の状態がメンテナンスされるというのは、良い経験だった。

おっかない奥さん、ありがとう( ´ ▽ ` )ノ

 
 
 
……ひとしきり、調整ができたら、先のニューヨークの記憶が薄れないうちに、それもメモというか記録を遺しておきたい。自分の老後のために(笑)
 
 
 
 
 
posted by マリオ曼陀羅 at 02:34| Comment(0) | diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする